第25話 希望へ向かって

 玉霄関の上空を飛び交う妖魔たちが一匹、また一匹と射落とされていくのを見ていた雷禅は、関令である元仲たちの奮戦に内心で安堵の息をこぼした。

「元仲殿たちが頑張ってくれているようだな」

「みたいですね」

 隣に座らされている伯珪と黎綜も、遠目に見える関所での戦いぶりに勇気づけられているようだった。

 先ほどまで雷禅たちは術者たちが術で幽鬼を生みだし、妖魔の首領がしもべを呼びだして襲撃の指示を下すのをただ見ているしかできなかった。これから惨劇が起きようとしているのに何もできないのが悔しくてならなかったが、少しは救われた。

 逆に悔しそうなのは吐蘇族の過激派や、彼らの呼びかけに応じて参戦した他の異民族の過激派たちだ。歯を食いしばり拳を握りしめ、物凄い形相で玉霄関を睨みつけている。

「くそ、清人め……!」

「さすがに守りは堅いか……」

「朱利様の命令はまだなのか?」

 悪態や舌打ち、急く声が過激派たちのあいだから雷禅のもとへ聞こえてくる。同時に、雷禅たち捕虜にも悪意は向けられた。感情をぶつけられる手近な相手は、今は雷禅たちしかいないのだ。当然と言えば当然のことであった。

 吐蘇族の男が、妖魔の首領がいるほうから走ってきた。まだ雷禅とそう変わらないだろう若者だ。

「朱利様のご命令です。その混血を連れてこいって」

「!」

 集落で言葉を交わしたきりの朱利からの思わぬ呼び出しに、雷禅は目を見開いた。近くにいた伯珪と黎綜も、表情を硬くする。

 こんな状況で雷禅だけを呼びだすなんて、まともな用とは到底思えない。少なくても、逃がしたり交渉役にするつもりはないはずだ。

 だが、拒否することなどできるはずもない。雷禅は無理やり立たされた。

 そのとき、伯珪と黎綜が動きだした。雷禅に近づいてきた男たちを素早い動きで仕留め、崩れ落ちる手から武器を奪う。

 その両腕が自由なのは、暗器を隠し持っていたからだ。袖口にでも部下たちも同じく縄を切り、戦闘態勢に入っている。

 さすが、武名を轟かせた将軍の部下たちと言うべきか。捕らえながらも、反撃の機会をずっと窺っていたのだ。

 満足な食事を与えられないまま歩かされ、体力は普通以上に削られていたが、妖魔の首領の威圧や過激派の殺気に屈しないという強い意志が目に浮かんでいる。その眼力の、なんと力強いことか。

 出くわした大盗賊団に囲まれても余裕を失わなかった、雷禅の義叔父率いる綜家の精鋭護衛たちの姿が雷禅の目に重なった。感情が高ぶり、四肢に力がみなぎる。

「なっ殺せ! 殺してしまえ!」

「やれるものならやってみろ!」

 一人が叫ぶや、伯珪は彼に駆け寄り顔面を殴り飛ばした。次に大刀を振りかざした男からはその大刀を奪い、腹に拳を入れて気絶させる。さらに奪った大刀を部下に投げて渡し、また過激派の男たちに戦いを挑む。

 彼らに勇気づけられ、雷禅は早く連行しようとしていた若者に抵抗した。そのあいだに黎綜が駆け寄ってきて、敏捷な動きで並みいる男たちを退けるや若者にも飛び蹴りをかます。

「雷禅さん、今助けますからね」

「っありがとうございます」

 黎綜は素早く雷禅の縄も切ると、吐蘇族の剣を渡してくれた。自由になり、雷禅は大きく息をつく。

「玉霄関へまずは逃げよう。門の前まで逃げれば、元仲殿が開けてくれるはずだ」

「……ですね」

 伯珪の提案に雷禅は頷く。手足が自由になったものの、孤軍の自分たちは圧倒的に不利だ。なんとかして玉霄関まで逃げるしかない。

 目的を玉霄関に定めた雷禅たちに、過激派たちが襲いかかってくる。もう朱利の命令など誰の頭にもないのだろう。連れてこいと朱利に命じられている雷禅にさえ、手加減せず刃を振るってくる。雷禅は、それにこそ恐怖した。

