第5話 才女


 千年もの長きに渡り蔵の中で静かに眠っていた書物は、今やわたくしの書斎の机上であられもない姿をさらけ出していた。

 表紙という名の衣をはだかれ、誰にも触れられることのなかった白い生地やわはださらし、その上を指で一行ずつなぞられて赤裸々に紐解かれていく。

 この芳醇ほうじゅんな果実が如き文字の羅列が、わたくしの身も心も焦がしていくかのようで。


 嗚呼ああ、これが「絶頂に達する」ということなのでしょうか。


 おっと、ここで一息。

 わたくしは少し離れた棚の上に置いてある珈琲こーしーに手を伸ばします。


 灰色の脳細胞に珈琲因子かふぇいんが染み渡りますわ……


 さて、そろそろ物語を進めましょうか。



   ☽✡☉✡☉✡☾ ☽✡☉✡☉✡☾ ☽✡☉✡☉✡☾



「ここがくだんの牛車が飛び立った場所かえ?」


 姫君の問いかけに、「さようでござる」と答える若侍。

 場所は移り、鬼火きびの姫君と良安よしやす朱雀大路すざくおおじ沿いにあるという竹取屋敷たけとりのやしきへとおもむいた。

 供の者を五名ほど引き連れて今は使われていない屋敷の庭先まで案内する若侍。

 そこで姫君の視界に映ったのは、ムラ一つなく切り揃えられた草木、透き通るような池の中を泳ぐ鯉、良く磨かれた石灯籠いしどうろうなど、とても手入れの行き届いた庭園の姿。

 ただ、ある一角だけ、いびつな空間があった。


 踏み荒らされた後の残る雑草の地面。

 わずかに焦げ付いたまま放置された鉄籠てつかご

 所狭しと残る壁の傷。

 そして——


「ふむ、瓦が欠けておるな」

「瓦?」

「塀の瓦よ」


 そう言うと姫君は屋敷の塀の上、連なる青い屋根瓦を扇で指された。


「確かに欠けておりまするが、それが何か?」

「そなた、あの晩やりおうた相手の顔を覚えておるか?」

「いえ、夜目のせいか少しぼんやりしておりましたゆえ」

「で、あろうな……」


 そうのたまわれると、姫君はわずかに目を細めて周りを見た渡す。


「たしか迦具夜かぐやが昇天したのは一月ひとつき前の十五夜であったか」

「はい」

「あの晩は、特に蒸せ狂うような暑さであったな」

「さようでござったな」

「その上、検非けびがための篝火かがりびも炊いておったようだしな」


 と、姫君は閉じた扇の先で鉄籠を指す。


 ちなみに検非けびとは、古い言葉で見張りや警護のこと。


 それから「あとは」と姫君、池を囲う敷石しきいしの上でしゃがみ込み、その白く小さな手を水にひたしました。


「ほどよい冷たさであるな」

「姫君、先ほどから何をされておられるのでござるか?」

「まじないの儀式である」

「儀式……今のがでござるか?」

「さよう、これで後は雨が降れば『結界』の完成よ」

「雨? 結界?」


 いよいよ訳が分からなくなり、首をかしげる若侍。


「うむ、今宵は終いである。われは帰って術式を組むがゆえ、また明晩みょうばん酉刻とりのこくが屋敷へ参られよ」

「はっ、承知仕りました」


 うやうやしく頭を下げる若侍。

 その傍らに寄ると、姫君は扇を広げながら小さく耳打ちした。


実に面白いとをかしきものを拝ませてやろう」

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