第14話 雷禅の我が儘

 白虎や駆けつけた伯珪と共に、関令のもとへ連行されたあと。琥琅が湯浴みと事情聴取を終えて解放されたのは、薄明も過ぎようとする頃だった。

 自由になった琥琅はすぐ、玉霄関の内部にある関令の公邸の一室へ向かった。あてがわれた室で休んでいるはずの、雷禅の様子を見に行きたかったのだ。

 関令によると、白虎出現の噂がすでに関所の隅々にまで届いているのだという。琥琅が白虎と共に人々の前を駆けたり歩いたりしていたのだから、当然である。

 不安に駆られた人々が白虎の加護を願って殺到するかもしれない。そう懸念した関令と秀瑛が、琥琅と白虎を雷禅共々公邸に押しこめることにした――――という話だった。

 雷禅に話があるのだという秀瑛の後ろを歩きながら、琥琅は雷禅のことが心配でならなかった。

 だって、あんなにもひどい顔をしていたのだ。室に案内されたところまでは一緒だったのだが、それから顔を見ていない。早く会いに行って、そばについてやりたい。

 琥琅が雷禅の室へ足を向けると、ちょうど室の扉が開いた。琥琅は秀瑛の横を抜けて雷禅に速足で近づく。

「雷、大丈夫?」

「ええ……心配かけてすみません。なんとか大丈夫ですよ。湯浴みもさせてもらいましたし」

 そう雷禅は微笑むが、表情にもまとう空気にも力はなくいつもとは程遠い。旅の埃を落としてあるだけで、昼間の出来事についてまだ心の整理ができずにいるのは明らかだ。

「天華は?」

「室の中にいますよ。今日は疲れたようで、もう眠ってしまいました」

「あ、白虎さん、琥琅さん、雷禅さん」

 背後から嬉しそうな声がした。振り返ると、黎綜が見覚えのない男と共にこちらへ向かって来ている。

「黎綜か。その食事は雷禅殿にか」

「はい、食堂に来てませんでしたから。何も食べないのは、身体に悪いです。もちろん、肉は抜いてありますよ。琥琅さんの夕餉も持ってきました」

 にっこりと笑顔で黎綜が秀瑛に答える。後ろの男が持っているのが琥琅の夕餉らしい。

 ありがとうございます、と雷禅は男から盆を受けとった。琥琅は黎綜から盆を受けとる。

 雷禅はすぐ申し訳なさそうな顔をした。

「でも、天華が中で眠ってるんです。あんまり騒がしくするとあとでつつかれるか蹴られるかしそうですから、できればどこか空いた室へ案内してもらえると」

「雷、俺の室」

 雷禅が秀瑛に道案内を頼もうとしていたのを遮り、琥琅は言った。琥琅の室は隣なのだ。何の問題もない。

 何を言ってるんですか、とでも言いたそうな顔で雷禅は琥琅を見る。両手が空いていたら、額に手を当てていそうだ。

「いいじゃねえか雷禅殿、部屋の主がこう言ってるんだし。隣なんだから楽だろ?」

「……そうですね」

 くつくつ笑う秀瑛に渋々といったふうで頷いた。青かった顔色がもうよくなっている。

 それより、と雷禅は無理やり話題を変えた。

「秀瑛殿は僕に用があったのでは」

「ああ、まあな。けど夕餉を食ってねえなら先に食っとけ。飯はあったけえうちに食うのが一番だ」

 と秀瑛はひらひら手を振る。それについては琥琅も同意だ。手元の膳からとてもいい匂いがしているのだから。

 そうして黎綜と男が去り、琥琅の室で琥琅と雷禅が遅い夕餉を食べたあと。茶も飲んで一息ついてから、雷禅は秀瑛に向き直った。

「――――お待たせしました、秀瑛殿」

「おう」

 雷禅に声をかけられ、窓辺に寄せた長椅子にふんぞり返って月夜を眺めていた秀瑛が振り向いた。

「お前らに話ってのは、今後の予定のことだ」

 秀瑛はそう話を切りだした。

「昼間の騒動で、今回の件に吐蘇人が関わっていることがはっきりした。だがごく一部の人間なのも明白だ。関所にいる他の吐蘇人は清人や他の異民族の奴らと揉めねえよう、ひとまず別の場所にまとめて保護したが……あいつら全員が清人への復讐だのを企んでるようには見えなかった」