 一体何人の男たちから刃を振るわれ、何度それを受け止め、さらには返したのか。鬼気迫る形相で、男が一人、雷禅に向かってきた。雷禅を連れてこいという朱利からの命令を伝えにきた若者だ。

 一瞬ひるむが、迷っている暇などない。雷禅は剣をかわすと手首に一撃をくらわせて剣を奪い、蹴り飛ばした。周囲の怒りが増し、空気を震わせたような気がした。

 その合間を縫うようにまた一人、刀を向けてくる。吐尊という、綜家とは長年付き合いのある異民族の織物商だ。気弱な笑顔を浮かべながら、雷禅にいくつもの織物を見せてくれた人。

 雷禅は剣を剣で受け止め、懇願した。

「やめてください、吐尊さん! 僕は貴方たちと殺しあいたくない!」

「何をふざけたことを! 俺たちはもう、虐げられるのは御免だ!」

 雷禅の剣を押し返そうとする力が増した。雷禅は渾身の力で対抗する。

「だったらっ……だったらこんなことはやめてください!」

 無駄とわかっていても雷禅は叫んだ。

「貴方たちを虐げた官吏はもういない! 新しい西域府君は貴方たちを差別しない! こんなことをしても、貴方たちの立場が悪くなるだけです!」

 この異民族の暴走に同情する者は少なからずいるだろう。だが彼らが生みだした幽鬼や妖魔によって、どれだけの被害が生まれたのか。異民族によくない感情を抱く者もいるかもしれない。それでは民族間の溝が深まるだけだ。

 先代府君の愚行を清民族に向けるなとは言えない。それでも。

「貴方たちがすべきなのは蜂起なんかじゃない!」

「っ黙れぇ!」

「っ!」

 押しきられる――――!

 そう思った刹那、何を考えずとも体が動いた。剣が弾き飛ばされる前に、横に跳ぶ。

「あ…………」

 気づけば雷禅は、吐尊の腕を傷つけていた。刀が吐尊の手から落ちる。

 吐尊が憎悪の眼差しで雷禅を睨みつける。それを雷禅は、震える気持ちで受け止めた。

 剣で人を傷つけたことはある。隊商に混じれば賊に襲われるのは当たり前で、雷禅も荷や己を守るために剣を振るわなければならなかった。妖魔と初めて戦う直前も賊が振り下ろす剣を受け止めたし、躊躇いなく賊を傷つけた。

 だというのに、それが今、こんなにも恐ろしい。

 吐尊が刀をもう一度握り、仲間と共に襲いかかってくる。周囲に傷ついた仲間がいるというのに、そちらを見もしない。後悔に沈む暇もなく雷禅は剣を握りなおし、それに立ち向かうしかなかった。

 血が流れていく。雷禅が血を流させていく。

 滴り落ちる血。

 血――――――――?

「――――――――っ」

 雷禅は雷鳴に撃たれたかのような衝撃を覚えた。

 脳裏をよぎるいくつもの幻影は夢で見たものなのだと、根拠もなく雷禅は確信した。何を自分は知っていたのか、何を琥琅に言わなければならなかったのか。唐突に明瞭になる。

 自分はこれを夢で何度も見ていたのだ。夢だから忘れていただけで。

 どうして自分はこんな大切なことを忘れていたのだろう――――。

 戦場にいることを雷禅が忘れそうになったあいだにも、全員で背を庇いあいながらの包囲網の突破は少しずつ進み、半ば成功しつつあった。一方の人垣が切れ、玉霄関の姿があらわになる。

