第10話 呪いの戦い

「進もう」


 黄金の線を頼りに、レイナが先頭に立ち階段を上る。二階は先ほどと違って、窓から陽の光が差し込んでいて、明るさを取り戻していた。


 しかし、光があれば影もある。昨日、屋上で見た黒い塵が、廊下で日陰になっている場所に蠢いているのが見えた。


「くっせえなー、鼻が曲がりそうだ」


 鼻をつまんで苦しそうに話している。


「人間の姿でも嗅覚が強いのか」


「犬のときよりは劣るけどな。嗅覚、聴覚はニンゲンより敏感だよ」


 黄金の線は二階の廊下の床を真っ二つにするように、伸びている。ルカたちは、線の上を歩いていく。





 一瞬、目の前の教室の扉が、ガタッと揺れた。とっさにルカたちは身構える。勢いよく扉があいた。



 無人のはずの教室から出てきたのは、一人の男子生徒だった。



 足元をふらつかせ、教室を出たかと思うと、その場で顔面から倒れこんだ。


「君、大丈夫⁉」


 すぐさま駆け寄ろうとする唯を、ルカは腕をつかんで止めた。



「待って。何かおかしい」



 鼻血をぽたぽたと垂らしながら、その男子生徒はゆっくりと起き上がる。ルカたちに目もくれずうつむき、ぼそぼそと何かを呟いている。

 床を染める血は、新しく血が落ちる度に八方へ広がり、波打つ。黒い塵が血に群がっている。


「できる、ボクにはできる」


 男子生徒は顔をこちらに向ける。人中を流れる血を拭うこともせず、ただ虚ろにぼんやりとこちらに目をやる。


「君たちが、ボクを邪魔しに来た人たちか」


三栗めぐり君、どうして……」


「知り合い?」


「うん、鈴屋三栗すずやめぐり君。天使学で一緒なの」


 天使学の生徒。休日にも拘わらず、なぜか制服姿で二年二組の教室にいた。



「ボクはやらなきゃいけないんだ。じゃなきゃ救われない。救われないんだよ」



 血の出ていない方の鼻の穴を押さえると、三栗は鼻をかむように勢いよく息と血を出す。制服が血しぶきで赤黒く染まった。


「何をしてっ……」

「こんな世界で生きても、無意味だ。楽しいこと、嬉しいことがあってもそれは一瞬で、どれだけ長く苦しい時間を耐えても、死んだらボクら人間は何も残らない」


 心を吐き出すようにしゃべっている。


「星宮さんも、そう思わないかい?」


「…………」


 息遣いは粗々しく、瞳孔は大きく開かれる。


「だから……邪魔をしてくるのだとしたら、たとえ相手が君だとしても、ボクは、ボクたちは殺さなきゃいけないんだ!」   


 鼻血を拭い、床に手をついた。


「呪唱、〈血溜ちだまりつるぎ〉」


 床に浸っていた血は蛇のように宙へと上昇する。流れる血の水は動きを変化させながら、剣を象る。三栗の目の前に、血で作られた両刃の剣が現れた。

 自らの血を引き換えに生み出される剣は、血を多く使いながら、流動的ではあるがその形を保っていた。


「……隠してたんだね、三栗君。呪唱は使えないって授業のときは言ってたのに」


「偶然、そうなっただけだよ。それに、これでボクがあの御方の下で死ねると言うなら……なりふり構っていられない」


「あの御方、とは?」


 ルカがすかさず問いかける。

「美しい神様だよ。あの御方がボクたちを――――」



 突然、三栗の頭が微振動して、止まった。人間が出来る動き方では明らかになかった。


 話すことをやめ、血の剣を手に取る。そうするよう操縦されているみたいに。


「邪魔者は、殺す」


 三栗とは別に、廊下の先の階段から三人の生徒が足元をふらつかせながら下りてきた。包丁やバットといった凶器を携えてルカたちを睨みつける。


「邪魔者は、消す」


 後ろから足音が複数鳴る。振り返ると、三人の生徒が同じように凶器を携えて一階から上がってきていた。

 目の下は真っ黒なクマができ頬もこけている。弱り切った姿だが、その反面、明確な殺意を感じざるを得なかった。


 となりで、唯がつばを飲み込む音がする。



「邪魔者は、たおす。あの御方のために」



 血の剣を構えた。


「おい、レイナ!」


 つまらなさそうな顔をしながら、レイナはルカの方を振り返った。


「なんだ、急に名を呼んで」

「なんだって、レイナの神刻が頼りなんだよ、いつ解放するんだ」


 天使が来ることを待つよりも、誘い込まれているとしても校舎の中に入ることを選んだのは、レイナがいるからというのが、ルカの考えだった。


