第12話 鉄砲

「急ごう。追いつかれる前に」


 ルカの言葉に、後ろ髪を引かれていた唯は唇を強く噛み、前を向きなおした。




 黄金の線は三階を飛ばして四階へと伸びていく。操られている生徒の姿は見えないが、下の階からは雄たけびや甲高い声が未だ聞こえ、追ってきているのが分かった。


「上の階に行くほど生徒が増えると思ったが、全然そんなことねえな」


「逃げると思って、下の階に多く配置させていたんじゃないかな」



 神相手に正面突破してくるとは、思いもよらなかったことだろう。



「それを見越してたのか」


「神のレイナがそう考えるなら、敵の神も同じかと思って」


 ケラケラとレイナは笑う。


「神に立ち向かえるとか勘違いも甚だしいが、判断は間違いではなかったみたいだな」


「それに、操られてる生徒の数はそんなに多くないのもある。さっきの人たち全員、天使学の生徒だったから」


 でも、それなら。

 首を振る。疑問に思うこともいくつかあったが、今考えることでないと思いなおす。


 四階に着くと、黄金の線は廊下に再び伸びる。太陽は未だ上空を支配しているというのに、心なしか廊下は暗く感じた。遠くで、車が通りすぎるエンジン音が聞こえる。



 少し進むと、黄金の線は廊下の途中で終わっていた。



「ここでお仕舞い?」


「終りかどうかはさておき、何かあったのは確かだな。呪唱はそんな万能でもねえからよ」


 線が途切れた先には第三教室と書いてある場所だった。ここは天文学の授業でよく使われる教室だ。


 災いか幸いか。扉をゆっくりと開けて、中に入る。


 がらんとした教室。奥の教卓前に、一人の人間がいた。ルカ自身、その人間とは面識がなかったが、未だ行方不明だった生徒のうちの一人であったことから、認識することができた。


 二年一組の女子生徒、草陰四葉くさかげよつは。これまで神の手にかかった生徒たちと同じく、写真で見た姿と比べて、眼鏡の奥の瞳は虚ろで、制服は薄汚れ、かなり痩せこけている。


 教卓には、大きな絹製のような球体が置かれていた。その球体は微かに光っている。四葉は、それをナイフで切り裂こうと振り上げていた。



「四葉ちゃん」



 すでに彼女とは馴染みがあった唯は、悲痛な声を上げた。



「あれ、なんでこっちに来たの? 普通、逃げるじゃない」



 片手に持つナイフをルカたちに向けながら四葉は、全く驚いた表情もなく、淡々と言った。


「そのナイフを置いて」


「何もしないよ。これ一つで唯をどうにかできるなんて思ってない。私は、私のために私を殺そうとしているだけなんだから。知ってるでしょ?」


「また、『救われる』ってやつかよ」


 生に意味はなく、「あの御方」の下で死ぬと救われる。吐き捨てても未だ余りある気味の悪い信仰に寒気がする。


「誰? 君に話しかけてないんだけど。唯も男は選んだほうが良いよ、そんな鈍くさそうな男なんか連れてないでさ」


 突然飛んでくる、言葉のナイフ。


「鈍くさいだってよ!」


「レイナ笑ってんじゃねえ!」


「ルカ君は確かにちょっと鈍くさいところもあるけど、頭は良いんだよ」


「星宮さん、そのフォローの仕方は違う気がする……」


 教室の電灯が点滅して明るさが減る。黒い塵が教室の床を這いまわっていた。そして四葉の身体に纏わりつき、喰らい始める。




 ルカはジャケットの内ポケットに手を入れた。


「言っておくけど、無策なわけじゃないんだからな」



 取り出したのは、ピストルだった。弾丸が装填された黒い小型の無愛想な銃。ルカはためらいもなく、銃口を四葉に向ける。



「何、君がもしかして私を殺してくれるの?」


「殺すなんてことが出来たら、簡単だけどさ。でもそれは嫌だってやつがいるからよ」


 唯はじっと、ルカを見つめていた。


「だから眠ってもらう。俺の力じゃないのは癪だが、神刻の力ですら起き上がれないほどの眠りを与える」



 小さな閃光の直後、派手な銃声音が鳴り響く。


 銃弾は目にも止まらぬ速さで四葉の右肩にめり込んだ。本物の拳銃に比べたら遅いが、当たっただけでも、気の遠くなるような鈍痛があるはずで、四葉は目を大きく開いて身体を前傾させる。


 恨みのこもった眼差しがルカに向けられる。


「――っ、殺すなら一思いにやってよね……! それとも、拷問の趣味でもあるの?」


「だから殺さないって。だけど、死ぬほど痛いかもね」



 ルカの言葉の瞬間、四葉は膝をついた。

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