第4話 嘘か真の同行希望者

 やがて、木立の向こうから侵入者の姿が見えてきた。

 馬に乗った男が三人。そのうち先頭を走る男に、琥琅は目を引かれた。

 灰白の髪と藍色の目。よく日に焼けた肌の顔立ちは精悍で、体格もよく鍛えられている。甦虞人の武人であるのは明らかだ。

 一方、腰に剣を佩いた後ろの二人は甦虞人と清人だ。甦虞人のほうは琥琅たちより幼い顔つきで小柄。もう一人は琥琅たちより年上でしなやかな身体つきだ。

 一行は琥琅と雷禅の前で馬を止めた。ぎょっとした様子で琥琅を見る背後の二人とは違って、甦虞人の男は軽く目を見張る程度だ。

「こりゃまた、とんでもねえ美人だな。この山には虎に化ける美人の仙女がいるって伝説があるが、あんたがその仙女か?」

 感嘆の色がにじむ声で男は言う。こうして近くから見て声も聞くと、思ったよりも歳が上のようだ。四十代くらいかもしれない。

 違いますよ、と雷禅は苦笑した。

「僕らは彗華へ向かう旅人ですよ。彼女は僕の護衛で、休憩がてら、散策していただけです」

「彗華? じゃあお前ら、綜家の跡取りと‘人虎’か?」

「ええ、そうですよ。よくおわかりで」

「知りあいから聞いたんだよ。西域辺境きっての豪商の跡取りが俺と同じ甦虞人の奴だとか、当主の弟とその養女が極悪に強いらしいとかな」

 雷禅が不思議そうな顔をすると、男は笑った。

「俺たちは北方辺境から来たんだが、そっちからの交易商人だのが最近来るようになったおかげで西の情報も入ってくるようになってな。簡単な情報くらいなら仕入れられるんだよ」

「ああ、北方辺境から来たんですか」

 雷禅は納得の声をあげた。

 この清国は大雑把にいえば帝都を抱える貴州を含む十五州と、それらを取り巻く八辺境に地域区分されている。彗華は神連山脈と河西回廊と呼ばれている一帯を抜けた先にある八辺境の一つ、西域辺境の都だ。

 北方辺境は名が示すように清国の北方にあって、他国と国境を接している。神連山脈周辺よりも冬が長く厳しい気候に適応した毛の長い虎が森で暮らしているらしく、琥琅にとっては一度行ってみたい地域だった。

 そんな地域から来たという男は、 おうよ、と笑った。

「俺たちは傭兵隊なんだ。中央に寄ってから神連山脈に来たんだが、そしたら道が塞がっててよ。仕方ねえから部下に撤去作業をやらせて、俺たちは周りを見回ってたんだよ。まあそんじょそこらの賊に殺されるような奴らじゃねえが、重労働の真っ最中だからな」

「ああ、向こうで撤去作業をしていたのは貴方の部下の人たちだったんですか」

「おう。で、見回りしてたら馬の足跡が山道を外れていってるのを見つけて、好奇心で後をたどってみれば跡取り殿と‘人虎’を見つけたってわけだ」

 と、男はここへ来た経緯を説明する。それからまた、琥琅のほうへ目を向けた。

「しかし、彗華の綜家の‘人虎’がこんなに美人とはなあ。当主の弟と並んでえらくつええというのは聞いちゃいたが、これなら街中を歩くのも一苦労そうだ」

「まあ、そのあたりは工夫してます」

 肩をそびやかして雷禅は言う。

「なあ、跡取り殿。せっかく会ったのも何かの縁だ。彗華へ案内してくれねえか」

「案内、ですか」

 雷禅が目をまたたかせると、ああ、と男は頷いた。

「撤去作業はもうちょいかかるから、それまでは好きにしてくれてていい。どういうところなのかは聞いちゃいるが、彗華に行くのは初めてだから現地の人間から教えてもらいてえんだ」

