女嫌いな騎士団長が味わう、苦くて甘い恋の上書き

待鳥園子

第1話

「あの女が俺に飲ませた惚れ薬を売った魔女が言うには、効果はひと月は続くそうだ。そして、効果をなくす方法は、ただひとつ。効果が切れるまでの時間が経つしかないと」


 王都騎士団屯所の団長室には、先ほど起こった信じ難い事態をどう対処すべきかと、難しい顔をした面々が揃っていた。


 本日、王都騎士団の面々は色好みと有名な未亡人に、午後の見回り中偶然出くわした。


 彼女を見るなり女嫌いなはずの団長が、とろっと蕩けた表情になり、意味ありげな笑みを浮かべ去っていく彼女に追いすがり、周囲の目もはばからずに待ってくれと追いかけそうになったのだ。


 うちのルドルフ団長の女嫌いで有名で、しかも彼が一番嫌いそうな、色気ムンムンな悪女にそんなことをするわけがない。


 どう考えても、何かに操られている。


 これは絶対おかしいと踏んだ周囲の部下何人かで、必死で追い縋る団長を取り押さえて、暴れ回る彼を屯所まで苦労して連れて帰ってきたのだ。


 正気に戻っての団長は、先ほどの自分の行動が信じられなかったのか、しばし呆然としていた。


 そうよね。当然のことだろうと思う。うん。惚れ薬を飲まされたことがないけど、何となく想像つく。


 あ。私は書類を届けに行くついでに、なんとなく団長の見回りにくっついて行っていた騎士団事務担当している新人ローラです。よろしくお願いします。


 ちなみに現在の状況は優秀な団員たちが総出で原因究明に乗り出し、あの未亡人が惚れ薬を買った魔女のお店までは判明しております。


「あの女……確か、王に言われて出席した昨夜の夜会でも居た。そうか……その前に給仕に渡されたワインを飲んで……その後ですれ違ったんだ。給仕は買収されていて……俺は薬を盛られたのかもしれない。失態だ」


「味では、気がつかなかったのか」


「……渋みのある年代物のワインだったんだ。迂闊だった」


 団長と副団長は、同時に大きなため息をついた。


 治安維持を受け持つ王都騎士団なので、王都にある怪しげな店も把握済だ。すぐに惚れ薬を売った魔女の店も特定されていた。私ももし将来怪しい店を持つ時は、騎士団へ平身低頭でいようと思う。


 悲しいかな欲深い人間は、清いものだけでは生きてはいけない。真っ黒は流石に取り締まるけどグレーな部分を保つため、決定的な違法行為があるまで泳がせているケースも多い。


 事務担当として王都騎士団に入団したばかりの私は、なんとなく流れで団長室へと入り澄ました顔で混じって「これは、すごい事になって来ました!」と、脳内では色めきだった多くの私の分身が手を叩いてはやし立て、お祭り騒ぎが始まっていた。


 どうなる。どうする。気になる結末。


 手に汗握る展開希望。女嫌いの騎士団長、一番嫌っている女に惚れ薬飲まされました事件!


「……どうしたもんかね。とにかく接触しなければ、大丈夫なんだろう? ひと月の間、ルドルフが遠方に逃げるというのは?」


「駄目だ。こんな時に限って、王への年一度ある定例報告会が迫っている。団長の役職では、出席は逃れられん。王への報告も不可だ。立場上、惚れ薬を飲まされた不用意な俺が悪いで終わるだろう」


「あー……そうか。それは、確かにそうだな」


「ましてや、万が一逃亡先であの女と会ったらどうする? 王都であれば、周囲に見知った人もあり、俺の様子がおかしいと思う者も居て助けてくれるだろうが、それもなく女の言いなりになり、定期的に惚れ薬を飲まされ、良いように扱われるなど絶対にごめんだ」


 惚れ薬を飲まされた被害者、美々しい顔に苦悩の表情を浮かべているルドルフ団長は、王都を守る王都騎士団の団長である。


 三十路を迎えたばかりだけど、若くして王都騎士団の団長。


 私が何の変哲もないただの町娘の時から、王都に住む女性の憧れの存在だった。


 金髪碧眼で、容姿端麗。正統派の美形に、今まさに渋みが加わろうとしている絶妙なお年頃。見る人が見れば美味しそうな食べ頃の騎士団長である。


 こうした美形をジャッジする際には、異様に点が厳しくなるうら若い乙女の目で近くから見ても、欠点らしい欠点が見つからない。


 容姿が良い、役職も凄い、仕事だって出来る。けど、何故か独身。つい憧れてしまう存在だけど、きっとなんかあるわよ……と現実主義者の姉から口酸っぱくして、ルドルフ団長に憧れていた私は言われていた。


