第45話 変化

 倒れ込んだカレンには、動く気力がなかった。

 クラヴ・マガで教わった動きなんて、ひとかけらもできなかった。


(何なの……何なのよ……!)


 目の前にいるのは大ファンだった朱里――否、朱里の姿をした何かだ。


 心をえぐるような言葉。貫くような眼光。当たれば死んでもおかしくない威力の弓矢。


 そのどれもがカレンの知っている――焦がれる朱里とは別人だった。


 今も朱里は金庫カレンに脚をかけ、弓を構えている。


「出てきなさい」

「……怖いです」

「素直に出てくれば撃たないわ」

「……ママ、無理して笑ってたの……」

「私に撃たれたら無理して笑うこともできないわね」


 冷淡な、ともすればズレている会話を繰り広げる朱里の瞳には、どんな感情が込められているか理解することはできなかった。

 しかし。

 ずっと抱えていたものを言葉にしてしまえば、もうカレン自身にも止めることが出来なかった。


「ママに、泣いてほしくないよ……!」


 それは、誰にも言えなかった言葉。


「幸せになってほしいの……!」


 こころの奥にしまって、誰の目にもつかないように厳重に鍵をかけておいたはずの気持ち。


「私が、私さえいなければ……!」

「じゃあ、そう言ってみなさい」

「言えるわけないよ!」

「何で?」

「もっとママを傷つけちゃうじゃん! ママがどれだけ私のために無理して——」

「何であなたのママは無理してるのよ。あなたのことをどうでも良いと思ってたら、そんなことしないでしょ」

「でもっ、これ以上心配させたくないもん! あんなママは見たくないの!」

「あなたのママはあなたから目を逸らしたの?」

「ッ! そ、それは……!」

「じゃあ、あなたの番よ」

「……怖いです」

「じゃあ、私が手を繋いでてあげる」


 弓を下ろした朱里がにっこりと微笑む。

 全てをとろかすような、それでいて、どこか自信が滲んだ笑みだ。


「だから、出てきなさい」


 きぃ、と軋んだ音ともに、金庫の蓋が開いた。


***


「あー……だっる」

「やる気ゼロっすね」

「マーカスがギリギリまで粘ってくれねーかな。もう挑戦したくねぇよ」


 はぁ、と大きな溜息をついたカナタがアスレチックを眺める。

 どう頑張ってもクリアできない仕掛けが施されているらしいアスレチックは、理不尽の象徴だ。


「せっかくレベル上げまでしたのに、まったく役に立たないし」

「まぁ良いじゃないっすか。手に入れたにも使い道はあるっすよ! 多分! きっと! おそらく! メイビー!」

「つまり根拠ゼロなんだな?」

「あはは」

「笑って誤魔化すなよ」

「あっ」

「その手には乗らねぇぞ」

「カナタさん! 良いからみてくださいっす!」

「だからその手には——何?」


 カナタの眼前、アスレチックがある種の生き物のように蠢く。安全性を考慮したポリウレタンのマットが、鈍い輝きを放つ金属へと変わる。

 池が干上がり、モンゴリアンデスワームたちが絡まりながら長大な何かへと変貌していく。


「あっ、マーカス」

「チャレンジ中に変形が始まったから放り出されたっすね。後でリプレイ映像ほしいっす」

「お前、マジでブレないのな」

「悪魔は敵っすから。慈悲はないっす」

「悪魔以外にも慈悲なんぞないだろ外道天使が」


 推移を見守る二人の前でアスレチックは長方形の金属になった。

 中央にダイアルがあり、分厚い金属の壁に守られたそれは——


「金庫、か」

「あー……カナタさん。あそこみてくださいっす。扉の継ぎ目のとこっす」

「黒いもや……アスレチックが”心の闇”だったのか? どういうことだ?」

「誰も近づけない、近づかせない。そうすれば襲われることも傷つくこともない……そんな感じっすかね?」

「ふんわりだな」

「本人に聞いたわけじゃないっすから」

「そりゃそうだ……朱里が頑張ってくれたってことか」


 巨大な金庫のすぐ下に、小さな金庫と相対する朱里の姿があった。何があったのかは理解できないが、この変化はおそらく朱里の言動の結果だろうとアタリをつける。


 金庫の上に、眩い輝きが見えた。


「ッ! カナタさん! 救世者の欠片っす!」

「あれが!?」


 慌てて身を起こしたカナタのすぐそばで、哄笑が響き渡る。


「ふ、ふはははははっ!」

「……マーカス」

「愚かなものだ。あのままアスレチックの牢獄に我を閉じ込めておけば、魂を砕かれることもなかっただろうに」


 アスレチック地獄から逃れたためか、マーカスの両腕に黒い光が宿る。


「上級悪魔をコケにした報いを地獄で味わわせてやろう」

「なるほどなるほど。スキルも解禁ってか」

「ふん。貴様では相手にならん……邪魔しないというならば今回は特別に見逃してやるぞ? この心の持ち主を殺すことが先決だ……ついでに救世主の欠片もいただくがな」


 最優先事項が救世主の欠片を入手することからカレンの魂を砕くことに切り替わっているあたり、激怒しているのは間違いなかった。


「エントリーナンバー1番、マーカス選手はお優しいことで」

「自殺志願ならそう言え」

「いやいや。自殺志願ってのはモンゴリアンデスワームに正面からダイブするような行動だろ?」

「……良いだろう。殺してやる」


 向き直ったマーカスに、カナタもチェーンソーを構えた。


「良いね。よっぽど分かりやすくなった」

「ぼこぼこのぼこにするっすよ!」


 マーカスの身体がと破れる。そこから現れたのは黒の巨狼だ。大型バイクほどもある巨狼が牙をむいてカナタを威嚇するが、マーカスはその頭を撫でる。


「コイツはちゃんと殺す……貴様は欠片の入手して、心の主の確保をしろ。魂を粉々に砕くから私の元に連れてくるんだ」

「GRURURUR……!」

「ミカエル! 朱里に欠片確保と心の持ち主を守るよう伝えて来てくれ!」

「あいさー!」


 ミカエルが飛び出すとほぼ同時、巨狼がその後を追い始める。残念ながらカナタ一人で二体の足止めはできない。


 だとすれば、


(魂砕きが使えるコイツを止める)


 チェーンソーを握りしめた。

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