第5話 夜に告げる
「俺も、神なんだ」
犬耳がぴょんと勢いよく立つ。赤い瞳も、口も大きく開け、レイナは一時停止した。
「もっと言うと、この街の神、フェイアスの息子だ」
そしてしばらくした後、咆哮。
「はあああああああああああ⁉ じゃあ、なんでこんなせまっ苦しいところに住んでるん――ぐえっ!」
バスタオルを投げつけ、レイナの顔にクリーンヒットさせた。
「うるさすぎ、隣の人からクレーム来るって」
「おお、悪ぃ……」
しおらしく頭をふき始める。
「住めば都だよ。この生活も悪くない」
「ニンゲンのふりして生活しているとはなあ……おもしれえ神もいるもんだ。その眼鏡で隠してんのか」
「ふりじゃなくて、人間として暮らしてる。これは神鏡って言うんだ。神としての特徴を隠せる眼鏡で……それで? レイナの神刻の話を聞いておきたい。うちの冷蔵庫の中身を全部食べられたら困るし」
ルカは眼鏡をかけなおす。
「私の神刻は『
暴食。際限のない飢え。
「魂力も今まで食べて補充してきたのか?」
植物も動物も空気すらも、現世に在る限り森羅万象、どんな物も魂力は持っている。魂力の補充の仕方は、神ごとによっても変わる。
「信者がいないルカもだろ?」
「そうだな、俺はフェイアス神みたいに街の信者から魂力をもらってないし」
濡れた身体を拭いていく。水が肌の曲線をなぞるように伝う。
「でもそうなると……今、魂力が枯れているレイナはやっぱり」
ルカはちらっとキッチンを見やる。
「いやいやいやいやいやいやいや、そんなわけない」
「否定しすぎで逆に怪しいんだけど」
「あのなあ、私はこう見えて現界してから長い神なんだ。獣みてえに見境がなくなったりしねえよ。となり街のときはムカついたから、ガブっといっただけでなあ」
心外だというように顔をむすっとさせた。
「おお、悪ぃ……」
「うん、わかればそれで良――」
そのとき。細く小さなお腹から、大きな腹の虫が音を鳴らした。
「………………」
しばしの二人の間には沈黙が流れる。
「……なんか作ってやろうか?」
シャワーを浴びたからなのか、恥ずかしいからなのか。レイナの頬は赤く染まっていた。
「頼む……」
フライパンの上で水分の蒸発した音が激しく鳴り、豚肉を炒めた匂いが鼻腔をくすぐる。にんじん、キャベツをフライパンに追加して、かき混ぜながら炒めていく。
レイナはというと、ルカの白いTシャツと半ズボンをぶかぶかに着てもらっている。今は机の上で寝ながら、袖から指をちょこんと出し、漫画を読んでいる。
犬耳をぺたりと後ろに倒し、顔をだらっとさせて無気力に料理風景を眺めていて暇そうだったので、本棚からルカが雑に渡したのだが、レイナはすっかり漫画にのめりこんでいた。
「これめっちゃおもしれえな!」
一冊読み終わり、赤赤とした瞳をキラキラさせながらレイナは顔を上げた。
「だよな、それ名作なんだよ」
「今まで読んできたなかでも上位に入るレベルだなあ」
「漫画よく読むのか?」
「ああ、となり街にいたときに、暇で色々読んでた」
だから追い出されたんじゃないのか、とルカは言いかけてやめた。菜箸で、しなしなになった野菜と豚肉に、塩コショウと焼肉のたれをかけて混ぜ続ける。
「私のおすすめ漫画もあるんだが」
レイナは自慢げに言った。
「なんか、変わったの好きなそう」
「誰がゲテモノ神だ!」
「言ってないよ、誰もそんなこと」
自分の街を持たずに居候しているのは確かに、風変わりな神ではあるとは言えるけれど。
「『
コンロの火を止め、出来上がった野菜炒めを皿の上に乱雑にのせる。
「なんて?」
「瘤だよ。漫画家カタリ・メジロの『身体シリーズ』の第一作目!」
「……二作目のタイトルは?」
首を傾げる姿に、レイナは口角を上げる。
「
料理を運びながら、むず痒さを感じていた。
「おすすめしといて、ネタバレしてどうするんだ」
「あ……」
机に皿を置くと、何もかも忘れたように、レイナの視線は野菜炒めに釘付けになった。
