第26話 時を超えて
過激派の者たちが散り散りに逃げる中、雷禅が走ってくる。他には目もくれず、一心に。琥琅のもとへと駆けてくる。
しかしその背後で、妖魔の首領が青白い鳥を吹き飛ばし、大地を駆けて雷禅を追ってきた。巨体は速く、あっという間に追いつきそうになる。
「白虎!」
琥琅が呼べば、意を得たとばかりに白虎が吼えた。咆哮は荒々しい軌跡を描く光線となって、妖魔の首領の片翼に襲いかかる。
妖魔の首領の前に薄い膜のようなものが現れ、光線を阻んだ。ぶつかりあう二つの力の衝撃波が、空気どころか周囲の大地までもを揺らす。全身で衝撃を感じる。
障壁が光線を打ち消すのを最後まで見ず、琥琅は衝撃波に吹き飛ばされて倒れた雷禅のもとに駆け寄った。
「雷! 雷、怪我は?」
「吹き飛ばされただけですよ。平気です」
身体を起こし、雷禅は力なく笑った。一緒に気が緩んだのか、手から剣が落ちる。
自己申告のとおり、見たところは特に重傷と言うわけではない。だが、ひどく扱われたのかそれとも疲労ゆえか、頬が少しこけているし、手首にも縄の跡がある。痛々しい姿だ。
それでも、生きているのだ。
雷禅が生きている。それだけで琥琅の胸に、熱いものがこみ上げた。彼に抱きつきたい衝動をなんとか抑えつけ、気持ちを切り替えて妖魔の首領を睨みつける。
琥琅に命じられるまま光線を放った白虎は、その勢いのまま妖魔の首領に戦いを挑んでいた。力をぶつけあい爪牙を交わし、互いの命を削り、狙いあっている。
妖魔と戦う白い虎の姿に、いつかの光景が重なった。
琥琅の腕の中で息絶えた、美しい女人の姿から変じた養母の本性。崖の先から眼下の森を睥睨する、孤高の雌虎の偉大な背中。
あの背に憧れていたのだ。ずっと共にいるのだと思っていたのだ。
膨れ上がった琥琅の感情を吸い、剣がにわかに熱を帯びた。身体が軽くなり、胸の奥から熱くなる。
「……雷、逃げてろ」
「琥琅、待ちなさい!」
言い置いて、琥琅は白虎と戦う妖魔の首領目指して駆けた。雷禅が呼び止める声は聞かない。今や二人の他に人間が失せ、黒いもやが立ちこめて神獣と妖魔が戦う場へと向かう。
だって仇がそこにいるのだ。養母を殺した仇が。今度こそ、逃がすものか。
絶対に殺してやる――――――――
「待ちなさい琥琅!」
琥琅の意識が殺意に染まり、黒いもやを剣で斬ろうとした次の瞬間。大音声が背後から聞こえてきて、無意識のうちに琥琅の足はぴたりと止まった。まるで術か何かにかけられたように、琥琅はその場から動けなくなる。――――雷禅が、そう願っているから。
この仕打ちに納得できるはずもなく、琥琅は追いついてきた雷禅を睨みつけた。
「雷、なんで!」
「このままじゃ駄目ですから、止めたんですよ」
わけのわからないことを言った雷禅は、琥琅の手から剣をもぎとった。そして、琥琅が抗議するのを無視して、あろうことか刃をぎゅっと握ったのだ。
「雷! 何を……!」
「白虎殿の感覚は正しかったんですよ」
自分の手から血が流れるのも構わず雷禅は柄を握っているほうの手首を返し、剣の柄頭を上に向けた。
「今日まで何度も、僕は夢を見ていたんです。その中で僕は老人になっていて、白虎を封印したあとにこの剣の力も封印しました。再びこの国に危機が訪れ、次の持ち主の手に渡るときまで悪用されないよう貴女の母堂と自分の血で」
「! それって」
「僕の前世も貴女の前世や白虎殿と共に戦っていた……ということになるんでしょうね」
仰天する琥琅に淡く笑い、雷禅は琥琅の剣の柄に血まみれの手を置いた。
するとさほど多くない量の血は宝玉の表面を滑り落ちず、内部へと沁みこんでいった。宝玉はたちまち真紅に染まり、それと比例して力を放ちだす。
妖魔の首領はもちろん、天華や白虎のものとも違う不思議な力だった。優しく包みこむようなのに力強くもあり、辺りを漂う黒いもやから琥琅と雷禅を守る。
「すみません。こんなに大事なことをずっと忘れてしまっていて」
