第44話 トレース
モニターの向こう側、アスレチックを攻略するカナタに異変があった。
「どうなってんだコレ……」
「そういうギミックっすかね?」
「理不尽すぎるだろ」
カナタが挑戦しているのはスクレーパーで削ったような、90°を超える斜面を駆け上がるアスレチックだ。
高いところから助走をつけて壁を蹴りながら淵に手を掛け、無理やり登ることで先に進むものである。
「見た感じはおかしくねぇよな?」
「もう一度やってみるっす」
幸いなことに、登れなくともモンゴリアンデスワームの池に落ちるタイプのアスレチックではない。制限時間内ならば何度でも挑戦できる。
首をひねりながらも助走をつけたカナタが斜面を蹴りながら跳び、壁の淵に手を掛ける。
が。
「いってぇ!」
壁の上――カナタには視認できないところの一部から
指をずたずたにしてしまうような鋭さはない。しかしカナタの指を傷つけ、手を離させるには十分なものだ。
不意打ちの痛みと、何が起こっているか分からない恐怖に思わず手を離したカナタは手を軽く振り、指を確かめる。
「いってぇ……」
「トゲっぽいものが生えてたっすね」
「……どうやって生えるところと生えないところを識別するんだ?」
「自分が見た感じだと、色合いとかも違わないっすね」
カナタは諦めることなく何度も挑戦する。手を掛けるところを微妙に変えたり、痛みを我慢しようとするが、その度に新しく生えてきた棘に邪魔される。
酷い時は、斜面そのものに棘が生えてきて転ばされたりもした。
『おお~っと! ここで無情のタイムアップです! カナタ選手、記録を伸ばしたもののクリアには届かず~!』
カナタの失格が告げられ、チャレンジャーがマーカスに変わる。
明らかな理不尽に朱里がカレンへと鋭い視線を向ける。
「どういうこと?」
「どうもこうもないです。ああいう仕組みなんですよ……ほら、若手芸人とかって割と理不尽な企画に巻き込まれたりするじゃないですか」
「……」
どう考えてもクリアなんてできるものではない。
だとすれば、別の方法を試さねばならない、と朱里は考える。
現状で別の方法を試せるのは朱里だけなのだ。
金庫の姿。
クリアさせる気のないアスレチック。
核心に入るときに見たカレンの”記憶”。
「……あ」
何かが繋がった。
「そっか、そうだよね」
「どうしたんですか?」
「カレンちゃんって、まだ男の人が怖いんでしょ?」
「……何言ってるんですか? クラヴ・マガは警察や軍隊にも採用されるレベルの超実践的な格闘術ですよ?」
「それはそうかもしれないけど、じゃあ何でまだ引きこもってるの?」
ぴたりと動きを止めた金庫に、朱里は今が勝負どころだと確信した。
悪化する可能性も十分に考えられるが、このままでは好転することもない。
ある種の賭けとして、彼女は思い付きをそのままカレンにぶつけていく。
「このアスレチックは防波堤で要塞かしら。カナタくんの邪魔をするような仕掛けがクラヴ・マガ……?」
「何言ってるんですか?」
「あなたが金庫なのはやっぱり怖がっているから。大人になってお母さんの身長を超えても、手をあげられたら小さい頃を思い出して思わず身を竦めちゃうように、実際の実力が逆転しても心の傷は消えないもの」
「……何が言いたいんですか?」
「お母さん……そうだ。あなたが本当に気にしてるのは男の人じゃないんじゃない? 男の人を怖がってお母さんに迷惑を掛けちゃうこと——ううん、違う」
「そろそろ黙ってくださいよ」
「お母さんに無理させたくないのに、一歩を踏み出せないこと?」
「黙れって言ってるんです!」
金庫から、腕が生えた。
ミチミチと音を立てながら腕はどんどん伸びていき肩まで生える。女性のものとは思えない、筋肉質な腕は迷うことなく朱里へと振るわれた。
朱里は慌てて飛び退くが、先ほどまで座っていた椅子が剛腕に吹き飛ばされた。
たん、たん、と軽いステップでそれを避けた朱里。自分の言葉がカレンに対してクリティカルなものだったことを確信する。
手に入れた情報。
本人が語った言葉。
眼にした過去。
それらを
必要な情報は十分に得られていた。
何しろ朱里の仕事はもっと機械的に整った
目の前の人間と直に接し、感じたのだ。演じられないはずがなかった。
頭の中のカレンと対話して、何を考え、何を感じ、何を求めているのかをトレースしていく。
だから言葉にして、カレンの反応から正解を探る。
「道場とかジムに行って、スパーリングで男性を倒せれば変わる? いえ、違うわね」
剛腕が振るわれる。クラヴ・マガなど関係なしに致命打となり得る一撃が朱里のすぐ近くを駆け抜けた。ぶんっ、と風を切る拳の音が響く。
「ああ、そうか……お母さんを安心させてあげたいんだ」
ぶんっ。
「大丈夫だよって、もう気にしないでって」
ぶんっ。
「安心な姿を見せて、心の底から笑ってほしいんだ」
「黙れェェェェェッ!」
「黙らないわ」
ぶんっ、と再び振るわれた拳を避け、弓を構える。人の姿をしていれば朱里は撃つことが難しかったかもしれない。
だが、目の前にいるのは手足が生えた金庫だ。ボディビルダーよりもなお
「黙れぇ!」
どれほど怖かろうと、心の芯が熱を持っているから。
――世界中の誰もが無視して圧し潰そうとしても、俺だけは聞いてやる!
朱里の心に熱を付けた言葉が、今も響き続けているから。
——だから、教えろよ! 朱里のことを!
何があっても見捨てないと、自分だけは聞いてやると告げた言葉が。
だから朱里もそれに倣った。
心の中で閉じこもっている少女に、救いの手を差し伸べる。
腕を撃って拳を逸らし近づく。
踏み込みに合わせてさらに近づく。
「気持ちを」
「考えを」
「感じたことを」
スキルを込めた強烈な一撃が、金庫を叩いた。
「喋りなさい!」
金属を叩く強烈な音が響く。金庫の表面が歪み、カレンは仰向けに倒れた。
「私が聞いてあげるわ――何があっても」
☆マーカスは無限に挑戦させられてます。よく考えるとあわれすぎる……
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