「……」

「それに……騒動になる前、吐蘇族の集落で物騒な顔をした奴らがよく集まってるのを見た――――と話す奴がいたのも気になる」

「!」

 雷禅が息を飲んだ。

「そういう話があるからには、吐蘇族の自治区へ行って吐蘇族の長老の協力を得るしかねえ。確か、長老連中が部族をまとめてるんだったよな?」

「ええ。自治区の中にいくつか集落があって、各集落をまとめる長老の筆頭が吐蘇族全体を統率しています」

 雷禅は頷くものの、ですがと言葉を続ける。

「先代府君による弾圧のときに、吐蘇族の有力者が何人か処刑されてますからね。先代府君が更迭されたとはいえ、西域辺境府の官吏が集落へ入れてもらえるかどうか……」

「でも行くしかねえだろ。吐蘇族で反乱を起こそうとしてる可能性があるわけだからな。今日の奴らと神連山脈で琥琅殿が見つけた奴だけが西域辺境の混乱をくわだてたとしても、話を聞いて釘を刺すくらいはしておかねえと」

「それはそうですけど……」

 秀瑛の言い分に、雷禅はそれでも渋い顔だ。

 当然である。吐蘇族が清民族ひいては清国の役人に対して強い負の感情を抱いていることは、琥琅でさえ知っているのだ。吐蘇族と交流のある雷禅はより深く知っているはず。

 目を半ば伏せて思案していた雷禅は、やがて顔を上げた。その表情には何故か固い決意がある。

 琥琅は嫌な予感を覚えた。

「……わかりました。では、僕も仲介役として同行します」

「! 駄目!」

 琥琅は椅子から立ち上がり、眉を吊り上げた。

「雷、ここ。俺と白虎、行く」

 聞けば聞くほど、吐蘇族の自治区とやらは危険な場所に思えてならない。ただ住民が清民族に対して憤っているというだけではない。方術を心得ている連中がいるようなところなのだ。弱い雷禅はそんな危険な場所になんて行かず、玉霄関で大人しく待っているべきだ。

 言いそうな気がしたんだよな、と秀瑛は長い息を吐いた。

「別に俺は、仲介を頼むために来たわけじゃねえ。もちろん協力してもらえればありがたいが、雷禅殿は商人見習いで彗華の民だ。しかも綜家の跡取りときてる。ここから先、危険になるかもしれねえし……行かなくても構わねえんだぞ」

 真剣な表情で秀瑛は言う。

 だというのに、雷禅は首を振った。

「いいえ、僕も行きます」

「雷!」

「琥琅、さっき言ったでしょう」

 雷禅は困ったように眉を下げた。

「彗華に入って正式に西域府君に着任したわけではない秀瑛殿だけでは、おそらく吐蘇族の長老たちは話を聞いてくれません。兵を連れていれば尚更、不信感を募らせることでしょう。それでは話しあいにならず、過激派の人たちをより刺激してしまうだけです」

「でも」

 琥琅が食い下がろうとすると、雷禅は琥琅、と名を呼んで制止した。

「僕も、彼らが本当に反乱をくわだてているのかどうか知りたいんです。彼らだけなのか、他の知りあいもかかわっているのか。……自分の目で確かめたいんです」

「……」

「だからすみません、琥琅。僕の我が儘を聞いてください」

 そう願望を繰り返す顔と声には強い意志があった。彼の決意は固く、到底自分の力では翻させられそうにないと琥琅は感覚で理解する。

 琥琅はぎゅっと両の拳を握った。雷禅の説得を諦めたのだ。

 それもこれも、秀瑛が妙な話を琥琅たちに話したせいだ。腹立たしく、琥琅は秀瑛を睨みつけた。

「琥琅、秀瑛殿を睨んでは駄目でしょう」

「いや、仕方ねえよ。琥琅殿はあんたのことが大事なんだから」

 秀瑛は肩をそびやかした。

「けど、多分危険だぞ? それに、もし戦うことになったら……」

「承知の上です」

 今日のようなことになるかもしれないという秀瑛の言外の忠告にさえ、雷禅は頷いてみせる。表情は硬く、本心はまったくそうではないと明らかだというのに。覚悟なんて何一つできていないくせに、それでも行くのだと言い張って聞かない。

 雷禅は琥琅のことを子供だとよく言うが、雷禅だって大概だ。琥琅は憤慨した。

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