第2話 孤独な人には孤独になるだけの訳がある

 翌日。

 1限を使っての委員会決めはほとんど紛糾することなくあっさり決まった。

 ちなみに委員会は予想通り保健委員会だ。

 やっぱり筋肉だろうか……。

 そんなことを考えながら半ドンで終わりの二日目を終えると、俺の元へ二人の人間が来た。

 一人は昨日の親睦会で幹事をしていた男、えっと中馬なかま? アテウマ?  ハシルウマ? なんかそんな奴。男だし脚も出してないから興味なし。

 もう一人はくだん内蔵・優愛うちくらゆあだ。

 二人は一瞬だけ視線を交錯させると、

「中馬くんが先で良いわよ。私大した用事じゃないから」

 福田がつんとした態度で身を引いた。

 こういうところがマイナスなんだよな……いかんいかん、美脚鑑賞には周囲が居ないほうがいいからプラスだった。うん、そのまま人を寄せ付けず孤高の美脚を貫いてくれ。


 それと同時、中馬だったか? まぁ面倒だし中馬で良いや。

 中馬が俺にヘッドロックを掛けてきた。突然の先制攻撃に吉見先生の舎弟かこいつは、と疑ったが、それにしてはあまり痛くなかった。どうやら手加減しているらしい。

 その代わりに耳元で、笑いを含んだ声が囁かれる。


「お前、この学校一番の美少女って話題の内蔵さんに話しかけられるなんてどんな関係なんだよ?」

「ハァ? 一番は向花原むけはらちゃんだろ?」


 もちろん脚的な意味で。


「ばっか。向花原ちゃんは親しみやすいし可愛いけど、内蔵さんには遠く及ばないよ。他のクラスの奴らも言ってるし! グラビア級のスタイルにモデル級の清楚系美人だろ? もうダントツに決まってんだろ」


 入学2日で他のクラスまでチェックしてんのか。スゲぇな。

 俺は脚のチェックだけで手一杯だったよ。脚なのに手が一杯とはこれ如何いかに。


「吉見先生から、『内蔵と阿志賀あしがを一緒の委員会にしてくれ』って相談されたんだよ。クール系で話しかけづらい内蔵さんでも一緒の委員会になればワンチャンって奴が多くて大変だったんだからな」

「おお、そりゃ悪かった」

「ま、次のクラス会に参加してくれりゃそれで良いよ」


 おおう。何かスゲー良い奴だな。ボーリングとかボルダリングとか女子の脚を鑑賞しやすいイベントなら参加するよ。

 こういう、すっと懐に入ってくところが幹事になれる奴なんだろうな。

 吉見先生の手前もあるし了解の旨を伝えると、中馬は満足したのか離れていった。

 次いで待っていたのは我が同志、内蔵である。

 心なしか頬を赤らめた内蔵は想像以上に可愛かった。

 くっ、俺には向花原ちゃんという心に決めた脚があるというのに……!


「阿志賀くん、保健委員に立候補したわよね?」


 アーモンド型の大きな瞳に見つめられると、なんとなく悪いことをしてしまったような気になる。

 うん。美人過ぎて気後れする。

 尋問みたいな口調も含めてきっとドMだったらゾクゾクするんだろうな……残念ながら俺は違うが。


「したよ。それが、」


 どうしたの、と続ける前に内蔵は俺の両手をガバッと掴んできた。


「やっぱり! 吉見先生から阿志賀くんは人体の1部分に多大な興味があるって聞いてたから、もしかしたらって思ったんだけど!」


 ああ、なるほど。

 同好の士に飢えていたのね。

 その気持ちは俺にも痛いほど分かる。


「私、見た目とか雰囲気が怖いらしくて誤解されがちなんだけど、いろんなことを忌憚きたんなく話せる友達が欲しくて」


 なるほどね。別に人を寄せ付けないのは狙ってやってるわけではないのか。

 ちょっと可哀想になってきたし吉見先生との約束もある、そしてなにより良い脚してるから友達になってやるか。


「俺で良ければぜひ」


 美人だし、脚もかなり綺麗だからな!

 大切なことなので確認したけどマジで脚綺麗だわ。近くで見ると肌のキメというかなめらかさが違う気がする。これは向花原ちゃんより綺麗かもしれない……!

 こんな脚を眺め放題なら放課後筋肉談義に付き合うのも悪くない。まさに青春って感じだ。

 そんなことを考えて応答すると、内蔵はおもむろに一枚の紙を取り出した。

 そこに書かれているのは、教科書でも馴染み深い歴史系書物に記された一つの図だ。

 解体新書ターヘル・アナトミア

 杉田玄白が翻訳したことで有名な、日本で初めて翻訳された解剖学の本だ。


「阿志賀くんはどの臓器が好き!? 私は圧倒的に肝臓! あ、でも肝臓オンリーってわけじゃなくて、膵臓すいぞうとか胆汁たんじゅうとかだいたい何でもイケるからね? 腎臓じんぞうはそこまででもないけど、脳髄のうずいとかもイケるし!」

「吉見先生……難易度下がってねぇよ……!」

横隔膜おうかくまくから恥ずかしげに覗く肝臓とか、肝右葉かんうように隠れた胆嚢たんのうとかめっちゃ可愛くない!? あと気難しそうな小腸も可愛いと思うし、……って私ばっかりごめん。阿志賀くんは何が好きなの?」


 なんだろう。

 脚って言ったら凄いがっかりされそう。

 期待感に満ちた美人の視線ってなかなか来るものがある。


「んー、…………横隔膜、かな」


 確か焼肉のハラミって横隔膜だったはず。

 必ず頼むし好きという意味では嘘ではない。


「わっ、渋い! 高校生で横隔膜なんて、阿志賀くんって大人なんだね。吉見先生からは絶対に大丈夫って言われてたけど、肺とか心臓とか、もっとミーハーな感じなのかと思ってた」


 ごめん、何言ってるかさっぱり分からない。

 何? 肺とか心臓はミーハーなの? 横隔膜は渋いの?