 そして、こうして部下として彼に近づくことになれば、団長が独身を続ける訳はすぐに判明した。


 ルドルフ団長は、極度の女嫌いだったのだ。


 その理由は騎士団内部にも知られてない。私も知りたいような、知りたくないような。いやでも、別に知らなくても特に問題ないなら、それでいっか。


「くそ。俺の飲んだ惚れ薬の効果はあの女と会った時に発揮されるだけなのだろうが、一時的にでも惚れているなど、絶対に嫌だ。そんな屈辱に耐えるくらいなら、いっそ死を選ぶ」


 ルドルフ団長は悲壮な表情で、腰に下げられた長剣の柄に手を掛けた。


 いけない……私の日々生きていくための潤いの元、イケおじになりかけの団長が死んじゃうなんて、しかもこんな良くわからない惚れ薬飲まされたから自決とかいう理由だなんて。


 その後の人生後悔ばかりになること考えると、絶対にこのままに出来ない!


 死んじゃうんだとしたら、せめて、ベッドの上の老衰か名誉の戦死にしてくださいぃぃぃぃいい!


 あ。死なない方が、もちろん良いけど!! どうしてもって場合はこちらの二択の選択肢からってことで!


「ままま、待ってください! そんな理由で、団長が死ぬなんて絶対ダメです! 団長!! 大丈夫です。私にとても良い考えがありますから!」


 はいはいっ! とばかりに私が右手を高く掲げれば、団長は眉の間に皺を寄せてこちらを見た。


「……君は事務のローラか。良い考え? しかし、どうすれば良いんだ。あの毒婦に会う度に、俺はあいつのことを好きだと思うのだろう?」


「はい。それでは、団長が飲まされた惚れ薬の効果を、上書きすれば良いと思います!」


「惚れ薬の効果を、上書きだと……?」


 私が思いついた解決法を聞いて、団長やここに集まっている五人ほどがポカンとしていた。


 そして、私は自信に満ちたしたり顔で大きく頷いた。


 性差があるのでわかりにくいかもしれないけど、終わった恋愛をどうするかというと、上書き保存と別名で保存が存在する。


 男性諸君。貴方たちは別名で保存かもしれないけど、私たち女性側の恋は、常に上書きだ。


 浮気したりと向こうが原因の喧嘩して別れた元彼とか、三ヶ月経ったら連絡が来てもなんとも思わない存在へと成り果てる。


 下手したら元カレの名前も「え。待って。てか、この人、なんて名前だっけ? 思い出せない」となるものである。これは、極端なケースを言いすぎたかもしれない。


 なんで私、あんなクズ好きだったんだろう? と女の子が思う恋愛は、次の良い恋愛への通過儀礼にも似ている。


 しかし、ずっと付き合っていた当初の温度を保ったままずっと元彼を好きで居るとか、絶対にない。


 誰かを好きになれば、誰かを忘れる。これこそが、世の摂理である。


「そうです! 偽物の恋を、上書きをするんです! 好きな人を好きな人で上書きです! そうすれば、あのお色気たっぷりな未亡人を見ても団長は違う人を好きな訳ですから、何も思いません!」


 部屋の中にパラパラと遠慮がちな拍手が鳴った。えへへ。入団早々に優秀なことが、認められちゃったかな。腰掛けのつもりなので、出世コースは困る。


「ほう……それでは、上書きする相手はどうするんだ?」


 真剣な表情の団長がこちらを見つめて聞いてきたので、私は真面目な表情を保ったまま「きた!! きたよ!! 私が騎士団に入った役割は、きっとこのためだよ!!」と、心の中では色めきだち目を輝かせた。


「ぜひ……上書きするお相手は、副団長にしてみては?」


「何を言っている? レギウスは男だぞ」


 不可解そうな顔を浮かべたルドルフ団長の隣には、不味いものを食った時のような顔をしているレギウス副団長。


 ここで特筆しておきたいのが、団長と副団長彼ら二人はとても容姿が良いのだ。私の妄想の中では、いつも恋人同士の役割。ちなみに彼らの見回りにこっそり混ざるのも、良い妄想のために材料を求めてのことである。


