第17話 欠けているもの

「俺の神刻は《 》なんだ」


 数秒、静寂が訪れる。意味がわからないというように眉をひそめたレイナが振り返った。


「どういうことだよ?」


「俺に神刻は無い。解放はできるけど、身体に神刻が刻まれていないから、何も起こらない」


「そんなことが……あんのか?」


 レイナの視線がフェイアスの方へ行く。ルカはフェイアスの表情を見る気にはならなかったが、否定しないことは間違いなかった。


 神でありながら神としての力はまともに使えない。だからこそ、ルカには人間として生きるという、およそ神には想定されない選択肢があった。


「呪唱は使えても、俺には神として振るう力がないんだ。正直、神と関わりたくもなかった。学校に行って好きな勉強をして、のんびり暮らしていければそれで良かったんだ」


 口から出た言葉に力はなく、辺りに散らばっていく。それもそのはず、人間として生きたい一方で、ルカに人間として生きるには欠けているものがあった。


「じゃあ、なんで事件に協力してんだよ。敵は神だぞ」


「それは、頼まれたから。レイナと同じだよ」


 学校ではただ一人、話をする人間。


「それにこれ以上被害が出たら休校になるかもしれない。でも人間を助けるためだけに、神だとバレたくはないんだ。星宮さんほど、やる気があるわけじゃない」


 所詮、この世界は神の気まぐれだ。


「結局、ルカも自分が一番大事なわけだ」


「そんなの、人間も同じだよ。神よりも『自分』を貫き通せるほどの力がないだけだ」


 ルカにその力があるかは、定かではないが。




 そのとき、オールが水面を撫でる音が聞こえる。水面の向こうから、いきなりボートに乗った達郎が現れた。ルカたちが来たときもきっと突然だっただろう。


「さて、他に言いたいことはあるか? なければ私は眠るとするが――」


「待て待て、ルカの神刻がねえなら、結局私らだけじゃ無理だろ!」


 下がり始めていた御簾が止まる。


「ルカとレイナなら事件を解決できる。だからこそ、任せてる」


「滅茶苦茶じゃねえか、どうやれって言うんだ」


 フェイアスが小さく首を傾げる仕草を見せる。


「どうするかは、己自身で考えてほしい。我儘なだけで、馬鹿ではないだろう?」


「よーし、敵の神をぶっ倒したら、次は貴様だ、フェイアス。覚えとけ」


 華奢な腕を突き出して煽ると、レイナはボートへと向かう。



「もう、いいのか?」



 案外、簡単に引き下がるレイナに、ルカは声をかける。


「こいつと話してもはぐらかされるだけだ、私はむかっ腹が減ったし、帰るぞ」


 それは立てるものであって減るものではないが、スルーして、ルカもレイナの後を追う。あまり長居したくない場所なことは、間違いなかった。





 乗り込んだボートが揺れる。オールを持った達郎がフェイアスに一礼すると、ゆっくりと漕ぎ始めた。


「すまない、ルカ」

 声が聞こえた気がして、振り返る。

 しかし、既に御簾は下がり、フェイアスの姿はなくなっていた。


「……気のせいか」


 途端、後ろを向いていたルカの視界に、巨大な鳥居が現れる。《催眠hypnosis》の神殿から出たようだった。地平線上にある夕日が、空の端を茜色に染めていた。

 ルカは疲れて、小さくため息を吐いた。


「さっきは悪かったな」

「え?」


 バツが悪そうにレイナは頭をかく。今までで一番、声が小さかった。


「どうしたんだよ、急に」


「まさか神刻がない神なんて聞いたことなかったからよ。イライラしてたとはいえ、さっきは言い過ぎた」


 口をすぼませて、いじけている姿は幼く映る。律儀で素直だと、思う。


「あー……大丈夫、俺が弱いことは俺が一番よく知ってるから。それに、間違ったことは言ってない」


 神だと知られたくないばかりに、唯を横目に手を抜いて何もせず、ただ見ているだけ。臆病者と言われても仕方ない、という自覚がルカにはあった。


「二回も謝るなんて、よっぽど気にしてたんだな」

「二回?」

「えっと……なんでもない」

 やはり、気のせいだったようだ。




「そうだ、達郎さんに頼みがあるんだ」


 ルカはポケットからピストルを取り出すと、達郎の目の前に置いた。金属の鈍い音がする。


「これはまた、懐かしいものをお持ちで」


「もう使うつもりはなかったけど、一人の同級生として、俺も少しくらい戦力として役に立ちたいんだ。だから、弾薬を作れるだけ作って欲しい」


「かしこまりました……フェイアス様に伝えます」


 目を反らし、達郎は悲し気な表情で言う。


「けどよ、大して情報は得られなかったな。これからどうするよ、敵の神のことは何もわからねえし、倒す方法もわかってねえし」


 わかったことがあるとすれば、敵は人間を操って殺そうとしていることと、敵が力を蓄えていることだ。教室にあった謎の粘液性のある球体――中身は空だった。


「でも敵には目的があるはずだ、だから必ずまた仕掛けてくる。俺たちはそれに対抗していくしか……ない、かな」


「フェイアスの言う通り、後手後手か。もうどうすんだよ、面倒になってきたしやめるか?」


「やめるって、フェイアス神との契約を破ったら、この街から追い出されるだろ」


「それはそうだけど……何とかなるんじゃねえか」


 冗談めかしてレイナは笑いながら言っているが、おそらくルカがここで首を縦にふれば、本当にやめてしまう気がした。


「俺はまだ自分なりに頑張るよ。それぐらいはしなきゃ、星宮さんに合わせる顔がない」


 初めから合わせる顔があるのかすら、わからないというのに。考えることをやめるわけにはいかない。これ以上は、立場がない。


 レイナは大きく伸びをしてボート上で寝転がると、バランスを少し崩してボートは揺れる。気怠そうに、目を閉じる。


「私らに何ができるんだって話だが……ルカがそう言うなら協力してやるよ。約束したばっかりだしな」



 哀愁を帯びた星空が広がる。

 心の夜は、まだ明けない。




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