 神が相手なら、対抗できるのは神しかいない。




 一つ、レイナはため息をついた。


「そうならそうと最初から言えよ、そしたら止めたのに」


「は?」


「私は《暴食gula》の神刻を持っているが、私の意志で解放させることはできねえんだ。昔、封印されちまってよ」


 ルカは思わず身体をこわばらせた。


 犬の姿に、神のなかでは異常な食欲。レイナが《暴食gula》としての特性を見せたのはそこまでで。あとは呪唱しか使ってこなかった。



「嘘だろ……⁉」


「こんな状況で嘘つくかよ。でも――」


 三栗がこちらに向かって走り出し、血の剣を振りかざす。その顔は狂気に満ちていた。そして背後で近づいてくる足音も、ルカは頭の片隅で認識した。




「大丈夫だよ」




 振り下ろされた血の剣を、唯はタイミングを合わせて刀身の横を蹴り上げ、たやすくはじいてみせた。


「いとも簡単に……!」


「ごめんね、三栗君。よくわからないけど、私はここで戦うしかないんだ」



 唯は強く合掌した。音が廊下に響き、鳴る。手のひら同士の隙間から、光が漏れだす。全ての敵を薙ぎ払う、英雄の武装。


「呪唱、〈無窮光穿むきゅうこうせん〉――!」


 呪いとともに華奢な手を大きく広げる。黄金の輝きは大太刀の形をしており、光が消える前に唯は左手でつかみ取ると、カチッと音を立て、鯉口を切った。


 それを見て、ルカはレイナの腕をつかみ、その場でしゃがみこむ。


「私は、正面から立ち向かうことしか、できないから」




 柄を握った瞬間。一閃。




 疾風のごとき速さで、三栗の持つ血の剣は真っ二つに斬れ、形を保てず力を失い霧散した。


 ほぼ同時に、ルカたちの後ろの窓ガラスに横に大きくヒビが入ると、粉々に割れ、廊下に飛び散る。背後に迫っていた生徒たちが恐れて飛び退いた。



 残心。血の雫が、鋒から滴り落ちる。



「バケモノが!」



 理性を失っていた三栗の顔は、真っ青に変わっていた。


 すぐさま新たに自らを傷つけ、剣を生成。血液が三栗の身体を奮い立たせ、黒い塵が脳を震わせる。どれだけの痛みがあろうと戦い続けることを強制させる。


「私は人間だよ、三栗君と同じ」


 三栗は床を蹴り、血の剣を打ち下ろす。唯は刀身の腹で受け止め、柔らかに流して弾く。


 血と光。異質ではあるが、剣と剣がぶつかる重たい金属音が周囲の空気に衝撃を与える。


 唯は削り合いに真っ向から応じ、しなるように腕を振り剣速を上げていく。火花を散らしながら交錯するたび、三栗は唯の剣圧に押され始めた。



 光の大太刀が血に染まっていく。



「血を浴びたな!」


 ガクン、と大太刀が唯の意思とは別に、揺れる。


 突如、手に持っている大太刀の刃先が、勝手に持ち上がり唯の首元を狙った。


 三栗自身の血で生成、もしくは血を浴びた武器を思うがままに操作する、呪唱〈血溜ちだまりつるぎ〉が唯を襲う。咄嗟に唯は大太刀から手を離した。


 唯の意思により大太刀は形を失い、光の泡となる。その隙を三栗は見逃さない。赤黒く不気味な剣先が風を切り、迫る。


 それでも唯に焦りはない。


「――これしき!」


 両手を開くと、光の泡が一瞬にして集まり螺旋を描いて、形をつくる。握りしめるは、光を纏った双剣。


 煌めく双刃が一気に加速する。鼻先にあった剣先を薙ぎ払う。


 更に速度を限界まで上げる。ルカの目には無限の数の剣を振っているような、残像が見えた。



 速く、速く、もっと速く。



 唯の攻撃を必死に対応する三栗だが、徐々に速度についていけなくなる。剣に重さが無くなっていく。

 それでも唯は三栗を傷つけたりしない。剣が向かう先は常に血の剣で、はなから三栗本人ではない。


 唯の数十の剣撃に耐えられず、血の剣は再び形を保てなくなる。この世の一切は無常で、無情にも霧散した。




「あり得ない……!」


「みんなを助けるためなら、私は動けなくなるまで戦い続ける。私に出来ないことなんてないんだから!」


 血で染まっていた双剣を刀に切り替えると、刃先を無防備な三栗の首元に近づける。藍色の瞳は鋭く睨んでいた。



「降参して。私たちは三栗君をこんな目に合わせた神様に会いたいだけ。友達を殺したくない」


 空気が張り詰める。が、反して三栗は薄ら笑いを浮かべていた。

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