第14話 神刻

「神刻励起、限定解放」



 どこから、というよりも頭に直接響いてくるような声がした。威厳を持った声だった。


 黄金の波動が教室に広がる。机、椅子、黒板、教室全体が地震でも起きたようにガタガタと波動に合わせて揺れ出す。最初は小刻みに、段々と派手に大きく鳴り動く。


 直後、すべてを覆いつくすような眩い光に、誰もが目を細めた。


 そして一瞬で光は、閉じた目の中心に収束する。窓から差し込む陽の光さえ吸い込んで、教室を一気に暗闇へと落とし込む。


 しかし、ルカになぜか不安はなかった。内ポケットに入っていたピストルがするりと抜けて床に転がる。




「《催眠hypnosis》」




 閉じた目が開かれる。赫い瞳がギョロリと教室全体を見回すと、先ほどとは違い赤黒い波動が教室を揺れ動かし始める。


 暗闇だった空間が、焼け爛れた色の世界へと変貌を遂げる。

 この空間を支配されたかのような感覚があった。


「これは……!」


 ナイフの落ちる乾いた音が次々と重なって鳴る。


「ぐあああああああああああああ!」


 直後に、低く鈍いつぶれた声が不協和音のように響く。そして生徒が次々と意識を失って、天井からつられた糸が切れた人形のように、床に突っ伏して倒れていった。


 呆気にとられたように口を開けてそれを眺める唯。ルカも手を止めてただ眺めるだけだったが、ようやく頭が回ってくる。


「やっと来たか!」




 三栗を最後に、生徒全員が意識を失いその場で膝をつく。その様子をただただ上から眺めていた黒い球体は、能力を発動させ終えると回転しながら小さくなって、跡形もなく消えた。


 動けない生徒たち。動かないルカたち。


「ルカ君、いったい何が……」


 支配されていた色を取り戻すように、教室のなかに午後の明るい陽の光が差し込み、意識を失っていないルカたちの心を安堵の色へと染めていく。


 妙にルカはその光を綺麗だと思った。





 突如、教室の二つの扉が開く。ぞろぞろとオレンジ色の活動服を着た人間たちが入ってきた。


 それが救助隊だと、すぐに気がつく。


「すぐに病院へ運べ! 一刻を争うぞ!」


 生徒たちのところへ集まり、怪我の治療と病院への搬送をテキパキと行っていく。

 呼吸を整えながら、ただその姿を見ているしかなかった。


「ご無事で何よりです」


 近づいてくる声。一人の人間がルカたちの方へ歩いてきた。


 帽子を取って跪く。服を破きそうなほど分厚い胸板に、盛り上がった二の腕。こめかみから顎にかけて髭が伸びている大柄の男だ。


「お父、様――」


 目が半開きになり、弱弱しい声で唯は言った。


「みんなは、無事……?」


「ああ、無事だよ」


「誰も、死んでない?」


「死んでない。唯、後はお父さんに任せなさい。こっちにも救助を頼む!」


 優しい声色に唯は穏やかな笑みを浮かべると、緊張の糸が切れたように目を閉じた。すぐに微かな寝息が聞こえてくる。


「ルカ様、ご無沙汰しております。ご支援、感謝いたします」


 大柄の男はルカに向けて頭を垂れた。ルカはこの男をよく知っていた。


「達郎さん久しぶり。俺は何もしてないよ、来てくれて助かった」


 唯の父親である星宮達郎は、このフェイアス街の天使長を務めており、神の手足となり動いている。


「その雰囲気だと、ルカを知ってるのか」


 レイナは自分の瞳を指差してルカに伝える。ルカが神であることを。


「ああ、俺の正体を知ってる。人間で知ってるのは達郎さん含めて二人だけだ。他の天使は知らない」


「よっぽど信用してるんだな。唯にすら話してねえことだろ?」


「フェイアス神が信用している人間だから、必要な理由はそれで十分だよ」


 レイナは前髪をかき上げ、つまらなさそうに机の上でだらしなく胡坐をかく。


「そのフェイアスはここには来ないで神殿に籠ってるわけだ。神刻・《催眠hypnosis》だっけ? あの球体で街を監視してるんだよな?」


「レイナ様、左様でございます。フェイアス様は街の各地に『目』を張り巡らして遠隔による神刻を可能にしております」


 当たり前のようにレイナの言葉を受け止める達郎に、ルカは違和感を覚えた。レイナはとなり街から追放されてフェイアス街に来ていた。魂力も枯れて、裸の姿で泊まるところもなくて。


