第13話 人間の末路

「だから殺さないって。だけど、死ぬほど痛いかもね」


 ルカの言葉の瞬間、四葉は膝をついた。

 うつむき、内側からこみ上げてくる発作に、身体を硬直させた。


「あああああああああああああ!」


 痛みでナイフから手を放し、その場でうずくまり倒れながら絶叫を上げ始める。


「ルカ君、その銃ってフェイアス様の――」


「神刻の力を付与した銃弾。昔にもらったことがあったんだ。星宮さんのお父さんに護身用として」


 本当はフェイアス神から渡された物だけれど。


「お父様から……」


 神刻とは、その文字の通り、神に刻まれた能力のことを言う。それ故に神が物体に対して刻印を施すことで、能力の一部を物体に付与することができる。


「いったい、はぁ、私の身体に、何を――!」


 四葉は睨みつけながら、痛みに耐えるような掠れた声で言った。


「草陰さんの身体は別の神の神刻の能力によって操られてる。神刻に神刻を重ねて能力を発動させることは、身体のなかで神の力同士がぶつかるようなものなんだ。だから、人間にとってかなりの負担になる」


 呪唱でさえ人間は一つしか唱えられない。解釈を加えることもできない。それほどまじないは人間にとって負荷がかかるのろいである。


 神刻は、いわば「神ののろい」とも言える。


「神の呪いで打ち消し合って――これでもう、操られることはない」


 四葉は操られていた糸が切れたように、意識を失いその場で横になった。すぐに、唯が駆け寄る。


「そんなオモチャ持ってたんなら、最初から使えよ。何で今まで渋ってたんだ」


「いや、弾はもうないんだ。あれが、最後の一発だった」


「一発だけ⁉ なんだそりゃ、じゃあもう使えないのかよ」


「本当は神相手に使うつもりだったんだよ。でもつい……」


「なんだ、鈍くさいって言われたのそんなに気にしてたのかよ」


 ルカはそっぽを向いてボソボソと話す。


「別に、気にしてないし……」


「ルカ君も感情的になることあるんだねー」


「だから違うって…………それにしても、ここに生徒一人しかいないってなると――」

 ピストルをポケットに仕舞って四葉に近づくと、転がっていたナイフを拾い四葉の様子を見る。微かに息をしているが、すでに身体はボロボロだったことも併せると、下の階にいた生徒たち同様、すぐに病院へ行った方が良いのは明白だった。


「臭いも最初と比べて減っている気がするし、敵の神は逃げたかもな。途中の操られたニンゲンたちは、ただの時間稼ぎだったわけだ」



「……時間、稼ぎ」



 となりで介抱している唯は、か細い声で言った。


 ルカは教卓にある球に触れてみる。薄く輝いているのは、呪唱もしくは神刻の能力が、発動した痕跡の可能性がある。


 しかし、ルカはその球体の異変に気付いた。


 よく見ると、すでにその球体は割れているのだった。裂け目を広げてみると、粘液の筋が伸びていて、ルカは目を細めたが、球体のなかを覗いても中身は何もなかった。


「この球体すら処理させようとしてたってことは、中身を持って逃げたのか?」


「はっ、ニンゲンを駒に使っておいて神自身は一番にいなくなるとか、とんだ腰抜けだな!」


 結界の件で恨みを持っているのだろう、荒々しくレイナは叫ぶ。



「そうなると後は下にいたみんなをどうにか――」




 唯は言葉を切った。何かに気づいたように振り返る。



 そのとき、閉めていた教室の扉が、勢いよく音を立てて開いた。



「アァー……」



 鈴屋三栗だった。意識は虚ろに暗い空気を引き連れ、うつむきふらふらと歩きながら、教室のなかに入ってきた。

 人間の意思はすでに失っていると言える、気味の悪い挙動をしている。


「もう追いついてきたんだね」


 ぞろぞろと、生徒たちが教室になだれ込んでくる。ゾンビのように唸り声をあげて、言葉を発することができなくなっているように見えた。


 言葉を紡ぐことは生者しかできないというのに。


「さあ、どうするよ。ここに追い込まれちまったわけだが」


 唯は大太刀を作り出し、堂々と、構える。


「ここで逃げるわけにはいきません。私たちが学校から離れたら……」


 そこから先の言葉を唯は言い淀んだが、わかっていた。「あの御方」のために命を張り、そのあと、この生徒たちは死のうとするだろう。


 ルカはこれまで操られていた生徒を思い返す。


 莉音、四葉。二人は自らの意思で自らの命を絶とうとしていた。「あの御方」からの命令が他にないと、黒い塵が身体を啄み始め、自殺を図ると推測できる。


 では三栗を含めた生徒たちはどうなのだろうか。


 三栗はルカたちの前で死のうとはしなかった。「あの御方」が逃げる時間を作るために、立ちふさがる必要があったからだ。



 ――しかし、その神はもういない。



 生徒たちの動きが止まると、天井を見上げた。


「まさか」


 そうつぶやいたとき。三栗を含め教室の後ろでひしめき合っていた十数人の生徒は、持っていたナイフを一斉に自分の首元に運んだ。



 心臓が跳ねる。



「――――っ! 待って!」


「流石に趣味が悪すぎるだろ!」


 三栗はナイフを持つ手を震わせ、穏やかな顔をしていた。与えられたすべての課題をやり終えて、解放されたときの湧き立つ笑顔があった。



「ようやくボクたちはやり遂げたんだ!」




 言葉を交わすことなく走り出そうとした唯がつまずいて、床に倒れた。今までに見たことない光景だった。


「はあ、はあ、待って、お願い……!」


「星宮さん大丈夫⁉」


 唯の膝がガクガクと揺れている。顔も火照って赤くなり、汗が顔から滴り落ちていた。顔から落ちたせいで鼻から血が垂れている。


 先ほどまで堂々と立っていたはず。でもそんなものは見せかけで。身体がもう動かないほどに唯の体調は最悪だった。


 ルカはレイナに視線を送る。が、レイナは首を横に振った。


 言いたいことはわかる。ルカとレイナがたとえ呪唱で生徒たちを助けようとしても、精々数人。全員を死なさずにできる方法なんて、咄嗟に思いつかない。


 いやそもそも、そんな方法なんて元から無い。学校に神が侵入して、天使学科の生徒を操っている時点で、誰も死なせないことが不可能な話だった。


 傲慢な望みだったんだと、思い知らされる。


 唯が、床をつかみながら四つん這いで前に進む。足掻いていた。


「絶対、助ける……! 誰か死ぬなんて、絶対、絶対させない!」


 唯の言葉は、操られている生徒に届かない。ナイフの刃先が首に触れ、薄い皮膚は切られ、一筋の血が首筋を流れる。


 死の様子を見せつけられる。下の階で各々が死んでいれば良いものを、わざわざルカたちの前に現れて集団自殺を図ろうとしている。


 目と鼻の先にある凶行さえ止められないのかと煽るように。


 如何に非力であるかを、まざまざと見せつけられる。




「やっとこれで、安らかな世界へ行ける――」




 一雫の涙が、頬を伝う。


「っ、呪唱――!」


 ルカは叫んだ。せめて最小限度の被害に抑えられるように。今ここで、生徒が全員死ぬようなことがあったら、唯はもう立ち直れないという直感があった。




 だからすぐには気づかなかった。

 空中に浮かぶ、閉じた目が描かれた大きな黒い球体に。




「神刻励起、限定解放」




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