第15話 神殿

 神殿の様相は、街を守護する神によって大きく変わる。人間とどういう関係を築くか、どういう立ち位置であるべきと考えるか。


 人間と親密な関係を作っていくのならば門戸を広げて、人間が神殿へと入りやすくなるような造りを。神としての威厳を強調するのであれば、豪華絢爛、巨大な神殿の造りを。


 フェイアスの場合はというと。




「渡るのが面倒なんだよな……」


 静寂広がる森を抜けると、一面の湖がある。鏡のように、斜陽の茜色と藍色の空模様を映し出している。そして、その湖の中心に大きな朱色の鳥居が、一つ。


 ルカとレイナ、達郎は小さなボートを漕ぎ、鳥居へ向かう。


 小さく波立つ水面をルカはじっと見つめる。暗いなか、ぼんやりと映る自分の顔が揺れて、表情は見えない。寝ているレイナの吐息の音が微かに聞こえる。


「ルカ様が神殿に来るのは何年ぶりでしょうか」


 達郎はオールをゆっくり動かしながら、思い出に浸っていた。


「五年くらいじゃない? そんなに昔でもないよ」


「ええ、私もつい昨日のことのように感じます……でもそうですか、もう五年も経ったのですね。いかんせん、最近は一年があっという間に過ぎてしまいます」


「なにそれ、言ってることが神みたい」


「私の場合はただ無駄に年を重ねてしまっているだけなので……」


 風は吹かない。ここだけが、世界に取り残されたように、ここだけが別の世界のように、孤独を感じさせる。それが余計にノスタルジックな気分にさせる。


「ルカ様は最近どうですか? 天文学の勉強をしていると唯から聞いております」


「俺は、ただこなしているだけだよ。どっちかっていうと、星宮さんの方が天使学を放っておいて他の勉強を頑張ってる」


 そのせいで津川先生からは怒られているし、かといって他の教科の成績は追いついていないけれど。


「私としては、嬉しいことです。本当は唯に好きなことをしてほしいですから」


「達郎さんは良い父親だよね。どっかの神に聞かせてやりたいくらい」


 後ろから夕陽が差し込み、暗く陰になっている鳥居が、もう目の前まで迫っていた。


「……フェイアス様も、ルカ様のことを深く考えておりますよ」

「どうだか」



 二柱と一人を乗せたボートが鳥居をくぐり抜ける。



 その瞬間、眼前に見えていた湖と森の景色が消えた。消えたというよりは切り替わったというのが正しいだろうか。そして同時に一瞬、火花のような何かが焼けたような音がした。


 映画のシーンが変わるように、目の前には畳の部屋が奥に伸びていた。


 手前は小さな船着き場となっており、船着き場の先にある畳の上では、数人の人間が正座をして合掌し、お辞儀をしている。微かに、焦げた臭いがした。


 人間たちが頭を深々と下げているその先は、御簾によって仕切られている。御簾の奥には、影が一つ。


「お、やっと着いたか」

 後ろでレイナが眠たそうな声で起き上がる。そしてすぐに御簾の奥の影に目線が行くと、怒りの鋭い矛先が向けられる。


「フェイアス! まだそこから動いてねえのかよ」


 祈りを捧げていた人間たちは達郎に連れられ、ルカたちと入れ替わるように、うつむきながらボートに乗っていく。煽るレイナには目もくれない。むしろ、目は瞑っていた。


「では、私はこの人たちを送っていきますので、これで失礼いたします」


 達郎は人間たちを乗せたボートで再び引き返すと、その姿はすぐに跡形もなく消えた。




「……ルカ、レイナ。学校の件はご苦労だった」


 いつの間にか御簾は上がっており、フェイアスはその姿をさらしていた。


 白の着物に、黒い羽織。手には酒の入った盃。艶のある神々しい白髪が目にかかり、前髪から覗かせる真っ赤な瞳は、レイナを見下していた。

 二十代くらいの青年の出で立ちをしていても、人間ではおよそ持ち合わせない異質な雰囲気が、ルカたちに圧力をかけていた。


「気取ってんじゃねえ! あやうく死にかけたじゃねえか、契約を破るつもりか?」


 パーカー姿のレイナが声を荒げる。服装はニートのような様相をしているが、対峙する視線は覇気があり、フェイアスと負けず劣らずのオーラを醸し出していた。

 神殿に入っていきなり、空気がひりつき始める。


「死んでないだろう、私は成果主義なんだよ」


 笑うフェイアスは盃を傾けた。清流のごとき酒が口に注がれる。


「そこでいつまでもふんぞり返りやがって、貴様自身が動いていればもっと早く学校にも来れたよな」


「怖いなあ」


 飽きれた笑い声を上げる。


「レイナ、君との契約は必ず守る。でも、それ以上のことを求められても、君のために何かをするつもりは微塵もない」


「は? なんでだよ、私のことを大切にしろよ」


 いつもの二倍の我儘発言を放つと、レイナは我が物顔で畳を歩く。胸を張り、足取りは軽やかに、艶やかな黒髪が揺れる。そして、フェイアスの目の前で腕を組み、仁王立ちで構える。


「私がいなきゃ、街が無防備だったことも知らなかったんだ、その借りの分くらいは私の言うことを聞いても良いんじゃねえか?」


 その言葉に、フェイアスは黙り込み、レイナを不服そうに見つめる。


「無防備だったって、どういうことだよ」


 置いていかれているルカは焦って後ろから声を上げた。レイナはパーカーのポケットに手を突っ込み振り返った。


「ルカもこの街がフェイアスの結界で守られていることくらいは、知ってるよな?」


「もちろん。街を守るために簡単に外から入れないようになってる」


「それなら、私がいるのはおかしいだろ?」


 となり街からやってきたレイナ。ルカが持っていた疑問は、余所者であるレイナが人間を助けていたことにあったが、それ以前に、そもそもなぜレイナはこの街に入ることができていたのだろうか。



「《催眠hypnosis》の結界に穴が空いた。レイナだけじゃなく事件の犯神も、その穴から侵入してきた可能性が高い」

 

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