第16話 催眠

「《催眠hypnosis》の結界に穴が空いた。レイナだけじゃなく事件の犯神も、その穴から侵入してきた可能性が高い」


 淡々と、フェイアスは状況の説明をする。


「こんな辺鄙な街にいったい何の用事があるのやら、困った神々もいたものだ――」



 文句を積み重ねるフェイアスが持つ盃を、レイナはいきなり掻っ攫って一気に飲み干した。



「ぷはーっ、良い酒飲んでるなあ。つまみはねえのか?」


 袖で口を拭うと、盃を投げ捨てた。


「もう一度言うぜ、フェイアス。一番、力を持っている貴様がそこでいつまでもふんぞり返ってる場合か? それともなんだ、貴様が黒幕ってことじゃねえだろうな」


 一瞬の静寂。ルカは息を飲んだ。たしかに《催眠hypnosis》であれば人間を操り、あたかも「自分は死にたい」と思わせることもできるだろう。


 けれど。


 ルカが口を開こうとしたとき、フェイアスが高らかに笑い声を上げた。


「やっぱりレイナは面白いな。《暴食gula》が街に来たとわかったときは驚いたが、色々と真剣に考えてくれる良い神だ」


 フェイアスは手のひらを天井に向けると、盃が降ってきて、すっぽりと収まった。どこからともなくその盃が生み出された。目がおかしくなったんじゃないかと、錯覚する。


「あ?」


「レイナ、それ以上はやめておこう。この神殿は


 察したレイナは口をつぐむ。


 この《催眠hypnosis》の神殿では、内にいる人間や神を催眠状態に陥れる。相手の五感を弄ることや、深層心理にアクセスして情報を引き出すこともできる。どんなに記憶に蓋をしても掘り起こされ、丸裸にされる。


「レイナは黒幕側かもしれないとも考えていたが、違ったようだ。これまで以上に君を信頼できるようになったよ」


 部屋の壁、天井からの視線がルカの身体に刺さっている気がして、寒気がする。


「この見透かされてる感じがあるから、ここは嫌いなんだ」


 吹かないはずの風が吹く――感覚があった。レイナの静かな怒気がフェイアスに向けて吹き抜ける。


「それで、貴様が黒幕じゃねえ証拠は? さっきの人間も洗脳してるようにみえたんだが」


「この街の人間は川を渡る前に来てもらっているんだよ。洗脳はしていないし、する必要もない。黒幕ではない証拠は、特にないかな。いくらでも怪しんでくれて良いよ」


「あぁ――――? ふざけたこと言いやがって、私は決めたぞ! フェイアスが黒幕ってことにして一発ぶん殴る!」


「だけれど、私がいなければ生徒による集団自殺が止められなかったのも、事実だろう? 私が黒幕なら、あそこで神刻を解放する理由はないはずだ」


「ぬぬぬぬ……」

 

 奇々怪々な存在を怪しむとは、少し当たり前な気もするが、神のなかでも胡散臭い方の部類に入るのは間違いない。



「可愛いレイナに教えておくけどね。そもそも、黒幕探しはしない方が良い」



「あ? 何言ってんだ」


「相手は神だ。呪いを超えた刻印を持つ存在。どんな超常現象が起きても『神だから』という理由で片付けられる」


 証拠など簡単に操作でき、消滅でき、偽造できる。こちらから黒幕を見つけ出すことは不可能に近い。


「敵が誰かも、どうやって人間を操るかも不明。だからこそ敵が尻尾を出してくるのを待つしかない」


「それは――――ちっ、そうだな」



 苦虫を噛み潰した顔で言う。レイナの顔を見ながら、フェイアスは盃に口をつけた。




「だけど結界の修復やら何やらで私は多忙でね、同行することはできない。その代わりにルカが事件の解決に協力すると聞いたが」


 フェイアスは意外そうな声色で言った。


「ルカがいても、代わりにはならねえだろ。ニンゲンが死にそうってのに、神刻を解放しねえし」


 吐き出せないイライラをルカにぶつけるように言う。


「多少、頭が回っていたとて、オモチャを出したくらいで何もしなかったんだからよ」



「それは」



「神じゃないと言うのなら、代わりなんて務まらねえ」



「…………」



 黙りこむルカを見てレイナは踵を返すと、船着き場でしゃがみ込んだ。


 一息、吐く。


「俺の神刻は《 》なんだ」




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