第3話 岐路

 行方不明事件。それがフェイアス街で現在、起きている問題だった。


 最初に行方不明になった人間は、久須志高等学園の教師。

 一か月前、仕事に行ってから帰って来なくなった。以降、電話や手紙などの連絡も一切なく、消息を絶った。


 発見されたのは、行方不明になってから二週間が経ったころだった。朝、学園の校舎の入り口で、出社してきた同期が見つけたという。



 首に縄をかけ、自殺しようとしていたところだったと証言している。



 その教師を始めとして、現在にかけて街の中で七人が行方不明になっている。発見されたのは、五人。先ほど助けることが出来た莉音を含め、五人のうち二人は学園の生徒だった。


 そして未だ行方不明の二人も、学園の生徒である。


「どれほどの重大事件が起きているか、あなたも遂におわかりになったのではないですか、星宮嬢」


 低い音のサイレンが鳴り響き、莉音を乗せた救急車が走り去っていった。ルカの目の前には、ひょろりと背の高い、白髪オールバックで色白の老人が立っている。


「津川先生、わかってるの。でも、私はそれで楽しいことがなくなるのはおかしいと思うんだよ」


 ルカと唯はというと、天使学科の教師の津川祁連つかわきれん先生にグラウンドで説教をされ続けていた。


 津川先生は垂れた目をかっと開く。


「爛額焦頭! 負傷した生徒が三人いることに加え、二人の生徒がまだ見つかっていないのですよ! キャンプなどと無意味なことをしている場合ではありません!」


「あーもう、わかってないなー津川先生は! みんな不安になってるから、楽しい時間が必要なんだって」

「星宮嬢、よろしいですか。あなたのお父様である天使長も、今回の事件には、一日九廻、ひどく頭を悩まされて――」



 唯はため息を大きくついて、ルカの耳元に顔を近づけた。


「先生のちょび髭、似合ってないよねー」


 津川先生の鼻の下にある少し生えた白い髭が目に入る。ふっ、と思わずルカも笑い声をもらした。


「茫然自失……聞こえておりますよ、星宮嬢! それに名の知らぬ君!」

「すみません、睦月ルカです」

「自己紹介ありがとう、睦月坊。私も天使学科の生徒しか知らないのでね。いいですか、君も笑ってないで友達ならば、教えてあげなさい。星宮嬢が如何に身勝手なことを言っているのかを」

「はあ……理解はしました」




 そのとき、憤怒が留まることを知らないというような、津川先生の上がり切った肩に、華奢な手がおかれた。


「まあまあ、良いじゃありませんか」


 物腰柔らかな女性の声。振り返った津川先生の横顔がほんのり赤くなる。


「す、いえ、仕摩置先生ではありませんか。驚天動地、どうしてこちらに?」


 仕摩置鈴芽しまおきすずめ先生はつけている黒メガネを押し上げ、スーツを着ていても強調される胸を押し当てた。


「先生、そこまで驚くことではありませんし、この二人は生徒を無茶苦茶ながらも助けたのです。少しは褒めてあげても良いのではないですか?」


 無茶苦茶。唯だけが常識はずれの行動をして、偶然にも外部からの助けがあって、無理矢理ハッピーエンドにした。


「うむ……付和雷同は良くありませんが、たしかに仕摩置先生の言う通りかもしれませんな」


「エロじじい」


 小声で唯がぼやく。ルカは居心地が悪い気分になって、ムズムズした。


 仕摩置先生は肩から手をはなすと、今度は唯の頭を優しく撫でた。


「相変わらず、身体能力は抜群ですね。怪我もなさそうですし」

「えへへ、運動だけはできるんで」


「この間の小テストでは学年最下位を見せつけられましたが」


「ぐはっ!」


 心に致命傷を食らった唯はその場でうずくまる。


「ここ最近で一番の直接攻撃が出たな」


 ルカに少し冷めた視線が向けられたが、仕摩置先生はすぐに穏やかに笑った。


「そうですね、少し言い過ぎたような気もします」

 スーツの上着のポケットに手を入れると、飴玉を取り出した。

「ご褒美です。カフェインが入っているので食べ過ぎないでくださいね」

「これ、この間もらってめっちゃおいしかったやつだ……ありがとう先生」


 よろけながら受け取る唯の頭を、仕摩置先生はまた撫で始める。


「先生はお菓子作りが趣味なのですな。博学才穎に加えて家庭的な趣味まで、本当に素晴らしい」

 ちょび髭を指で撫でながら、密かにイヤらしい笑みを浮かべる。

「エロじじい」

 ルカは真似をして小声でぼやいた。



「先生!」



 再び元気になった唯は仁王立ちをすると、飴玉を口の中で転がしながら津川先生に向けて指差した。


「事件を解決したらキャンプはやるって約束、まだ覚えてるよね!」

 津川先生は手を後ろに組み、身体を反らす。


「ええ。当然至極、覚えておりますとも。危険がなくなったのであれば、問題ないでしょう」

「他の誰かが無理なら! ビシッと私たちが解決してみせるから! 先生、待っててよね」


「……一諾千金と言いますからな、約束は必ず守りますとも」


 唯はルカに目配せをする。すでに交換条件を了承し、契約は済んでいる。ルカは小さくうなずいた。


「ふふっ」


 仕摩置先生が小さく笑った。


「あ、鈴芽先生冗談だと思ってるでしょー! 私は本気だからね!」

「ええ、ええ。本気なのは良いことだと思いますよ。頑張ってください」


 目に涙を浮かべて笑っている態度を見て、唯は口をすぼめる。


「んー、ま、いいや。すぐに見返してやるんだから。ルカ君、一緒に帰ろー」

「お、おお。もう良いのか?」

「うん! バッチリかっこよく言ったし。今日は色々あって疲れたからしっかり休んで、明日はこれからの作戦会議をやろう!」



 日は沈みかけ、空のパレットも藍や黒が増えてきた。埃や塵を視認できないほどには明るさが失われ、唯とルカは帰路きろにつく。

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