第48話 一歩

 カレンは必死に走っていた。

 否。必死に


「カレンちゃん! お願い!」


 脚は冗談かと思うほどに震え、言うことを聞かない。

 たった十数メートルの距離が果てしなく遠く見えてしまうほどに遠かった。


 朱里にお願いされた救世者の欠片かがやきは、『ゴール』と大きく印字されたアスレチックの終点部分に鎮座している。

 カナタやマーカスが挑んでいた時とは違い、めちゃくちゃに移動したアスレチックは歩きづらさこそあるものの、決して障害にはなり得ない。


(なんで)


 アスレチックはカレンの”心の闇”だ。

 人を遠ざけ、決して触れられることのないよう自らを守る殻。

 何があってもたどり着かせず、カレンの絶対的優位を作り出す装置。


 その残滓が、カレンが進むことを阻んでいた。


(なんで動いてくれないの……!)


 カレン自身、恐ろしい目に遭った。

 そしてそれは自分以上に母を傷つけた。

 見えないところで泣いている母がいた。

 電話口で加害者を罵る母がいた。

 弁護士をつけ、全力で相手の罪を贖わせようとする母がいた。

 自らを抱きしめ、謝り続ける母がいた。


(――違うの、ママ。もう私は大丈夫だよ)


 クラヴ・マガを習った。

 人体の構造を勉強した。

 不審者に遭った時にどうすれば良いのかも学び、何度も頭の中でシュミレートした。

 インターネットを漁って自分が何をされそうになったのかを理解し、その一部は一人で実践して『こんなことは大したことじゃない』と笑ってみせた。


(私は、謝ってほしいんじゃないんだ)

「……頑張ったね、って。克服できてすごいって、そう、言ってほしいんだ……!」


 必死に歩みを進める。


 他の人から見れば赤ん坊のよちよち歩きにも劣る不安定なものだ。

 だが、間違いなく救世者の欠片との距離を縮めていった。


 努力し、学び、克服した自信がカレンを少しずつだが前に進ませていた。


「GARUUUUUUUUUUUッ!」


 背後、アスレチックの岸壁から狼が飛び出してきた。


「ひっ」


 欠片まではあと少し。飛びついて手を伸ばせば握れそうな距離だった。


 背後に迫る狼を見て必死に心を奮い立たせようとするが、記憶の中にいるのは悲しそうな笑みを見せて謝り続ける母の姿だけだった。


 へたり込みそうになったカレンの耳に、朱里の声が響く。


『克服したんでしょ!?』

「あ、朱里さん……? どこに、」

『あなたが乗り越えたように、お母さんだって克服したかもしれないでしょ!』


 姿は見えない。

 だが、声だけは間違いなく響いていた。


『お母さんを信じてあげて! 未来を向いて、必死に歩いてるって!』

「ママを……信じる……」

『――あなたと一緒に、歩こうとしてるって!』


 その言葉に押され、カレンは一歩を進んだ。

 飛び込むように掴んだ光は、どこか懐かしく、そして暖かいものだった。


「ママ……! 私ね、話したいことがたくさんあるの!」


 気持ちが溢れる。

 涙が溢れる。

 光が溢れる。


「守ってくれてありがとうって! 戦ってくれてありがとうって!」


 背後に迫っていた狼が光にかき消され、アスレチックと金庫が消滅していく。足場が消え、自分が立っているのかどうかすら分からなくなりながらも、カレンは心のままに叫ぶ。


「もう大丈夫だよって! 私も戦えるから!」


 すべてが光に包まれる。


 ――今度は、私がママを守るから!


 声にならぬ意志が響き、全てが光に呑まれた。





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次回でカレン編終了!

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