 な、と男は頼みこんでくる。見たところは何か下心があるようではない。

 琥琅の目元にしわが刻まれた。琥琅は人ごみが好きではないのだ。ましてや初対面の傭兵隊と四六時中一緒にいることになるなんて、冗談ではない。

 だから琥琅は考える仕草をする雷禅を見た。琥琅のことをよく知っているのだ。断ってくれるに違いない。

 ――――しかし。

「わかりました。同行しましょう」

「っ? 雷なんで!」

 雷禅の承諾に、琥琅は声を荒げた。意味がわからない。

 なのに雷禅は平然とした顔で言うのだ。

「行き先が同じなんですから、協力しあうほうがいいでしょう? 河西回廊に入れば野宿が多くなりますし、傭兵隊に同行するなら貴女もゆっくり休めます」

「要らない。雷守るの、俺」

「琥琅」

「っ」

 食い下がる琥琅だが、雷禅の声に強い制止の色が混ざると口を閉じた。睨みつけて強い不満を示す。

 琥琅と雷禅が突然険悪な雰囲気になったからか、男は慌てた。

「おいおい、喧嘩するなよ。跡取り殿も、少しは話を聞いてやったらいいじゃねえか」

「聞いても『やだ』の一言なのはわかってますから。琥琅は人間嫌いなんですよ」

「なら、なんで」

「いつまでも綜家の者以外に懐かない‘人虎’のままでいるわけにはいかないでしょう。綜家の専属護衛に専念するとしても、綜家以外の人たちとも交流することを学ぶべきです」

 雷禅はあっさりと言うと、にっこり笑顔を男に向けた。

「申し訳ありませんが、合流は土砂が撤去されてからでいいですか? もう少し山を散策したいですし、このとおり従妹が不機嫌になってますので」

「……ああ。わかった」

 なんとも言えない表情で男は頷くと、長い息を吐き出した。

「名乗るのが遅れたな。俺はえん秀瑛しゅうえい。こっちはこう黎綜れいそう。もう一人はしゅう伯珪はくけいだ」

 と、男――秀瑛は背後の部下たちを指差す。琥琅たちと同じかもう少し下だろう顔立ちの甦虞人の少年が黎綜、琥琅たちより少し年上に見える清民族の青年が伯珪のようだ。

「これはご丁寧に。僕は綜雷禅。こっちが従妹の綜琥琅です」

 雷禅は首を少し傾けて名乗る。もちろん琥琅は不機嫌を隠しもせず、ぷいとそっぽを向いた。

 そんな琥琅の態度に機嫌を損ねた様子もなく、秀瑛は眉を下げてた。

「じゃあ、俺たちは野郎どものところに戻る。そうだな、二日くらいしてから来てくれ。もちろん、そっちの‘人虎’の機嫌をどうにかしてからにしてくれよ」

「はい」

 にっこりと雷禅は笑って確約する。琥琅はそれがまた癪に障った。

 秀瑛たちが去ると、たまらず琥琅は閉じていた口を開いた。

「雷、なんであいつら、一緒」

「さっき言ったでしょう。傭兵隊と一緒なら貴女もゆっくり休めますし、貴女もそろそろ綜家の家人や護衛以外の人にも慣れないといけません。護衛業に専念するならなおのこと、綜家の者として最低限の振る舞いができなければ」

 それに、と雷禅と声色と表情を変えた。

「出立の前、義父上と聞いたところなんです。次の西域府君は北方辺境で活躍した、甦虞人の武将になりそうだと」

「!」

 人物像の一致に、琥琅は目をまたたかせた。

 建国当時からある十五州より異民族が多く住んでいたり他国に接している八辺境では、それぞれ都護府と呼ばれる特別な役所で府君が統治している。その八都護府のひとつ、西域都護府を有する彗華で西域辺境を統括するのが西域府君だ。

 今は事情あって空席になっていて、一時的に他の官吏が都護府を取り仕切っている。新しい西域府君はどんな人物なのか、西域都護府に出入りしている雷禅たち綜家の者は言うまでもなく彗華に棲む鳥獣たちもどんな人物なのか気にしていた。

