第11話 暗愚の爪痕
集落へ買い出しに行っていた雷禅たちと合流し、白虎を秀瑛の部下たちに紹介したあと。天幕の準備やらを部下たちに任せた秀瑛は、琥琅たちを自分の天幕に案内した。
その天幕で琥琅は、川辺やその周辺で見たものを雷禅たちに話した。
「……確かにこれは、吐蘇人の伝統的な文様ですね」
琥琅から布切れを受けとった雷禅は、一目見るなり顔をしかめた。
琥琅の傍らに寝そべる白虎はしかしわからんな、と尾を緩く振った。
〈何故、雷禅の知人があのようなことに協力していたのか……私が先の主と共に彼らと戦ってから、長い時が経っているはず。その頃の恨みは、とうに失せているのではないのですか?〉
「ええ。彗華で富裕層を名乗るなら、吐蘇族の毛織物は不可欠だって言われていたくらいですからね。綜家の工房にも吐蘇族の職人がいましたし」
「ああ。北方辺境でも吐蘇族の毛織物は珍重されてたもんだ。あったけえからな。……今じゃもう新品を手に入れられんが」
〈どういうことだ?〉
苦く笑う秀瑛の補足に、白虎は首を傾げた。
そういえば秀瑛は、西域辺境について勉強したと言っていたのだ。ならば気づいてもおかしくない。
「色々とあったんですよ。彼らにとって……西域辺境にとっての人災が」
雷禅は暗い声で言った。ぎゅっと唇を噛みしめ、両の拳を布切れごと握って。――――湧き上がる感情をこらえるように。
彗華にある西域都護府の主の席は今空いている。それは前任者が任期を終える前にこの世を去ったからではない。ごく平凡な地方長官でしかなかった前任者が突如人が変わったかのように悪政をおこなうようになり、それを裁かれたからだ。
重税に税の横領、気に食わない官吏の粛清、気に入った女人の強奪。悪政と呼べるものが一通りおこなわれ、諫言をした官吏や武将が片っ端から処罰された。地方官吏の不正を糺す暗行御使が来ても、買収されてしまう。誰も手のつけようがなかった。
先代府君が成した数々の悪行の中でも特に名高いのは、西域辺境に住まう異民族に対して行った弾圧政策だ。区別を通り越した差別が制度として施行され、私兵による虐殺と略奪が頻発した。吐蘚族のように交易で暮らす民族ほど弾圧は厳しく、清人の商人のもとで働く異民族さえ対象になっていた。
そんな現状が一変したのは、今から一年近く前のこと。心ある官吏と雷禅の義父を初めとする商人たちが結託し、中原へ赴いて皇城にかの府君の処罰を訴えたのだ。
悪政の動かぬ証拠を添えて対応を訴えられれば、皇城も動かざるをえない。ただちに西域府君は更迭され、彗華中に歓声が轟きいたるところで宴が何日も催された。
だが大罪人を法で裁いたところで、失われたものが帰ってくるわけでも憎しみや悲しみが消えるわけでもないのだ。彗華に在住する異民族の数も、彗華の清民族の商人たちと彼らとの商取引の数も以前と比べて減った。先代西域府君の悪行の傷痕は深く、癒すには長い歳月がかかるだろうと巷ではささやかれている。
〈…………では、清民族に対する復讐のために吐蘇人が関与していると?〉
「いや、まだ断定はできねえだろ」
吐蘇人の不運を一通り聞いた白虎の推論に、秀瑛は首を振った。
「あくまでも、幽鬼がうろついてた場所に吐蘇人の伝統文様の布切れがあったってだけだ。……直接死体を見りゃわかるんだが」
「死体、幽鬼、まとめて燃やした。ほっとくの、悪いから」
「まあ、それがいいでしょうね。幽鬼の死体を獣が口にするとは思えませんし……亡くなっていたのが誰であれ、遺体は放置されるよりも葬られたほうがいいですから」
「だな」
暗い声と表情で雷禅が言うと、秀瑛も同意した。
〈しかし……そのようなことが半年ほど前まであったのであれば、雷禅も無事では済まなかったのではないのか?〉
「だよな。それに綜家の当主夫人……お前の義母は確か甦虞人の血を引いた稀な美女だと、報告を聞いたが」
「ええ。ですから義母は政策が実行されてすぐ、実家のほうへ避難してもらったんです。僕も彗華を離れ、義叔父と共に行商をしていました。他の異民族の職人も連れて……その道中に、僕と義叔父は琥琅を拾ったんです」
両腕を組み、秀瑛はうんざりした顔で長い息を吐きだした。
「……噂で聞いちゃいたが、その場にいた人間から実際に聞いてみるときついな……」
「僕や義母は彗華から追放されただけで済みましたから、まだましですよ。もっとむごい目に遭った人の話は数えきれません。……知人は目の前で、自分の子供を先代府君の私兵に殺されたそうです」
「……!」
「何故先代府君はあそこまで異民族に非道を働いたのか……今となっては謎のままです。別に知りたくもないですけど」
雷禅は吐き捨てた。温厚な彼にしては珍しい、強い調子と剥き出しの感情である。当然のことではあるが。
ともかく、と頭を掻きながら秀瑛は言った。
「今はこれ以上、布切れのことで考えても仕方ねえ。吐蘇人の伝統文様の身なりをした術者が関わってるってことで、あくまでも参考として吐蘇族の長老だのに話を聞きに行くのが限度だ」
「ですね」
雷禅はこくんと頷いた。琥琅も異論はない。そうした人間社会の事情はあまり興味がないのだ。雷禅や綜家の者たちがつらい思いをしていたということには腹がたつが。
その吐蘇人とかいうのが養母を殺したものと関わっているなら、追う。それだけだ。
ちょうどそのとき、失礼しますと場違いの明るい声が外から聞こえた。天幕が開き、清人の青年が姿を現す。確か伯珪とかいう、秀瑛の部下だ。
「伯珪、設営のやり直しは順調か?」
「はい。お三方の天幕も準備できました。荷もそちらへ運んでありますので、案内しようかと」
「あ、荷物も運んでくれたんですか。ありがとうございます」
振り向き、半ば立ち上がって雷禅は礼を言う。笑みに先ほどまでの殺伐とした色を感じさせない。
礼を言うのはこちらだ、と伯珪は笑った。
「皆、琥琅殿と白虎様が狩ってくれた猪を喜んでいる。昨夜は大変だったし、治療やら野営のし直しやらで今日は大忙しだからな」
「……別に」
仕留めた獲物を伯珪たちに渡したのは、琥琅たちだけではあの大きな猪を消費しきれないからだ。余り物の処分を任せただけで、特にありがたがられるようなことではない。
何故か秀瑛はにやりと妙な笑みを浮かべた。
「もちろん、雷禅殿と琥琅殿は一緒だよな?」
「え……ああ、はい」
「……それはどうも」
ちらりと琥琅たちを見てから答える伯珪に、ひきつった顔の雷禅。何故かくつくつ喉で笑う秀瑛。白虎は我関せずと三者を眺めている。
なんなのだ、一体。おかしな反応をしている雷禅と秀瑛の顔を見比べて琥琅は顔をしかめた。
雷禅と琥琅が一緒の天幕なのは当たり前だろうに。
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