「……団長、いかがです? 我が国では幼少時から適切な教育により、同性に恋をしたとしても、大半の理性ある大人はそういう人も確かに居るよねと多様性に理解があります。特段差別されることもなく、良い恋愛となるでしょう……それにお二人が付き合っていると思えば、私たち団長×副団長派にとっては、とっても嬉しい展開です!」


 これは名案ですよとばかりに私が両腕を広げて言えば、団長と副団長は微妙な表情のままで固まった。


 お二人は金髪碧眼と銀髪碧眼だ。絵面的に良すぎる。もう、ひと月と言わず付き合って、そのまま結婚して幸せになってもらうしかない。


 周囲の騎士団員も、無言のまま無表情だ。まるで、自分は余計な流れ弾には絶対に当たりたくないと、極力気配を押し殺して居るようだ。


 え? 嘘。なんで? これ以上ないと思う、素敵な名案なのに。


 思ってもみなかった凍りついた周囲の空気の中で、私は戸惑った。


 ええ……これって、なんか、やばいこと言っちゃった?


「そうか……ローラ。やけに嬉しそうだな……男同士がそういう関係にあるのを喜ぶのは、君の趣味なのか?」


「そうです。なんら、おかしいことではありません。女性嫌いの団長は、自分と同じ男性なら守備範囲なのではという……私の完璧なる予想です」


 きっぱりと言い放った私に、団長と副団長の二人は一度顔を見合わせてから、嫌そうにお互いに顔を背けた。


「え? 待って。止めて。それに、団長×副団長派ってなんなの? 他にどんな派閥があるの? 俺たちは、その子たちの妄想の中で、どんなことをしてるの?」


「私は全然普通ですよ! 私の性癖はノーマルです! 団長が副団長を仕事の話するついでに、机に押し倒したりとか……」


「待って……待って! ローラの性癖はノーマルって、やばい。むしろアブノーマルは、どんなシチュエーションなんだよ……その辺はもう追求して聞かない方が良いかな……はは」


 困った顔で額に手を当てた副団長は、私と黙ったままの団長を見比べた。


「おい。待て。もうそのよくわからん妙な妄想の話は良い。それでは、俺の惚れ薬の上書き対象は、その方法を言い出したお前が犠牲になれ。そうしたら、嫌いな女に惚れてしまうという最悪な事態は終わる」


「え!! 嘘でしょう。や、やめてください!」


「嘘じゃない。お前は女だが、俺の部下だし、悪巧みなど思いつかなそうだし。あの女より……だいぶマシだ」


「私、犠牲者になるのは、嫌ですぅ。私じゃなくて、恋する相手は副団長で良いじゃないですか!」


「俺は同性愛者に偏見はない。だが、どうしてもと言われ、恋愛対象に選ぶなら俺は異性だ。悪いが、上司命令だ」


「やっ、やだ!! そんなの駄目です! 団長が私のことを好きになると、解釈違いになっちゃうから、やめてください!!」


 団長は女嫌いで、私などには絶対振り向かないという、そういう孤高の存在でいて欲しいのに!!


「どんな世迷い言だ。何を訳のわからんことを……おい。そこのお前。惚れ薬を作ったという魔女に、もう一度同じ惚れ薬を作らせるように伝えろ」


「かしこまりました」


 一人の若い騎士が、急ぎで部屋を出て行った。パタンと扉が閉じた後、しんと静まりかえる団長室。


 なんなら、適当な理由をつけて店を潰せることなんて朝飯前な王都騎士団団長に逆らいたい怪しい店の店主なんか、絶対に居るわけが無い。


 全ての他の仕事をうっちゃって、魔女は惚れ薬をすぐに作るだろう。


 あ。誤解しないで。ちなみにうちのルドルフ団長は、そういう裏工作とか汚い取引とか、一切引き受けない系潔癖騎士団長で有名です!


