第9話 平和じゃ済まない
それなのに、学校には着くことが出来なかった。
「なんで……?」
進んだ先には、ルカの住むアパートがあった。
「確かめながら、行ったよね⁉」
「ああ、間違いない」
見失うことも彷徨うこともなく来たはずだ。
唯は大きくうろたえていたが、ルカのなかでは、疑念が確信に変わっていた。
明らかに、外部から精神的な攻撃を受けている。学校へ誰も近寄らせないように動かされている。
「……神刻か」
昨日の事件で、莉音に巻き付いていた黒い塵。あの程度なら、人間の犯行という可能性も捨てきれなかったが。
「犬の姿になれるか、レイナ、サマ」
少しぎこちないルカに、腰に手を当てたレイナは首を傾けた。
「できるけど、必要か?」
「普通に歩いて行って着けなくなってる。学校の匂いを辿ることができれば、もしかすれば掻い潜って行けるかもしれない」
眼鏡を外し、レイナの眼には鋭い光が走った。
「奇々怪々ってやつか、おもしれえ。今日も今日とて、平和じゃ済まなさそうだな」
レイナは顔に垂れる前髪を雑にかき上げると、紅い瞳から炎が浮き出て揺らめいた。
白い肌は顔から全身に向けて真っ黒な毛皮を纏い、背を丸めながら身体を縮ませていく。尖った犬の耳が生え、犬歯が鋭く尖る。
着ていた服はするりと地面に落ち、姿を変えたレイナは服からゆっくりと抜け出してきた。
「話には聞いていたけど、本当に昨日のワンちゃんがレイナ様だったんだね」
神の姿は人間と同じ姿をしていることが多い。ただ、神にとって己の姿かたちはさして重要ではなく、神刻の影響で姿を変えられる神も、多くいる。
「あとは、これで学校まで行ければ良いんだけど……星宮さん、天使長に連絡しておくことできる?」
「うん、しておくね」
低い声でレイナが唸ると、空を仰ぎ鼻を動かし始めた。
「ルカ君これってやっぱり神様の仕業かな」
「考えたくもないけど、他の神がこの街に侵入してきているんじゃないかな。それで誰にも見つかりたくないことを学校でしてる、とか」
街に侵入しても特に悪さもせず、呑気な神もいるわけだが。しかし、そもそも他の神がどうして街に来れているのか、ルカにとってわからないことだらけだった。
「……そうだよねー、どういう神刻なんだろう」
「記憶の操作、かな」
レイナはゆっくりと確かめるように歩き出す。
「唯は学校へ行く道順思い出しながら、歩いていたよね。だから、もしその記憶が間違った道を覚えていたら」
「学校にたどり着けない……記憶がいじられているってこと?」
道が変化しているわけでもなく、怪物が道をふさいでいるわけでもない。
「だからこそ嗅覚なら辿り着けるんじゃないかと思って」
朝歩いた道をもう一度歩いていく。どこで道を間違えて学校を通り過ぎたのか、唯もルカもわからないけれど、あとはもうレイナに託すしかない。
「匂いの記憶すら変えられてることってあるのかな」
「多分ない。これだけ広範囲だと対象は絞られているだろうし、敵の神がレイナの存在を知らないはずだから……」
自嘲気味にルカは笑う。
「これだけ考えて無理だったら、かなり恥ずかしいやつでは?」
遠慮気味に唯は笑う。
「そんなことないよ、ルカ君は……きっと大丈夫。だって、ほら」
「ワンッ!」
住宅街を抜けて曲がったその先には、久須志学園の無機質な建物が大きくそびえたっていた。
学園の外から見る分には、神がいるような怪しい雰囲気は感じ取れず、しかし、平日の賑やかな声が聞こえないで静寂が広がっているせいか、昨日の事件のときを想起させた。
「特に変わった感じはしないねー……」
全く車は通らず、レイナを先頭に車道を横切り、学校の正面へ向かう。校門は休日ではあるが完全に開いており、神刻で惑わしてきていたことを忘れてしまいそうだった。
ただ、やはり人の姿は見えない。
「隠したいのか歓迎しているのか……」
鬼が出るか蛇が出るか、はたまた神が出るか。予測できない不安だけが広がる。
レイナは揺れ燃える瞳を弱め、再び人間の姿に戻った。
「は、はだか……」
やる気を出していた唯は頬を赤くして、小さく声を上げている。
「だいぶ臭うぞ、ここ」
「臭う?」
「昨日と同じで嫌な臭いだ。この神刻を持ってる神は、かなりニンゲンを殺してるだろうな」
ルカが腕にかけて持っていた服を、レイナに渡している間も唯はおろおろしている。
「臭いでそこまでわかるのか」
「というより、飛んでる黒いゴミみたいなのが臭うんだよ。敵の『神刻』の能力の一つなんじゃねえかと思う」
屋上で、生き物のように莉音の身体にまとわりついていた、あの黒い塵を思い出す。
「この中にも黒いゴミが大量にいるんだろ。まだあれが何なのかはわからねえが、気をつけておけよ」
ルカはうなずくと、一歩、学園内に足を踏み入れる。続いて、服を着ながらレイナも入る。
――突如、突き刺すような痛みが全身に走った。
続いて、心臓が波打つ感覚。
「イッ――――」
ルカは歯を食いしばって背中を丸める。となりでレイナも苦しそうに身もだえていた。
「ちょっ、大丈夫⁉ いきなりどうしたの⁉」
唯も学園内に入っているが、ルカとは違って痛みはないみたいだった。
「大丈夫……油断した」
「くそ、呪唱の結界かよ、この神は性格も悪ぃな!」
荒げたレイナの声が響くが、特に周りに変化はない。
「入れはしたけど、入ったことは神に伝わっているだろうな……唯は平気か?」
「うん、私だけ何もなかった」
効果対象は不明だが、違いがあるとすれば神か人間か、ということだろうか。神鏡で隠しているというのに、この呪唱は突破してきたことになる。
止まるわけにもいかず、既に開いている校舎の扉を通り、玄関に入る。
電灯はついておらず、均等に並んだ下駄箱は奥に行くにつれて陽の光が届かず、薄暗さが満ちている。
「なんか気味悪いねー、気分悪くなってきた」
土足厳禁の張り紙を無視して、靴のまま一階の廊下を歩く。
「全く敵が襲ってこないのがよくわからないな……臭いで誰がどこにいるかわかったりしないか?」
「酷い臭いがそこら中からしてるせいでムズイな。だがまあ、方法がないわけじゃねえ」
すると、レイナは自分の髪の毛を一本、引き抜いた。首にかけられた金の鎖が微かに揺れる。
「呪唱、拡大解釈」
黒い髪の毛が、黄金に輝きだした。呼応するように鎖も小さく輝きを放つ。
「〈一閃ノ
手を放すと、髪の毛は地面までゆっくりと落ちていき、その瞬間、床をすり抜けると同時に水面に落ちたときのように、幾重にも輪を描いて波紋が広がる。
少し時間が経ち、一本の黄金の線が波紋の中心から伸び始めた。その線は床をなぞっていき、階段を上っていく。ルカたちの道しるべとなっていた。
「でしゃばると災難にあう、だが、何でも良いから行動すれば幸運に巡り合える。そういう
「流石です、レイナ様」
黄金の線の先にあるのは災難か、幸運か。どちらにせよ行動しなければ何も得られない。現状が続くことで、緩やかに事態が悪化していくことが一番良くない。
「進もう」
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