第22話 暴食

「神刻に飲み込まれるなよ」


 敵の神に対抗するためにルカが考えたのは、レイナの神刻を解放することだった。しかし、レイナ自身は解放を封印されている。


 逆に考えれば、封印されているのはあくまで解放だけだ。解放を誰かが代わりに担えば、神刻の力を使うことができる。


 しかし本来、神はそれぞれ神刻を持つ。他の神の神刻を受け取ってしまえば、途端に身体のなかで神刻同士が衝突し――神といえど無事ではいられない。


 神刻を持たないルカが代わりに、レイナの神刻暴食《gula》を解放すれば良い。



 レイナの燃える瞳が揺らめく。



「是は無限の飢餓である。均しく、是は常世を加護する獣である」



 言葉に魂力がこめられる。呪唱とは次元が違う。神の威圧が周囲に漏れ始め、近くにいるだけで冷や汗が垂れてくる。

 レイナの口の隙間から鋭い牙が見え、天に向けて尖った耳が徐々に伸びていく。人間の姿を保てないほどの魂力を消費していた。



「神刻、励起。対象選定。我に刻まれし、暴食のインを貸与する」



 レイナはルカの胸に華奢な手を当てた。表情は儚げで、絶望していて、飽きれている。


 どれほどの年月をどういう想いでレイナが生きてきたかなど、微塵もわからない。だからその表情の意味を探すのは、不可能で。



「――――ッ!」



 途端、ルカの思考が千切れるほどの、焼け爛れるような強い痛みが身体の中心から広がる。レイナは、そっと手を離す。


 熱く、痛い。

 

 たった一部の神刻を期限付きで移植しているだけだというのに、叫びたくなってしまうような激痛。全身の血が沸騰しているかのような高熱。汗が滝のように頬を流れる。


 それでも確かに、強く神刻が宿るのを感じた。途轍もなく大きな力が身体の底から湧き出る高揚感。痛みを忘れてしまえるほどの絶頂。


 赤い瞳が燃え上がる。あとは、刻まれた印を解き放つだけだ。



「神刻、励起。限定解放」



 胸に拳をあてると赤く赫灼たる光が、広がる。



「《暴食gula》――!」



 神刻とは神の呪いであり、神が持つ力そのものである。


 人間が科学や兵器で対応できる呪唱とは違い、神刻――特に「二文字」以下は、到底、人間が辿り着けぬ領域の力を発揮する。そして、およそ人間では太刀打ちできない。


 神の子であるルカは。正真正銘、神の力を得る。そして、神の呪いを受け取る。


「奇怪千万、なぜ人間である君が神刻を!」


「最高の気分だ」


 光が弾けたとき、変化があったのは右の腕だけだった。


 腕から鉱石のように尖り黒光りした毛並みが生え、巨大化している。触れると凍えるような冷たい質感があった。しかし、毛並みの隙間からは炎が迸り、腕を線状に駆け巡る。


 駆け巡るのは炎だけでない。ルカの身体のなかで、受け取った一部の神刻を起点として、魂力が増していくのがわかる。空っぽだったところにエネルギーが一気に注がれ、急激な充填がされている。


 重量に耐えられず、ルカは右肩を下げて拳を地面につけた。


「無礼千万であるぞ! 君の気分など聞いてはおらん!」


「ここからが本当の勝負だよ、津川先生」


「君は自分勝手だな!」


「神だもの」


 眉を寄せ、異形となった腕を緩やかに持ち上げる。風圧か、それとも神の威圧か、黒い塵が逃げて散っていく。周囲に残るものは何もない。


「……侮っている場合ではないということか。訳がわからないが、君は愛しの御方の障害となることはわかる。ここは一意専心、取り組まねばなるまい」


 怪物に向けて異形の腕は狙いを定める。ずっと昔から自分の物だったと錯覚するほど、自然と身体が動く。無機質で鋼のような様相は固定砲台を思わせる。


 標的の怪物へと標準を合わせた。影に染まった怪物の管が対抗するように、その先端を細く鋭くさせルカに向ける。


 神の力を得た青年は愉快に笑った。


「本数なら負けるよ」


 怪物の正面からルカは手を翳した。


 毛並みが逆立つと巨大な腕が本当の鉱山のように、あるいは剣山を思わせるように、毛皮は黒く硬くなっていく。何者にも耐えうる顎になっていく。


 元のルカ自身の腕が、舌のようなものだ。短いが、味を確かめるために食べるわけじゃない。


 めりめりと音がする。毛皮が上下に割ける。


 口が、開く。


「呪唱〈消波蕭条しょうはしょうじょう〉――!」


 懲りもせず三度目の波動。達郎は後ろでもう一度構えているだろうか。

 何者をも砕く、尖った牙が露わになる。



「是は無限の飢餓である」



 神刻が呪唱と衝突するのならば、結果は一瞬。



 呪唱の一切が、消し飛んだ。



 ルカの異形の腕は生き物のように大きく口を開き、その図体は更に伸び、津川先生の呪唱を食べた。襲い掛かってきていた波動を飲み込んだ。音もなく消失し、混沌のなかへと引きずられていく。


「避けてみろ」


 そして未だ、止まらない。疾うに人間の腕の長さを超え、数メートル先にいた怪物の管まで異形の腕は迫ると、いとも簡単に噛み千切った。



 すぐさま対応して怪物は管を束にして防御態勢に入る。死を逃れるために咄嗟にとった怪物の防衛本能。その姿はまるで生きているように見えた。



「献上品、感謝する」



 防御も無意味で、数多ある管を歯形をつけて食い散らかす。


 揺らめいていた怪物は咄嗟に浮いて回避する。怪物のすべてを喰い尽くさんとしていた異形の腕は、怪物の下半身だけを食い散らかした。


 しかし、どれだけ噛み砕いても血が飛び散ることもなく、怪物の中身はまるで空っぽだった。おそらく痛覚もなく、動きはまったく鈍ることがなかった。



「――――――――――!」



 怪物の咆哮で、ルカの身体が金縛りのように固まる。


 動きが止まったその隙に、怪物は管を今まで以上に長く、ルカを囲うように伸ばす。それだけではない。別の管を正面から突撃してくる。


 四方八方。ルカが腕の一本だけでは防ぎきれないように。


「冥府を守るのならば、首の二つや三つあるだろうよ」



 異形の腕の一部が沸騰する。怪物のはらわたに噛みついた腕とは別に、もう一本、腕の根本から黒い毛皮の腕が生み出された。第二の異形の腕。



「是は常世を加護する獣である」



 うねる。屈強な図体を持つ第一の腕とは別に、細く蛇のようにくねらせながら、ルカの周りを俊敏な動きで駆ける。

 速いのならば細く軽いことに大した意味はなく、ルカを囲っていた怪物の管を食い荒らしていく。


 防ぐ術を怪物は持たず、されるがままに食われては、管を増やしていた。



「はっ――」



 神刻の衝突。この場に立てた快感に、武者震いが止まらなかった。



 今まで傍で見ていただけの自分が、こうして戦えている。神の呪いを振るえている。



「ルカ、そこまでにしとけ」



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