第27話 閑話:朱里のこと
話がある。
そんな風に切り出され、朱里の母――静香は覚悟を決めた。
もともと思い詰めやすいタイプの娘だ。
仕事に対するストイックさが行き過ぎて、何かしら限界が訪れたことを予期していた。
しかし、切り出されたのは意外なことだった。
「私ね、ママの溜息が怖かったの」
「溜、息……?」
「覚えてるかな。五歳くらいの頃。すっごく怖い監督に怒られて、仕事から外されたことあったでしょ?」
「……ええ、覚えてるわ」
「あの時、ママが車の中で大きなため息ついて、私は『ああ、ママの期待を裏切っちゃったんだ』って思って——」
「ちょっと待ちなさい。あの溜息は、朱里に対してじゃないわよ?」
「エッ?」
あの映画仕事は、独立する前に受けたものだ。
業界のしがらみは面倒なのでサックリ表すならば、
「あの監督は、前の事務所の社長とあの映画のスポンサーの顔を完全に潰したのよ」
「……?」
「契約や何かも色々噛んでくるんだけど、裁判になるなって思って憂鬱だったの」
「裁判?」
「社長とかスポンサーの手前、なぁなぁで手打ちにはできないから。頑張ってる朱里をあんな風に怒鳴りつけたんだもの。ママだってあの監督のこと怒ってたんだから」
とはいえ裁判にまでなれば気力も労力もかなりのものがある。
「その甲斐もあってあの監督はすっかり見掛けないでしょ?」
「そういえば」
「社長もカンカンだったし、スポンサーも起用にNG出したからね。逆に朱里はお詫びの意味も込めていい仕事一杯もらえたけど」
裁判と仕事との両立で静香はヘトヘトになっていた。
「芸能界は横のつながりで出来てるから。誰かに泥かけるような真似した人間はきちんと報いが待ってるのよ」
「えっと、じゃあ、ママは、私にガッカリしたり……とか?」
「するわけないじゃない! 一番の味方よ! 共演NGとかハリウッドデビューだって言ってくれれば全力でサポートするわよ!」
「……それはさすがにないけど」
「そのくらい本気ってこと! もう、変に誤解しないでよね」
心の中では誤解させてしまったことを詫びる静香だったが、それを前面に出してしまえば却って朱里が気にすることを知っていた。
「でも、カナタくんにもすっごい怒ってたじゃん」
「当たり前でしょう。寝間着姿の朱里の病室に入り込んで、万が一でもあったらどうするのよ!」
「カナタくんはそんな人じゃないよ!?」
「いーえ! 朱里くらいの美人だったら聖人君子でも魔が差すことがあります! ましてやストレスで倒れたばっかりなんだから、もし無理やり迫られたら朱里の心労はとんでもないものになるでしょ?」
「……私のこと、心配してくれてたんだ」
当たり前でしょう、と告げると、朱里は身体からふっと力を抜いた。
久々にみた、営業用でない笑みに静香のこころも軽くなる。
「たとえば、だけど。私がお仕事辞めるって言ったら?」
「理由にもよるけど、無理強いしてまで続けるものじゃないと思ってるわよ」
「できれば、辞めたいなぁって」
「今すぐ? それとも急がない?」
「なるべく早く」
「契約破棄するってなると賠償金がすごいからちょっと避けたいけど、どうしてもなら試算するわ」
「そこまではしなくて良い」
「じゃあ、今進んでるお仕事を全部消化したらそこまでにしましょ。新規は全部断るわ」
あっさりと告げられた言葉に、朱里が拍子抜けした顔で静香を見た。
「戻る気が欠片でもあるなら引退じゃなくて活動休止が良いと思うんだけど」
「あー……そうだね。そっちの方が良いかも」
「ちなみに何で辞めたいの?」
言い淀む朱里を見て、静香はうすく笑った。
「当ててあげる。カナタくんだっけ。あの子でしょ?」
「エッ!? 違――……わない、けど」
「活動中だと色々言われるだろうし恋愛も自由にできないもんねぇ」
「……ママは、応援してくれる?」
「もちろん。あ、でも孫の顔を見るのは二人が成人してからが良いな」
どこぞの天使が言いそうなセリフに朱里は赤面して顔を両手で覆ったが、間違いなく微笑んでいた。
「パパに何て言おう」
「言わなくて大丈夫よ。私もパパと付き合った時、ギリギリまで内緒にしてたもの」
「ギリギリって?」
「入籍の一週間前」
「エッ!?」
「絶対反対されるもの。だからパパのことは放置で良いわ。いざとなったら」
私が味方してあげるから、と微笑んだ。
朱里にそっくりな、年を重ねてもなお人を惹き付けるような魅力的な笑みだった。
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