 やばい。やばい……これって、私ごときが面白がって口出しして良いものではなかったかも。


 黙っていれば無関係な部外者で居れたのに、心の中の欲望の悪魔が邪魔をして、思わぬ展開でルドルフ団長からの次の惚れ薬で上書きする対象者に選ばれてしまった。


「待ってください! そうだ。誰でも良いなら、食堂のメリッサおばさんにしてください!! きっと、めちゃくちゃ喜ぶと思いますんで!!」


「……往生際が悪いぞ。いい加減諦めろ」


 私は何度か団長室から逃亡出来ないものかと扉を何度か見つめたものの、その度にいくつかの鋭い視線を感じ「これは完全に詰んだ」と一人諦めるしか無かった。


 先程出て行った若い騎士がノックののち入って来て、奥の団長へ薬の入った小瓶を渡しながら報告した。


「魔女に聞けば、ローラの考えた解決方法は、的を射ているそうです。確かに対象者を変えるのは、良い方法だと」


 嘘……やだ。完全に適当なこと言ったのに、的を射ちゃったよ!!


 ルドルフ団長は小瓶の蓋を開けて、こくりと飲み干し、逃げ腰になっていた私を見つめた。



◇◆◇



 惚れ薬を飲んだ直後のルドルフ団長の様子は、彼の名誉のために墓へと持っていこうと思う。


 多分、あの場に居た全員が私と同じように、そう思っていると思う。少しだけ触れるなら、美形なのによだれも出てた。いやぁ、とても酷かった。


 惚れ薬、こわい。惚れ薬、早急に大々的に取り締まって欲しい。


 魔女が作った惚れ薬の厄介なところは、別人になるでもなく惚れた対象に会って痴態を見せてしまっているところの記憶が本人に残ってしまうことだろう。


 私は最初、あの色っぽい未亡人がルドルフ団長のことを好きだから飲まされたと思っていたんだけど……もしかしたら、相当嫌われていたのかもしれない。


 毛嫌いしていた私に惚れてしまっているなんて、ざまあみろと言われてしまいそう。


 現在は私に会ってしまうと惚れ薬の効果が発動してしまうため、王都に居なければならないルドルフ団長と万が一にも会わないようにと、事務室の直属の上司から自宅謹慎が申し入れられた。


 もちろん。仕事はお休みしているけれど、特別手当付きだ。


 だから、私はひと月の間、誰にも会わずに部屋の中で引きこもるだけで、纏まったお金が手に入るだろう。


「ちえー。仕事中、団長×副団長で妄想できないなんて、本当につまんない」


 男女交際も良いものだよと、レギウス副団長が差し入れてくれた本を読んでいるのにも飽きてしまった私は、両手を掲げ背筋を伸ばしてからうーんと低く唸った。


 しかし、暇。


 副団長は、間接的に自分と団長のせいで私の婚期が遅れるかもしれないと、男女の熱烈なラブストーリーのみを用意してくれたようだ。


 なんだか彼には誤解があるようだけど、美男同士を見ると自動的に妄想してしまう私だって、妄想とリアルの区別くらいつきますよっと。


 それはそれで、これはこれ。私だって、いつかは身の丈にあった男性と結婚して子どもを持って……いずれはベッドで眠るようにあの世へと旅立ちたい。


 けれど、若い内に素敵な上司二人相手に妄想してしまうことは、割と良くあることだと思う。


 だって、絶対に自分には振り向かない人だし。


 はーっと大きくため息をついて窓を見れば、もう夜だった。部屋に閉じこもってだらだらしていると、昼夜の感覚や時間の感覚を忘れてしまう。


 え。待って。今日って、何曜日だっけ。わからない。やばい。人間失格になってしまう。


 もうそろそろ、一月経つし、団長の惚れ薬の効果だってなくなるだろう。


 ルドルフ団長……元気にしてるかなぁ……。


 あくまで惚れ薬の効果でしかないんだけど。あの人、今私に会うと私の事好きになるんだよなぁ……。


 なんだか、夢みたいな話だけど……叶わない夢は、夢のままの方が良い。


 だって、惚れ薬で好きになってもらうなんて、何の意味もないからだ。


 駄目だ駄目だ。人とも会わずに部屋に閉じこもっていると、暗い方向へと思考は進んでいく。


 鬱々としそうになった私は澱んでいる部屋の中の空気を入れ替えようと思い立ち、窓を開けてから何気なく外を見た。


「……え?!」


 私はそこで自分が見たものが信じられなくて、慌てて部屋の中へ入り、窓に背中を付けた。


 やばい。あれは、団長だった!! この私がルドルフ団長を、見間違うわけが無いもん!!


