第三章

第18話 病院にて

 翌朝。ルカはレイナを家に置いて、唯のお見舞いに病院へ来ていた。昨日の学校での事件、神に操られていた生徒と、意識を失っていた唯はすぐに病院へ搬送されていた。


 唯はすぐに目を覚まして、ルカが神殿からの帰りのときに連絡をくれていた。しかし、生徒たちはこれまでに操られていた人間と同様に、未だ意識不明のままである。


 偶然か、必然か。実際に操られた人間から話を聴くことは不可能だった。



 スライドドアを開けたルカの姿を見るや否や、唯の顔がパッと明るくなった。浴衣型の青色の入院着姿で、ベッドに寝転がっていた。腕には点滴のチューブがつながれている。


「ルカ君! 来てくれたんだね!」


 ベッドで横になっていた唯が勢いをつけて起き上がる。布団は放り投げられ宙に舞う。昨日、弱弱しく倒れて気絶していたとは思えないほど、強壮であった。


「元気そうで何よりだけど、あまり無理するなよ」


 唯にとっては無理をしないのが無理なのかもしれないが。無理を言っている自覚がルカにはあった。

 ルカは部屋に入る。三つベッドが並んでいるが、唯が寝ている真ん中以外は、空いていた。


「元気かどうかと言われたら元気なんだけどね。でも見て、ほら」


 すると、唯はおもむろに頭のてっぺんをルカに見せた。


「たんこぶできた。あはは」


 笑いごとで済ませて良いことかわからず、ルカは上手く笑えなかった。


「昨日は本当に助かった。星宮さんがいなかったらどうなっていたことか」


「名誉の負傷ってやつだね。ルカ君とレイナ様に怪我がなくてよかった」


「そこで他人の心配するあたり、星宮さんらしいよ」


 一番ボロボロだったのに、一番自分に興味がない。


「学校のみんなも、目は覚ましてないけど無事だって聞いた」


「星宮さんのおかげだ」


 えへへ、と唯は少し恥ずかしそうに笑う。


「ほんっとうに昨日は学校を調べに行って良かったよ。私たちが行ってなかったら色んなことが間に合ってなかったかも」


「そうかもね」


 たしかにフェイアスは人間一人ひとりの生死を気にするタイプの神ではない。もし天使学の生徒が何人か死んでしまったとして、気にも留めない。


 だが、事実としてフェイアスが簡単に、生徒の集団自殺を止めて解決した。大して力を持たないルカたちが学校に行った意味が、果たしてどれだけあっただろうか。


 ルカはベッドの横にある折り畳みの椅子を広げて、座る。

「ルカ君は、昨日のことで何か気づいたことある?」


「そうだな……昨日、天使学の生徒が教室にいたわけだけど、星宮さんはどうしていなかったんだ?」


 唯も天使学を専攻しているわけで、休日の課外学習に参加しない理由もないはずだった。


「……うーん、私もよくわからないんだよね」

 唯はポケットから飴玉の入った袋を取り出して、舐めだした。


「わからない?」


「うっかりしてること多いから、津川先生の話を忘れてただけかもしれないけど、私は知らなかったね」


「……そうか、よくわかった。ありがとう」


「えー私はわからないのにルカ君はわかるの、なんか嫌だ。思い当たることでもあるの?」


 唯は膝を抱えて体育座りをすると小さな顔を膝の上にのせた。飴玉を口の中で転がしている。




「その飴ってこの間、仕摩置先生から貰ってたやつ?」


「そうなの、これで十分お腹膨らむよー、って露骨なごまかし! 何隠してるの?」


 飴のせいで片頬が丸く膨らんでいる。不服そうな顔に見えた。


「たしかに隠してることはあるけど、病人には明かせないかな」


「むーっ、なんでよ。ひどい」


「ひどくても構わないから今日はゆっくり休んだ方が良いよ。今日までは入院するって聞いた」


「んんん、お父様にきつく言われたからね」


 眉を寄せて、苦々しい口ぶりで言う。


「これから星宮さんの他の友達も見舞い来るだろうし、待ってなよ。仕摩置先生も見舞いに来てたんでしょ?」


 その飴は一昨日、仕摩置先生が唯に渡していたものと同じに見えた。


「ううん、鈴芽先生も一緒に入院してたの。軽症だったから、朝にはあのかっこいい車に乗って退院していったけど」