「でもあいつ、傭兵隊って」

「ええ、もちろん本当に傭兵隊かもしれません。甦虞人の傭兵隊は珍しいものではありませんし。……ですが、彗華の‘人虎’の噂を知っているんです。警戒するに越したことはありません」

 そう秀瑛が去った方向を見ながら説明する雷禅の表情は、言葉が示すように鋭く重いものだった。こんな顔、温厚な彼にしては珍しい。

 琥琅は首を傾けた。

「……雷、一緒に行くの、あいつら探るため?」

「あくまでも理由の一つですよ。貴女が人に慣れるための訓練にしようと思ったのも本当です」

 雷禅はにっこり笑って言う。先ほどの厳しい表情は和らぎ、もういつもの様子だ。

 だが琥琅としてはどうにも納得できなかった。どうしてそんな腹の探りあいをするのか。琥琅に説明がなかったのも不満だ。

「聞けばよかったのに」

「まあそれはそうなんですけれどね」

 琥琅がふくれ面で言うと、雷禅は眉を下げた。

「傭兵隊に偽装した賊の線もありますが、西域府君なのかと聞いてから本物の傭兵隊だと言われるのも恥ずかしいじゃないですか。それに秀瑛殿が本当に西域府君なら、僕が綜家の跡取りだとわかっているのに傭兵隊と名乗ったのは何故かと思いまして。事前に彗華のことを調べてあるなら、綜家との繋がりは大事だと理解しているでしょうし」

 確かに僕は何の権限もないのですけどね、と雷禅は苦笑した。

 代々彗華で莫大な財産と幅広い人脈を築いてきた綜家は、西域辺境の経済に大きな影響力がある。だから歴代の西域府君は綜家と繋がりを持ちたがり、綜家もまた西域府君と良好な関係を保つことで商売をしやすくしてきたのだ。雷禅や老師からそう琥琅は教わった。

 大体、彗華へ着けばわかる嘘なのである。なのに素性を隠すのは西域府君らしからぬ振る舞いではないのか――――というのが雷禅の考えなのだろう。それで、自分で直接探ることにしたわけだ。

 でも、どうしてわからないことを尋ねるのが恥になるのだろう。そんなことを言ったら琥琅なんて、どれだけ恥をさらしていることか。琥琅には理解できない。

「ともかく、彗華へ行くまでのあいだは我慢してください。隊列から離れていても構いませんし、天幕も他の人たちから離れたところにしてもらいますから」

「……」

「秀瑛殿たちが何者なのか確かめられたら、途中の人里へ寄ったときに上手く言い訳して抜けられるようにしますし。だから琥琅……機嫌を直してください」

 なだめるように雷禅は言う。しかし、琥琅の不満がそれで収まるはずもない。いつあの男の正体を確かめられるのかわかったものではないのだ。約束が果たされるのかどうにも疑わしく、琥琅はじろりと雷禅をねめつける。

 けれど雷禅の困った表情を見た途端、琥琅の不機嫌はたちまちしぼんだ。完全に消えたわけではないが雷禅を困らせた罪悪感が勝って、断固反対の気持ちが薄れてしまう。

 所詮、琥琅には選択肢なんてないのだ。どんなに不満があっても、雷禅に従わないことはできない。

 琥琅にとって雷禅は絶対で、従うべき存在なのだから。

 それを理解している雷禅は、すみません、と申し訳なさそうにもう一度言った。困り顔のまま視線をさまよわせ、ためらった末に琥琅の頭に手を伸ばす。

 琥琅は雷禅の手を取ると、自分の頬へと引き寄せた。頬ずりして雷禅の体温に意識を寄せる。

 だって雷禅の我が儘を聞いたのだ。このくらいは許されるべきだ。

 雷禅はそのあいだ、緊張しながらも腕を振り払おうとはしなかった。

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