そんな苦笑と共に、雷禅は淡い黄金の輝きを宿す剣を琥琅に返した。
琥琅はそれを呆然と見つめた。にわかに瞳に光を取り戻し、雷禅に頷いて身を翻す。
ぶん、と剣を一振りすると黒いもやが晴れ、人ならざるものたちの戦いが明らかになった。
天華が力の刃を放ち、妖魔の首領が白虎に向けて力を放とうとするのを阻んだ。それを援護に、白虎が妖魔の首領の肩口に食らいつこうと顎を開く。
妖魔の首領は力を放って白虎を吹き飛ばす。
「白虎!」
今度こそと妖魔の首領が追撃するのを、琥琅は剣の一閃で阻止した。振るうだけで剣から刃が生まれ、妖魔の首領の翼を斬り落としたのだ。妖魔の首領の苦痛にのたうつ咆哮が轟く中、落ちた片翼は数度蠢きながら砂のように消えていく。
琥琅は、よろよろと立ち上がろうとする白虎に駆け寄った。絹のような手触りの白い毛並みはいたるところが血と土埃で汚れていて、特にひどいのは後足の傷だ。これでは身体を起こすことはできるものの、立ち上がることはできまい。
〈やれやれ、来るのが遅いわ〉
疲れをにじませた声音と共に、傍らに天華が下りてきた。こちらも足や首に傷を負っている。
やってくれる。琥琅は舌打ちし、妖魔の首領を睨みつけた。
妖魔の首領もまた翼の付け根から大量の血を滴らせながら、琥琅を凄まじい形相で睨みつけた。蛇の尾がないのは、天華か白虎の戦果だろう。
〈おのれ、忌々しい……! やはりあのとき、岩の下からお前を引きずり出して殺しておくべきだったか……!〉
「だったら……!」
白虎の怪我を見ようと膝をついていた琥琅は、ゆらりと立ち上がった。
「なんで、母さん殺した……! 殺す必要、なかった!」
〈あったに決まっているだろう。あの女は遠きあの日、この身に刃を突きたてたのだから〉
琥琅の叫びを妖魔の首領は鼻で笑いとばした。
〈それでも、その忌々しい剣を我が分身どもに渡せば許してやったものを拒みおって。分身を通して、居丈高なあの女の言葉は聞いていた。あの顔が苦痛にゆがむのもな〉
愚かな女よ、と妖魔の首領は嘲る。人に似た顔が邪笑でゆがむ。
「…………!」
琥琅の感情は一気に膨れ上がり、爆ぜた。
この生き物は、何を言っているのか。愚かな女と。それは誰のことか。
妖魔だとか剣の守護者だとか、そんなことはどうでもいい。あの気高い雌の虎仙は琥琅の養母だ。
〈今ここで殺してやる!〉
琥琅が駆けだすと同時に、同じ黒でも全く違う色合いの眼が琥琅を見据え、その全身から衝撃波――いや、刃を放ってきた。それらのいくつかは白虎が織りなした障壁を貫き、琥琅の身を傷つける。
けれど琥琅は足を止めない。この程度で止められるわけがない。
そのあとを追うように、妖魔の首領が琥琅を噛み砕こうと大口を開く。しかし天華や白虎、琥琅に幾度となく傷つけられたその身にもはやあの機敏さはない。琥琅は素早く横に跳んでよけ、続く前足による攻撃もたやすくかわす。
そして、剣を刺突に構えた。
体中の傷が気にならないどころか、癒え、全身に力が満ちていくような気がする。それは、仇を屠る高揚からか、この剣の力なのか。
妖魔の首領が放った最強の衝撃波と、白虎が織り成す障壁がぶつかった。あまりにも近くでぶつかりあったためか、傷を負わなかったものの琥琅は一度吹き飛ばされる。しかし妖魔の首領も波動に大きく体勢を崩したらしく、大地を滑った琥琅に襲いかかってはこない。
起き上がった琥琅は、躊躇うことなく妖魔の首領に迫った。迎え撃とうとする妖魔の首領と目が合う。
〈おのれ、おのれ天よ! 時を経てなおも我らを否定するか!〉
憎悪がほとばしるような叫び。
琥琅は渾身の力をこめて、妖魔の首領の喉首に剣を突きたてた。
〈……………………っ!〉
声なき断末魔の咆哮があがる。喉を突き刺した剣をそのまま力任せに横へ薙ぐ。生温かい鮮血が琥琅の身体にまといつく。
そして地響きをたて、妖魔の首領は崩れ落ちた。
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