 元々この過激派組織は大した数が集まっているわけではなく、だからこそ幽鬼や妖魔、古の守護獣の力でもって圧倒的な不利を補おうとしていただけだったのだ。この乱闘では幽鬼の身体能力は活かせないし、妖魔はことごとく玉霄関を襲撃させている。妖魔の首領が手を貸さず、純粋な人間同士の戦いであるのなら、歴戦の武人二十名でも充分渡りあえる数だった。

 それに。

〈雷禅! 生きておるかっ?〉

 ばさりと力強い羽ばたきがすると共に、空から声が降ってきた。影はたちまち降下して、雷禅の目線の高さまで下りてくる。

 たった数日前にその声を聞いたというのに懐かしくて嬉しくて、雷禅は涙腺が緩みそうになった。

「天華!」

〈琥琅たちが来ておる! 秀瑛が向かっておるところじゃ! 今しばらく耐えよ!〉

 それは、雷禅が聞きたかった言葉だった。この数日間、恐怖で折れそうな心を強く保つため、何度も何度も夢想し、己を奮い立たせていた言葉。

 琥琅は生きている。生きて今、雷禅を助けに来てくれている。――――雷禅が願い続けていたように。

「――――――っ」

 感情が喉をせり上がってきて、雷禅は唇をゆがめた。喜びとも安堵ともつかない感情が胸で暴れて、痛いくらいだ。

「雷禅さん、もしかして秀瑛様たちが来てるんですか?」

「ええ。天華が導いてくれました。白虎殿ももちろんいますよ」

 弾む黎綜の問いに、雷禅は首肯した。過激派たちの動きに変化が生じているのも目で確かめ、再会のときは近いのだと確信する。

 過激派たちが背後を気にしているのだ。それに先ほど妖魔の首領のものではない、清冽な力の気配を感じた。あれは白虎の力に違いない。

 雷禅より年下だというのに伯珪に負けない働きをしている黎綜の顔が、たちまち輝いた。その喜びを表現するべく、幽鬼を斬り捨て、伯珪のほうを向く。

「伯珪様! 秀瑛様たちが来てくれました! もうすぐ助けに来てくれるそうです!」

「……! 皆、玉霄関へ行くのは中止だ! 秀瑛様が来てくださる! 踏ん張るぞ!」

 目を見開いた伯珪がそう檄を飛ばせば、おう、と兵たちは応じて残る力を振り絞る。誰もの顔に先ほどまで以上の戦意がみなぎり、戦い抜くのだという強い意思で目がぎらついた。彼らもまた、洞窟の崩落を知って意気消沈していたのだ。雷禅は、秀瑛と兵たちの絆の強さを改めて思い知った。

 そして、彼らが待ちわびていた時はほどなくして訪れた。

「おい野郎ども! 死んでねえだろうなっ!?」

 吐蘇族の男を斬り倒し、新たな西域府君が姿を現した。伯珪や黎綜をはじめとする部下たちの顔に驚きが刷かれ、すぐ喜びがとって代わる。まるで戦いに勝利したかのようだ。

〈さっさと琥琅と合流するのじゃ! 雷禅、導いてやりゃ!〉

「ええ。――――皆さん、琥琅と白虎はこっちです!」

 雷禅は声を張りあげ、天華が示すほうへ秀瑛たちを誘導する。それを受け、秀瑛は部下たちを励まし指示を下す。

 互いを守りながら、雷禅たちは少しずつ前進していく。秀瑛を得て活力をも得た兵たちの働きはめざましく、過激派の者たちを寄せつけない。妖魔が玉霄関への攻撃にかかりきりで、こちらへ攻撃してこないこともさいわいした。雷禅たちの歩みは止まることなく、もう一つの再会のために進んでいく。

 ――――しかし。

 希望を胸に歩んでいたそのとき。ぞわり、と雷禅の全身の肌が粟立った。

 辺りに漂っていた負の気配が突如濃度を増した。雷禅は一瞬立ちくらみを覚える。

 空から何かが来る。そう直感して雷禅が空を見上げると、妖魔を従えた真っ黒なもやが蒼天から雷禅たちのもとへ飛来していた。もやはまるで雷雲のように紫の筋を光らせ、邪悪の気配を撒き散らしている。