 そもそも、レイナはいつからこの街に来ていたのか。


「レイナのことを知ってるのか達郎さん」


 ルカの質問に、当然のように首を縦に振った。


「はい、以前に神殿で――」




「あー間違えた! ルカ、今の話は聞かなかったことにしてくれ」




 咄嗟にレイナはルカの両耳を手で押さえた。じんじんと、耳が痛む。目の前に来たつぶらな紅い瞳から、明らかに動揺が見えた。


「そんなわけにいくか。レイナはフェイアス神から隠れてこの街にいると思ってたけど、違ったってことだよな?」


「うっ……」


「事件の調査を手伝っていたのも、恩返しというより頼まれたからだったんだな?」


 耳を押さえようとするレイナと、その手を放そうと歯を食いしばるルカは、見つめ合いながら静かに張り合っていた。


「達郎さん、レイナのことを教えてくれ」


「待て! 教えるな!」


「今から隠し通せると思ってるのか、何ならフェイアス神に直接聞いたって良いんだけど」


 苦虫を噛み潰したような顔をして、レイナは舌を出した。


「私は『フェイアスから隠れてこの街にいる』なんて言ってねえからな。勝手に勘違いしたのはそっちだ。今日手伝ったのは、別にフェイアスに頼まれたからじゃねえし」


 お互いにつかみ合っていた手を離した。


「俺と会うまで魂力を失っていたのは? フェイアスから貰わなかったのか?」


「あいつのことは嫌いだからな! 借りは作らねえ!」


「フェイアスのことがそんなに気に食わないか」


「ああ、気に食わねえな! 気は食っても魂力の足しにならねえし!」


 上手いこと言ってるんじゃないよ、とルカは言いかけたが、負けた気になってやめた。


「だけど……そうか、色々と合点がいったよ」


 レイナは人間の生き死について大して興味がなさそうに思っていた。しかし、それならば昨日の屋上で、女子生徒の莉音を助けるための行動を率先して行っていたのは

不自然だった。


 実際、レイナの行動がなければ莉音は誰からも助けてもらうことなく、屋上から飛び降りていたことだろう。


「少なくとも、屋上の件はフェイアス神からの命令があったんだな」


「いやいやいやいやいや。『命令』じゃねえ、あいつと対等に交わした『契約』だよ」


 言葉を重ねて、強くレイナは否定する。

 

 レイナはこの街で自由に過ごすことができる。その代わりに街の人間を助けること、事件について協力することを、フェイアスと契約していた。


「契約でもなけりゃ、他の神の街でニンゲンを助けたりなんかしねえよ。自分の街があったときですら、してなかったんだからよ」


「たしかに、そんな感じがする」


 傍若無人で唯我独尊。出会って一日経ったレイナへのイメージはそんなところだった。


「ルカ様、レイナ様」


 遮る人間が、一人。にらみ合うルカとレイナは同時に顔を向けた。執拗にアピールされる胸筋が目に付いた。


「ここでは他の人間の耳に入ってしまいます。一度、『神殿』にお越し頂けませんか」


「そりゃあ良い、あいつに文句の一つでも言ってやろう」


「うーん…………」


 一瞬でしかめ面になり、ルカは目を反らす。


「フェイアス様も、ルカ様に会いたいとおっしゃられていましたよ」

 裏表のない笑顔に、気が引けた。




「……神殿か」




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