 わけわかんねぇよ。人間の言語で解説してくれ。

 杉田玄白でも翻訳できねぇだろこんなの。


「あ、でも俺、心臓も好きだよ」


 主にホルモン的な意味で。クニクニした食感が面白いからね。小腸テッポウも嫌いじゃないけど噛みきれなくて顎が疲れるからな。あと脂っこすぎて量が食べられない。


「そっかそっか。いいんだよ別無理しなくても。横隔膜が真っ先に出てくるような人が心臓なんかにときめくはずないじゃん。私、そういうのに偏見ないから」

「そ、そっか」


 吉見先生……難易度高すぎるよ。昨日のロリコンとかシスコンが可愛く思えるレベルの難易度だよ。

 日本語で会話してるはずなのに何を言ってるかさっぱり分かんないなんて初めての経験だわ。

 どうしたもんか、と思案を巡らせていると、不意に内蔵が視線をそらした。


「あのさ」


 福田は恥ずかしそうにもじもじと身体をくねらせた後に、


「ちょっとだけ、触っていいかな? こんなこと頼むのははしたないって分かってるんだけどさ。男の子の臓器、触ったことないからさ」

「!?」


 男の子の臓器?!

 それってつまり、いやつまらなくてもアレのことだよな?!

 女の子には存在しない、唯一胴体から分離したアレ!

 第三の脚とも言うべき、股間にぶら下がった男の闘争本能の塊である尖角ホーン


「ええと、そうだな……」


 いや、待て。

 相手は内臓フェチなのだ。別にエロいことをするわけではない……と思う。

 思うが、何とか脚に結びつけてエロい感じにできないだろうか?

 最終目標は足コ……ってここは学校だからそれは不味いな。とりあえず触ってもらうだけで満足すべきだろうか。

 でも放課後の閑散とした教室で男女二人きり、男の子の臓器をおさわりとなればもうこれは勝ちと言えるだろう。

 なんとか脚で触ってもらえば俺も実質童貞じゃなくなると言っても過言じゃない。


「別に構わないけど、」

「良いの?!」

「ああ。ただ、誰かが入ってくるかもしれないから触られてるってバレるのは恥ずかしい」

「そ、そうだよね……」

「だから、そう。上半身とか手で触られると目立つから脚でお願いしたい」

「脚で!?」

「そう、脚で」

「良いの!?」

「ああ。慣れないと思うけど、まぁ我慢してくれ」

「……本気で良いの? 嫌ならいいんだよ…?」

「ああ、良い。ひと思いにやってくれ」

「ひと思いに!?」

「ああ。覚悟はできてる」

「分かった!」


 言った瞬間、俺の腹に強烈な


「~~~ッ!?」


 肝臓がきしみ、声にならない悲鳴を上げる俺を他所に内蔵はどこかうっとりした様子だ。


「思いっきりイッたけど、男の子の肝臓ってすっごい弾力! 女の子とまったく違う! やっぱり腹筋の厚みかなぁ……でも今の感触だと確実に肝臓まで打ち抜いたはずだし、やっぱり男女で弾力が違うんだろうね」

「……カッ、はっ……!」

「あ、阿志賀くん、もう一回良い!?」

「……良い訳ねぇだろ!?」


 クソ、男の子の臓器って言葉通りの意味かよ!

 後で聞いたところ、内蔵的には内臓を調べるために優しく触る触診をする予定だったが、俺が『ひと思いに』とか『脚で』とか言ったから膝蹴りに踏み切ったとのこと。


 ちくせう。

 何はともあれ。

 吉見先生の勧めで作った俺の初めての友達は、異性で、美人で、そして内臓に並々ならぬ感情を抱いている変態だった。

 吉見先生の言っていた『協調』とやらの大切さが、身に染みるぜ……。


「阿志賀くん! おはよう! 横隔膜触らせて! 一瞬で済むから!」

「触診! 触診でお願い殴られたらマジで呼吸止まるから!」

「ほら、他の生徒も登校してきちゃうから! ホント一瞬! 瞬きする間に終わるから!」

「時間じゃねぇ! 威力の話をしてんだよッ!」

胃力いりょく!? ナニソレ詳しく聞かせて! 胃袋さんに秘められた不思議なパワー!」

「何言ってるかわかんねぇ!?」

「胃の弾力も確かめたいんだけど、もしかして朝食抜いてきてくれた!?」

「殴る気だろ!? 絶対許さないからな!?」

 

 高校二年生になって間もない、慣れない教室の中に悲鳴が響いた。


 これは、誰かと共有するにはあまりにも濃く、あまりにもマニアックで理解されないものに、どうしようもないほどの熱意と愛と人生を注ぐ者たちの青春の話だ。

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