 黒き神だ、と吐蘇族の者たちが声をあげ退いたのと、もやが地上に降下したのはほぼ同時だった。もやはただちに異形――――妖魔の首領へと変じ、雷禅たちの前に立ちはだかる。

〈餌がなかなか来ぬと思うたら、存外に暴れておるようだな……活きがいいことだ〉

 ならば、と妖魔の首領は嗤った。

〈今少し、暴れさせてやろう。我を楽しませてみろ〉

 妖魔の首領が言うや否や、付き従っていた漆黒の妖魔たちが雷禅たちに襲いかかってきた。

〈させぬ!〉

 雷禅の援護をしていた天華が妖魔たちの前に出るや、裂帛の気合を放った。不可視の衝撃波が生まれ、妖魔たちを消滅すらさせて残滓も残さない。ほんの数拍、邪気を斬り裂いて爽やかな風が周囲を吹き渡る。

 不可視の壁でそれをしのいだ妖魔の首領は、ほう、とわずかに感心した声をあげた。

〈ただの化生ごときにしては、力があるな〉

〈これでも幾百の歳月、天地の霊気を吸ったのでな。はるかな時を生きたものであろうと、妾を甘く見るでないわ〉

 低い声でそう啖呵を切った天華の身が、青白い炎に包まれた。燃え盛る尋常ならざる炎は見る間に四方へ広がり、形を成す。翼に首に、足に嘴。

 青白い炎が質感を得たとき、その姿は、片翼だけで雷禅を包みこめそうな大きさの鳥に変じていた。華奢で優雅な痩身からは、先ほど放たれた風のように清冽で強い力の気配が放たれており、濃厚な邪気を寄せつけない。

 これが天華の本性なのだ、と雷禅は理解した。彼女との付き合いはもう十年近くにもなるが、雷禅が彼女のこの姿を見るのは初めてだ。普段見る雌鷲の姿は、神獣をして強いと言わしめるこの本性を隠すためなのだろう。

 天華の変化は、雷禅たちにとっての福音だ。だというのに、妖魔の首領もまた嬉しそうに口の端を吊り上げた。邪悪としか言いようのない笑みに、雷禅は立ち竦んで動けなくなる。

〈ああ、そこの人間だけでなく、ここにも良い餌がおったか。こたびの世はまこと、餌に困らぬな〉

 邪悪な笑みが深まり、妖魔の首領の周囲に漂う力も濃密さを増していく。可視化されたそれはどす黒く、妖魔の首領の姿を半分以上覆った。周囲にも広まり、ぽかりと開いた空間を侵食する。

「に、逃げろ!」

 間近にいた過激派の男が力のもやに飲まれ、声もなく倒れたのを見た途端。過激派たちはそれまでの憎悪の狂気から一気に覚め、一斉に逃げだした。もはや雷禅たちに目もくれない。ただでさえないに等しかった隊列は完全に崩れ、誰もが我先にと本能のまま、死から逃れようとあがく。

 己を崇める人間たちの恐怖など目もくれず、妖魔の首領は力を放ってきた。刃の形をしたそれは、力のもや同様、天華の気配が退ける。

 人外同士の戦いが繰り広げられ、常人の出る幕はなくなったと判断した秀瑛は部下たちに撤退を命じた。逃げる先は玉霄関だ。伯珪たちは声を揃え、今度こそ玉霄関を目指す。

 けれど雷禅は、彼らと共に逃げることができなかった。

「っおい、雷禅殿!」

 秀瑛の制止に構わず、雷禅は踵を返して走りだした。力のもやも、背後で幾度となく二つの力が衝突を繰り返しているのも気にならない。ただただ、望む人を探す。

 行かなければならなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る