「すげえ! 本当に料理出来るんだな!」
「これくらいはいつもやってるから」
レイナは勢いよく手を合わせる。
「ありがとう、久々に加工された飯を食べられる」
「いったいどんな食生活を……」
渡したフォークを手に、口の周りの汚れを一切気にしないで、レイナは犬のようにがつがつと食べ始めた。尖った犬歯で肉を噛み切っていく。
「うまーっ!」
机の向かい側にルカも座り、息つく間もなく減っていく野菜炒めの山から、少しずつ取って食べた。入れすぎた焼肉のたれが、少し辛く感じる。
「レイナが美味しいと思うなら、いいか」
気づけば山は平になり、レイナのお腹のなかに消えていた。残ったのはタレで汚れた皿一枚。
「早すぎるだろ……」
「ごちそうさん。神の作った料理は初めて食べたよ。いつもより魂力がみなぎっている気がする」
「そうか、それで冷蔵庫が荒らされずにすむなら、なによりだよ」
レイナはすっかり満足そうに顔を緩ませて、大の字になって寝転んだ。小さな机の下で、足同士がぶつかる。
「ちなみに、皿を洗ってくれるとかは」
「皿を、洗う? 私が?」
あっけにとられた顔をして、レイナは復唱した。感謝の気持ちはあっても、手伝うという気持ちは一切ないようだった。
「郷に従う女神なんじゃなかったのか」
「従うのは一度だけと決めているからな!」
寝転んだまま、人差し指を天井に向けて突き出した。
「んー、この我儘下手物駄女神」
「短い言葉で悪口をすげえ詰め込んだな……だけど、これはルカの方が変だぞ? 神は嫌なことニンゲンが出来ることは、しねえのが普通だ」
あっけらかんと、レイナは自由を謳う。
「そんなことないだろ。レイナだって、漫画読んだり、ご飯を食べたり……人間と同じことをしてるじゃないか」
言い返されるのはわかっていても、ルカは何とか反抗したくなり、無理くり理屈をこねた。
「そりゃ、好きだからだろ。それがたまたまニンゲンと同じってだけで」
ルカは口をつぐんだ。
「この生活も、ニンゲンといるのが楽しいって言うならわかる……いや、わからないな」
人間が生み出した娯楽に興味を持つ神は少なからずいる。しかし神が人間の上位存在であるということが染みついている現在、人間と神が肩を並べることは難しかった。
「とある人に、言われたんだ。神の力を借りず人間と同じように生活して、人間として生きるか、神として生きるか選んでみると良いって」
「人間として生きるぅ……?」
頭の下で手を組み、信じられないというように語尾を上げて言う。
「でも今は嫌々やってるわけじゃなくて、それなりに楽しく人間やってるよ。天文学は面白いし、もっと勉強していきたいと思っている。だから内申点には気を使っていたりもする。星宮さんっていうよく話す人もいる、し」
ルカは、語尾をあいまいにして、そのまま皿を持って立ち上がった。
「どうした?」
「俺って、人間っぽい?」
「そうだな、その眼鏡かけたら全くわからねえ」
レイナは即答した。
「そうか、それなら良いんだ」
「煮え切らねぇーな、何か言われたのか?」
足を曲げて、両足で机を持ち上げると、レイナは器用に足の上でバウンドさせ始めた。行儀は無に帰しているが、流石の脚力だった。
「ただ、安心したかっただけだよ。俺が神だって今までバレたことない……もう、寝ようか」
ルカはシンクの蛇口から水を出す。ひねりすぎたせいで皿に当たった水は飛び散り、キッチンを少し汚した。
その汚れを気にすることもなく、無造作に皿にこびりついた方の汚れだけを洗い流していく。
ふと、思い出す。屋上で莉音が今にも飛び降りそうになっている。身体はボロボロで今にも倒れそうなくらい衰弱した姿。
「煮え切らないのは、俺の気持ちの問題なんだから」
あのとき、ルカは莉音に対して、助けたいという感情が微塵も湧かなかった。
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