第8話 学校への道

 先を歩くレイナが、道で声をかけられ立ち止まっている。そして気づけば手のなかに収まっていた美容院のビラをまじまじと見つめていた。


 天気の良い午前、休日ということもあって人通りは多い街中を進んでいく。レイナはスペアの神鏡をかけ人間のふりをしてもらっていた。犬耳も食事のおかげで引っ込められている。


「ねえ、ルカ君」


 ポニーテールを揺らしながら、なぜか肩を動かし準備運動をしている唯は、落ち着かない様子だった。


「レイナ様から、その……お許しがあって、ため口で話しているんだよね?」


 今朝のことを思い出すと、人間と神にしては距離が近すぎていたことに間違いはない。

 ルカは気まずくなって羽織っていたジャケットの襟を直した。


「ああ、そんな感じだよ」


「だよね! 私らしくないんだけど、やっぱり家柄のせいもあって、どうしても細かいところが気になっちゃって」


 天使長を親に持つ家庭の教育。加えて天使学の勉強。唯は、神の測り知れない力や神が天地を支配する存在であることを、人間のなかではより強く認識してきた。


 それゆえに誰よりも畏怖している。


「ため口は良いけど、出来ればレイナ様のことを呼び捨てにしないでもらえないかな。聞いてる私がひやひやしちゃう」


 ルカは頭の中で、「レイナ様」と言っているのを想像して、眉間にしわをよせた。


「善処します」


「それしないときに言うやつー、お願いだよルカ君。神様を怒らして良いことないんだって」


 怒らしても、調子に乗らしても、良いことないのは確かだ。


「わかってるよ。レイナの力は必要だ。でも……良いのか?」

「良いのかって?」


「レイナがこの街にいるってことをフェイアス神は知らないわけで、それを報告しないのは立場上――」


「――たしかに、まずいかも」


 うろたえる唯の話を遮るかのように、レイナは仁王立ちで構えていた。手には既にくしゃくしゃに折れ曲がったビラがある。


「どうしたさっきから、顔を近づけてイチャついて……まさか唯とルカって」


「な、なに言ってるんですか、レイナ様!」

「あのなあ……」


 慌て、呆れる唯とルカの顔を見てニヤニヤしている。


「ひひっ、楽しーな」


 フェイアスにレイナのことを隠すことはやめようと心に決めたルカだった。


「なあ、あとどれくらいで着くんだ? 結構歩いたよな」


 左に曲がり大通りから外れて細い道に出る。ぽつぽつと店が並ぶが、歩く人は減っていた。


「もーすぐじゃないですかね、レイナサマ。それとも、もう疲れちゃったんですか?」

「なんでそんな喋り方なんだ? きもっ」


 純粋な悪口が、唯とレイナの板挟みにあっているルカの心にグサッとくる。

 ルカがレイナに貸した、人が輪になっているイラストが描かれたパーカーが煽っているように見えた。


「俺の気も知らずに、この駄女神は……」

「なんか言ったか?」

「なんでもナイデスヨ、メガミサマ」



 不貞腐れていると、唯がとなりで立ち止まった。



「あれって……」


 唯の目線の先には、津川先生が周りをしきりに見回しながら歩いていた。片手にはアタッシュケースを持っている。


「津川先生だ、おーい!」


 わかりやすく肩を跳ね上がらせ、後ろを振り向いた津川先生は露骨に嫌な顔をしていた。


「これは、廃忘怪顛。どうして星宮嬢がここに……」


「そりゃ休みの日だからね。先生なんか焦ってる?」


「そ、そんな亀毛兎角な話ありませんよ。私はただ、仕摩置先生に頼まれて買い物をしに来ているだけです」


「それで、舞い上がっちゃってるんだ」




 明らかに慌てている津川先生を眺めていると、レイナが袖を引っ張ってきた。



「なんであのちょび髭のニンゲン、いちいち呪いをこめて話してんだ?」



 レイナが言っているのは津川先生の独特な言葉の使い方だろう。


「あの人は学校で天使学を教えているんだけど、新たな呪唱を生み出すために話しているときも唱えているんだってさ」


「新しくか……呪唱はわかってねえことも多い、試してみる価値はあるのかもしれねえな」


 レイナは髪の毛をくりくりと触りながらぼやき、自分の世界に入っている。


「それでは、私は多事多端ですので、良い休日を」


 あっさり、されど綺麗なお辞儀をすると、津川先生は背を向けた。




「はーい、私たちこれから学校に行くから、津川先生が頑張っていたこと、鈴芽先生に言っておくね!」




 唯の言葉が発されてから、数歩。歩いていた足をピタッと止め、津川先生は振り返った。怪訝な顔をしている。


「学校……? 意味不明、どういうことですか?」


 意味不明、その言葉がむしろルカと唯にはわからなかった。


「昨日の事件を調べようと思って」



「いえ、どういうこととは理由を聞いているのではなく、それならばどうして向こうから歩いてきたのですか、という意味です。言っていることとやっていることが支離滅裂ですよ」



 息を飲んだ。




「えっ……あ」


 ルカを見る唯の顔は、ぎこちなく笑っている。



「あー本当だ、私たちってば何をやってるんだろ。寝ぼけていたかな。先生気にしないで!」



 なぜか、ルカは昨日の唯との会話が一瞬、脳裏を過った。


 津川先生の言う通りだ。ルカたちが歩く方面に学校はなく、むしろ逆方向だった。

 何でもない休日に、支離滅裂な言動をしている。発言と行動の辻褄が合っていない。


「ふむ。疲労困憊されているのであれば、星宮嬢も時には休むことも必要でしょう。それでは改めて失礼致します」


 再び華麗なお辞儀をすると、そそくさと歩いて行ってしまった。それを、ルカと唯は呆然と眺めることしかできなかった。


「おい、二人ともいったいどうしたんだ」


 きょとんとしたレイナの瞳は、眼鏡の影響で黒く変わっている。


「今日は、調子が狂ってばかりだな……」


 調子が狂っているのか、調子を狂わされているのか。


「すみませんレイナ様、私たち道を間違えてしまいました、すぐに学校へ案内しますね」


 道を間違えた、と言えばそれらしい理由だが、一年以上通っていた道をこうも簡単に間違えてしまえるわけがない。




 これまで歩いてきた道を戻っていく。今度こそ学校を目指して。



「ここはまっすぐで、次の信号を右……」


 無意識に歩けていた道を、意識的に道順を思い出しながら、唯が主導して丁寧に進んでいく。

 先ほどとは違い、今は道を間違えないように気を張っているのだから、寝ぼけていても関係ないはずだ。



 それなのに、学校には着くことが出来なかった。



 

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