 え。待って。私と目が合っちゃったってことは、惚れ薬の効果が発動してしまったはずで……。


「し、しまった!!」


 あわあわと慌ててしまった時、ガンガンと扉を叩く音がしたので、私は扉越しに団長にお引き取り頂くことにした。


「おい! ここを開けろ!!」


「団長!! 私のことを良く思えるかもしれませんが、それは惚れ薬による作用です!! その気持ちは間違いなので、お早くお帰りください!!」


「なんで……お前が俺の気持ちを間違いだと、判断するんだよ!」


「とにかく、落ち着いてください! 我に返ったら、絶対に後悔します! どうか、帰ってくださいー!!」


 私はそう言い放つと玄関にはがっちりと鍵を掛け、寝室の鍵も閉めた。


 両手で耳を塞いで蹲っていたら、扉を叩く音もなくなった。


「夜なのに。近所から苦情来る……もう……信じられない」


 恐るべし。惚れ薬。これを売った罪は、麻薬より深いかもしれない。魔女は本当に、反省して。


 人の心を操るなんて、いけないことだ。とはいえ、あの色っぽい未亡人は、悪いことだとわかりつつやりそうなのが、本当にタチが悪い。


 団長も自分を取り戻しただろうし、もう安心だと息をついた時は、束の間。


「ななな、何してるんですか! 団長!! 窓から不法侵入、現行犯ですよ!!」


 窓から大きな黒い人影があったと思ったら、帰ったと思ったはずの団長だった!


 警備兵呼ばなきゃって、この人王都の治安維持を、受け持つ騎士団の団長だったわー!!


 つまり、一番犯罪犯しちゃいけない人!!


 私は慌てて窓を開けて、団長の手を引いてからカーテンを閉めた。ああ。誰も見ていませんように。


「ななな、何やってるんですか!! 不法侵入で即逮捕案件ですよ!!」


「俺が釈放の書類にサインしたら、それで終わりだ。書類も燃やしてしまえば、何の問題もない」


「え……完全に越権行為じゃないですか……?」


 流石にそれはやり過ぎではないかと私が首を傾げれば、団長は肩を竦めて首を横に振った。


「そんな訳ないだろ。俺の役職思い出せ」


「王都騎士団の団長です」


「つまり、現行犯であれば、裁判所に引き渡す前に俺の法律が適用される。ローラの家に侵入したことは、不問にしよう」


「不問って……ここって、私の家なんですけど……」


「しかし、狭いな……」


 戸惑う私の部屋を見回して団長が言ったので、だらだらし過ぎて汚い部屋を少しでも片付けようという気力もなかった。


「はいはい。すみませんね。働き始めの新人なんてこんなものですよ。文句言うなら、給料上げてください」


 思いもよらぬ上司の来訪に私はお茶でも入れますかとキッチンに行きかけたところで片腕を掴まれて、驚いて背の高い団長の顔を見上げた。


「だんちょう……?」


「お前。今日、無断欠勤だぞ。いつまで休むつもりだ」


「え?! すみません!! 引きこもっていると、時間の感覚なくしちゃって……」


 なんということでしょう。私。既に上書きするだけの役目を終えて、職場に復帰しなきゃいけなかった!


 自分の責任だし……と、私の様子見に来てくれたルドルフ団長、めっちゃ優しい。しかも、犯罪者にするところだった。本当にごめんなさい。


「おい。なんで、玄関を開けなかった」


「ここは、私の部屋なんで……開けないのは私の勝手です。え? というか、ルドルフ団長……今、私のこと好きじゃないですよね?」


 私は団長の飲んだ惚れ薬の効果って、もしかしてまだ継続してない? と普通に思っただけだ。


 だから、そうじゃないだろうと確認する意味で、自分ではしごく当たり前の流れで聞いた。


 けれど、不意に言葉に詰まった様子の団長の顔が暗い視界の中でも赤くなったので(え。この人。女嫌いのはずでしょ。何なの。どうしちゃったの……)とは思った。


「ローラ……少し、話して良いか?」


「ど、どうぞ?」


「俺の実母は幼い頃に亡くなった。だから、父は十二の頃に若い義母を後妻に迎えた」


「え。あの……」


「当時二十にもなっていなかった若い母は、年齢の近い俺に色目を使うようになった。その行為の最後にはベッドに潜り込まれ無理矢理キスをされた。俺は、それからすぐに家を出た」


「そうだったんですか……」


「この惚れ薬の飲ませたあの女は、義母に良く似ていた。だから、より嫌いな気持ちを抑えられなかった。女なんか、みんな一緒だ。自分のことしか考えていない。自分の欲望のままに、俺の気持ちなんて少しも考えてはいなかった……」


