第49話 姉妹

 それから数日。

 カナタは日常に戻ろうとしていた。朝の光を浴びながら身支度を整えていると自室のドアが乱暴に開けられる。


「お兄! なんでまだ支度終わってないの!?」

「まだ六時前だからだよ」

「外で、そ、その、朱里姉さんが待ってるでしょ!」


 本気で怒っている雫にげんなりしつつも追い払う。


「いや、待たせとけよ。俺が七時半に出ると分かれば七時から待ち伏せして、七時に支度を終えるようにしたら六時半から待ち伏せするようになったし」

「好きな人相手なら待ってる時間もまた楽しいってやつっすよね」

「お兄のスケコマシ! ヒモ! ホモサピエンス!」

「待て、今全人類を悪口として扱わなかったか?」

「朱里姉さんは美人で優しくて最高な女神だから待っててくれるけど他の女の人をこんなに待たせたら浮気されて妊娠出産からの托卵までされてるからね!」

「何? RTAのグリッチでも使ったの?」

「もう! 良いから早くして!」


 雫に急かされパンとコーヒーを口の中に詰め込まれたカナタは物理的な要領とコーヒーの温度に悲鳴をあげながらも出発する。

 どう考えても早すぎるし本当はニュースでも見ながらスマホをいじりたいが、これ以上雫を怒らせるとどうなるか予想もつかなかった。


「『これ以上お待たせするのも悪いので』とか言いながらカナタさんの右腕だけ先に渡したりしそうっすよね」

「一部分だけ渡すって……プラモデルじゃないんだから」


 ミカエルの軽口をなしながら外にでれば、そこには一台の車が止まっている。中が一切みえないフルスモークのハイエースは犯罪臭がヤバいが、一応は問題ないのでそのまま後部座席に入る。


「おはよ、カナタくん!」

「悪い、待たせた」

「ううん! 待つのも楽しいから!」


 朱里が女優時代の給与で買った車で、運転手の女性も朱里が雇っている。「救世者の欠片集めに拠点がないと不便だから」という朱里の気遣いだ。

 フルフラットに改造され、いつでも横になれる後部座席も迷宮ダンジョン攻略のためのものだ。

 丸まった布団や「YES」と書かれた枕が二つ並んでいるが見なかったことにして、靴を脱いで座る。


 ドアを閉めると同時、布団がもぞりと動く。


 そこから出てきたのは、不思議の国のアリスに登場しそうな西洋風の美少女――藤本カレンだった。


「おはようございます、カナタ先輩」

「おはよう藤本さん」

「いやですよぅ、これからになるんですからもっとフランクに読んでくださいよ! たとえば肉便――」

「朱里」

「うん」


 カナタの思惑を察知した朱里がカレンの首をきゅっと絞める。顔色を青から白へと変化させたカレンは望み通り静かになったが、どこか幸せそうに微笑んでいる。


「あれ? 朱里ちゃん、怒らないっすか?」

「何に?」

「ほら、爆乳ハーフ中学生をたらしこんで! 股間にぶらさがった脳を切除しなきゃ! みたいな」

「しないわよ。……カナタくんにのは私の方なんだから」


 はぁ、と溜息をついた朱里にカナタは苦笑する。


 カレンはあれから本当に引きこもりを脱却した。

 心の中で朱里に支えてもらい、現実でも朱里に寄り添ってもらいながら母親と話し合い、新たな一歩を踏み出したのだ。


 その代償として、


「朱里おねえさまの指先が触れた熱がまだ喉元に……♡」

「もっかい絞めようかしら……今度は適当な紐とかで」

「朱里おねえさまの選んでくださった紐で……♡」


 カレンは朱里にガチ恋した。

 慕うとか憧れるとかではなく、ガチ恋である。


 もともと男性に襲われ不信気味だったことや、インターネットでいろんな動画を見てしていたこともあり、女性同士でもバッチリだったのだ。

 さらには元々朱里の大ファンでもある。


 そんな状態で、迷宮内で朱里に説得されたためか、もはや狂信レベルで恋をしていた。


 最初はカナタを遠ざけようとしていたが、朱里がカナタにべた惚れであることや、邪魔しようとすると本気で嫌われることに気づいてすぐ軌道修正した——明後日の方向に。


「カナタ先輩も助けてくださいよ! 私、おねえさまと竿になるためなら何でもしますから!」

「間に合ってます」

「間に合ってる!? やっぱりおねえさまの美しい肢体を余すところなく堪能してるんですね!? せめておねえさまを愛撫した指を舐めさせてください!」


 飛びつこうとするカレンを手近な枕で撃退し、大きな溜息をつく。朝から騒がしすぎた。


「つれないですねぇ……一説によれば日本人の57割がロリコンとのことですし、どんなプレイもOKな爆乳中学生に誘われたら普通は断らないと思うんですけど」

「とりあえず全日本人に謝れ。パーセントならともかく割だと総人口よりロリコンが多いぞ」

「引きこもりの学力をナメないでくださいよ!?」

「何でちょっと誇らしげなんだよ」


 車が静かに発進する。コンビニの駐車場などを経由しながら、登校時間までは時間を潰す予定である。

 じゃれ合う三人を見て、ミカエルは首をかしげる。


「でも確かに不思議っすね……カナタさん家のエロ本おたから的にはカレンちゃんって好みドンピシャな気がするっすけど」

「へぇ……ふーん」

「あ、朱里さん?」

「そっかそっか。ふぅーん。そういうことね。なるほど」

「何を納得してるか分からないけど誤解だからな?」

「誤解……じゃあ、カナタくんが私と婚姻届けを出そうしてくれないのはただの誤解で、本当は出したい……?」

「都合の良い解釈すぎんか。それは誤解じゃないわ」

「じゃあ先輩が私に誘われてるのに襲ってくれない方が誤解ってことですか!?」

「ふぅん」

「待て、何でそうなる!?」


 何はともあれ。


「カレン、近過ぎよ」

「おねえさま、嫉妬してくださるんですか!?」


 一人の少女が前に向かって歩き始め、笑顔を取り戻したのは間違いなかった。


「あっ、運転手さん。そこのコンビニにお願いします。いえ、買うものはないんですけど――戦略的撤退を兼ねてジャンプ読んできます」


 


 


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