「入院? 一昨日まで普通そうだったのに」


 楽しそうに唯をからかっていたのに。


「鈴芽先生も昨日、学校にいたみたいなの。グラウンドで倒れていたところを天使の人たちに助けられたって」


 メガネのブリッジに手をやる。


「天使学の生徒を狙ったときに学校にいた人間を丸ごと巻き込んでいた、ということか。すでに目が覚めているということは操られていたわけでなく、偶然巻き込まれたのか? 仕摩置先生に話を聞きたいな……」


 ルカが考え込んでいると、唯が身体を起き上がらせて下から顔を近づけてきた。長い睫毛の奥に覗かせる藍色の瞳の輝きに、見惚れそうになる。


 唯がルカの頭を軽くたたきはじめると、ようやくルカは正気に戻った。


「急にどうしたんだ」


 ルカの顔を眺めて頬を触る。唯の手のひらはひんやりと冷たかった。


「怪我もなさそうで良かったなって。ルカ君はあのあと、どうしてたの?」


「俺は――」


 逡巡する。


「特に何もしてないよ」

「ほんとにー? 気づいたら神様と一緒に住んでたからなーまた私をびっくりさせようとしてない?」


 気まずくなって顔を反らす。距離感が違いすぎるんだ、とルカは思う。


「天使が教室に残っていたあの球を解析してるくらいだよ。星宮さんが気にすることは何もない」


「うーん、そっか」


「そうそう。だから今日くらいは安心して寝ときな。万全になったら、いつでも頼るよ」



 ぱん、っと唯は手を叩いた。



「よし、わかった。今日はじゃあルカ君に任せます! 昨日みたいに操られている人がいたら、助けてあげてね」


 優しい声色に、ルカは唯から目を反らした。


「無茶言うなよ。俺には星宮さんがどうしてこんなに無理してまで、皆を助けたいのか納得できてないんだから」


 少し間が空いて、唯は口を開く。


「これから事件が解決して、普段の生活に戻ったときに、みんながいなかったら寂しいから、かな。きっと、楽しくないから。そう思わない?」



「……俺はあまり思わない」


 そのみんなに、きっと星宮唯は自分を含めていないから。


「えー、それはルカ君が普段人と話さないからじゃない?」


「うっ、それはわざとだし……」


「もっとクラスの人と話したら楽しいよ、絶対」


「それは、どうかな」


 神は自分勝手で、人間はいつもそれに振り回される。街を守護しているからといって度がすぎるほどに。



 けれど、だからといって人間が崇高な存在かと言えば、それは真逆とも思える。



「俺は楽しさよりも馬鹿を見てきたから。人間と関わるのは最小限で良いよ」


「その最小限に私が入ってることは嬉しいけどさー変なところで意地張るよね、ルカ君は。昨日も煽られてピストル出してたし」


 手でピストルのジェスチャーをすると、「ばーん」とルカの頭を撃った。


「痛いところ撃ちぬいてくるなあ」


「射的は上手い方です」


 決め顔で言う。パジャマ姿なので格好はつかない。


「自分を大切にしない星宮さんも良くないと思うけどね。他人のためにばっかり動いて、それで自分を犠牲にするのは、違う気がする」


 決め顔が崩れる。


「目の前にいる人を全力で助ける。私にはそれしかできないからねっ!」


「顔の代わりにセリフで決めてきた……!」


 唯は無邪気に笑った。



「正直に言うとね、他人のためじゃなくて、自分のためなんだよ。困ってる人がいて、それを見過ごしたら、私は一生後悔して――しちゃうからね」


 少し言いよどんで、唯は寝転がった。パジャマが着崩れて、すらっとした太ももが服の隙間から覗かせる。


「ヒーローかよ」


「そんな、言い過ぎだよ」

 そう言いつつも笑みがこぼれている。


「だからルカ君も、困ったことがあったら言ってね。すぐに駆け付けるんだから」


 Vサインをルカに送る。


「いちいち言うことがカッコいいな…………じゃあ、そろそろ行くよ」



「はーい、いってらっしゃーい」



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