 確かに若い男の子が義母だと思っていた人に長い間性的な目で見られていたら、女性を嫌悪するようになってしまうかもしれない。


「……団長も……お辛かったんですね」


 なにかしら、過去のトラウマに苦しむ彼を慰めるような気の利いた言葉を何も言える気がしない。


 何故かというと、私がもし同じような経験をしていれば寄り添えたかもしれないけど……何分、家族には「産まれた家が、お金持ちだったら良いのに」くらいしか、不満を持っていない。


 幸せな家庭に生まれ育っているだけで、こんなにいたたまれない気持ちになる時があろうとは。


「本来なら、恋愛対象になる異性が気持ち悪くなったのは事実だ。だが、俺も正直女嫌いは直したかった。父も……早く結婚しろとうるさい」


「そうなんですか……確かに団長は三十路ですし、世間的に見てご結婚されていてもおかしくない年齢ですよね」


「そうなんだが……触れないものとは、子どもを作れないと思わないか」


「……? けど、団長?」


 あの、私の腕を、現在がっつり掴んでらっしゃいますけど?


「何故かローラは、不思議と大丈夫なんだ。惚れ薬を飲む前からも大丈夫だった。以前、書類を持って来た時があっただろう? あの時、少し指が触れてしまったんだが、君が触れても全然嫌な気持ちがしなかった。だから、君の名前も覚えていた」


「え! そんな美味しいイベントがあったんですか? 私。全然気がつかなくて!」


 そんな職場で胸キュン☆エピソードの第一位みたいな話なのに! 当事者のはずなのに、全然覚えてないなんて!


 もったいない……。


「お前……まあ、良い。俺にとって、君は恋愛対象にあたるみたいなんだが……」


「はい?」


「ローラにとっては、どうなんだ」


 どうなんだ? そりゃ、異性の好みのど真ん中ですけど?


 ルドルフ団長は金髪碧眼に、端正な顔立ちを持ち、そして、騎士らしく鍛え抜かれた肉体。低くて色気ある声。


 部下には厳しいところもあるけど、怒ったあとのアフターケアもばっちりで、多くの部下から信頼され誠実な団長を好きにならない理由が、もしあるなら教えてください。


「団長を好きにならない女性が居るなら、理由を知りたいです」


 私が素直にそう言えば、緊張していた様子の団長の表情がみるみる内に緩んだ。


「普通に居るだろ」


「居ないですよ! 団長くらい、完璧な男性を私は知りません! だから、その……」


「その?」


「私などではなく、もっと素敵な女性と付き合った方が良いのでは……っ」


 言葉が途中になってしまったのは、団長の唇に唇を塞がれたからだ。


 団長を好きか嫌いかと言われれば、大好きだと言わざるを得ない。鑑賞対象ではなく、職場が一緒の上司だからこそ人柄がよく分かる。人として真面目で優しくて、不正は許さないし、仕事には熱心。


 そんなところを部下だからこそ、好きになってしまったと認めてしまったなら、もう逃げられないと思う。


「っ……大丈夫だ。ローラはやっぱり、触っても大丈夫だった。良かった。君で上書き出来て」


「あの……惚れ薬の効果が残っている訳では、ないですよね?」


 私が心配しているのは、そこだ。


 惚れ薬を飲んだばかりの団長の様子と言ったら、なかった。


 正直、本当におかしいくらいに私のことが好きな様子で、心配した医師から病院入りを勧められてしまいそうなくらいの甘い言葉をまき散らしていたのだ。


「おそらくだが、俺の中に元々あったローラへの好意の上に惚れ薬が作用して、ああなったんではないかと思う」


「え……なるほど……そういえば、先に色っぽい未亡人を見た時はあそこまでではなかったですね。追いすがろうとするのを必死で止めましたが、どうか待ってくれしか言ってなかったですし」


 私の時は「好きだ」とか「愛してる」とか、おかしいくらいに言っていたので、あの女性には惚れ薬の効果が少ないと言われれば、そういえば……。


 惚れ薬事件の始まりを思い出しながら言えば、顔を近づけたルドルフ団長は眉を顰めて渋い顔で呟いた。


「ローラは良い雰囲気をぶち壊しにするのが、趣味なのか? ……頼むからもう、黙ってくれ」


Fin

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女嫌いな騎士団長が味わう、苦くて甘い恋の上書き 待鳥園子 @machidori

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