第13話
彼女は壊れてしまったわけではない。イカれたわけでもないし、危ない宗教にハマったわけでもない。
元から壊れていたのだ。彼女は最初から、修羅だった。
法律やモラルさえないこの世界で、ただ『本能』の赴くままに、すべて『食べたい』と思っていた。アモクだけではなく、人も。
「あはー」
少女は気の違えた猫のような笑みを浮かべていた。
白いカーゴパンツには、クイッキーから教わったリボルバーが地肌に触れる形で刺さっている。
次はあの罪なき女性が食われるぞ。というとき、空から金色の髪をした男が降ってきた。
「人喰いめ」
レオは恨めしくそう呟くと、少女へ拳を振りかぶる。
数日修業した程度ではけして敵わない、この世界で一年間研鑽された最強の拳。
それが、ぶん、と空ぶった。
「あは、あは」
少女は狂ったように踊る。
手や足が、人間のそれとは思えないように動く。まるで天から糸を垂らされた傀儡人形のように。
数多もの悪党を叩きのめしてきた拳が、ただただ空気を切る扇風機と化している。レオは少女が何をしているのか分からなかった。彼女は何をしている? ダンスか?
壊れた人形みたいにカクカク、ふらふらと不自然な動きをしている。まるで夕日に伸びた影を踏みつけようと足掻くかのように、攻撃がまるであたる気配がない。
それでもなお、レオは拳を打ち込む。愚策ではない。何でもアリのこの世界で、拳ひとつで勝ち上がってきた自身の対応力を信じているのだ。
少女はケタケタと笑いながら、がなる。
「アナタったらお間抜けね! てんでおかしくて笑っちゃうわどんなにシコシコ鍛えて強くなったつもりでいても当たらなければ意味がないのにブンブンブンブン両手両足をバタつかせちゃって正義の味方ってみんなそうよねええそうよだって正義は振りかざすものなんだから!!」
鳴りやまないエラーメッセージのようなマシンガントーク。
少女の顎へのジャブが空を切った。距離感を見誤ったか、いや、誤らせたか。
当たらない。
歴戦の猛者のひとりとして数えられ、三強がひとりとも言われたレオの攻撃が、ことごとく空を切る。
フェイントだ。彼女はフェイントが劇的に上手い。
両腕を前に振り上げて、背中側に降り下ろしながら膝を曲げたら、次に来る行動は「ああジャンプだな」と人間の脳は自然に理解する。しかし、彼女はそういった無意識の認識の裏をついてくる。
腕の振り方、重心の位置、関節の向きから指先の動きまで繊細に。本来、動かないはずの腕が動き、動いているはずの足が地に張り付く。高速で動いているはずが減速し、減速するはずの場面で加速する。
レオの渾身の打撃が、当たらない。
彼女の髪を撫でる感触が、ばさりとレオの拳に伝わった。
打撃が通じないのであれば、組む。
ジャブの合間に繰り出したタックルへ、少女は飛び箱みたいに飛び越えて対処してきた。ジャンプの予備動作が見えなかった。いや、ここは現実世界じゃない。ジャンプに助走は必要ないんだ。それにしたって、ここまでスムーズに『非現実のイメージ』を実行できるものなのか。
レオは怯まず接近し、鞭のようなミドルキックを放った。
少女はそれに対して、ぴょんと飛んで避ける。まるで空中に浮かぶ透明なソファに寝転ぶように、優雅に頬杖までつきながら。
どれだけ鍛え抜かれ一撃でも、当たらなければ意味がない。
少女は腕を再びトラバサミのように変形させ、ばくり、とレオの足に食らいついた。蹴り終わった後の軸足に向けての一撃。虚を突かれ防御が間に合わず、壊された。
「きゃっははははは!! 間抜けよ間抜けよマが抜けて間抜けよ嗚呼アナタってばマを抜かずに何を抜くっていうのかしらアタシには何もかもが抜けているように見えるわ人の心には魔があるものなのよだからアナタには信念がないのそうよだって悪は貫くものだからアナタは何も貫けない!!」
少女は笑いながら、膝をついたレオを腹を抱えて笑いながら、町の入り組んだほうに逃げた。
レオは足の修復に時間を取られ、彼女を逃がした。
にゅ、とレオの近くの地面からスピーカーが生えて、ダリアの声が響く。
「レオ!? 彼女は第三区画の方に向かったわ!」
「分かってる。足の修復がまだだ」
「……レオ。貴方が、負けたの?」
ダリアが息を呑む音が聞こえ、次に、ハッと息を呑む声が聞こえた。
「クイッキーが向かっているわ!」
「クイッキーが? ダメだ、戻せ! あいつはダメだ、あいつは、クイッキーでも敵わない! クイッキーにスピーカーを繋げ、ダリア。おい、クイッキー。戻れ。アイツはお前じゃ倒せない。戻れ、戻るんだ!」
カチャカチャと壊れたピースを再構築するようにレオの足が修復されていくが、まだ膝元までしか修復できていない。
『こちらクイッキー。状況把握。狙撃する』
「よせ、戻れ、クイッキー!」
『仇は討つ』
クイッキーは苛立っていた。
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