第22話 「教えろよ」

 胸部に朱里を捕まえたカメラ・マンが吠えた。

 大気をびりびりと震わせたカメラ・マンが向かうのは、マーカス老人の元だ。


「朱里ちゃんとっすからね。呪いの言葉で神経逆撫でしたんで順当っす」

「まずはマーカスを排除する、か……どっちを狙うべきだ?」

「ハァ……ガチでやる気なんすね。狙うならお爺ちゃんっすね。あっちのゴリマッチョはおそらくリモートで動かしてる分体っす」

「分からんが分かった」


 詳しい理由までは理解できずとも、どちらを攻撃すべきかが理解できれば問題なかった。

 カナタは気づいていないが、背中から腕を生やした異形マーカスの頭部には、顔が存在していない。のっぺらぼうのようにつるんとした無貌だった。


「ふはははっ、良いぞ。欲望の赴くままに拳を振るえ!」


 自らが狙われたというのにマーカス老人は楽しげに笑う。拳が風を斬って迫るが、飛び込んできた異形マーカスがそれを受け止めた。

 自動車事故でも起こったかと思うような強烈な音が轟く。


「暴れろ暴れろ。欲望に酔い、欲望に振り回され、欲望に沈め」

「早く止めないと本気で魂が汚染されるっすよ!」

「されたらどうなる!?」

「メンヘラ気質の地雷女が爆誕するっす! 芸能人なんでファンを巻き込んでカルト化したりすると最悪っすね!」

「さ、最悪だ……!」

「じゃあ止めるっすよ! 無理なら見捨ててさっさと離脱するっす!」

「誰が見捨てるか!」


 異形の盾に隠れる老人マーカスに、飛び込みざまスキルを多重起動した拳を叩き込む。六角形のシールドが砕けるが、ぎりぎりのところで拳を防がれてしまう。


「分体出してるから弱ってるっすね! チャンスっすよ! ファッキン悪魔野郎を血祭りにあげて生まれてきたことを後悔させるっす!」

「ちったぁ天使らしい発言しろよ!」


 チャンスなのは間違いない。

 そう判断したカナタは勢い込んだ。必殺の威力を秘めた拳が悪魔討伐に振るわれる。


「ふん! 戦闘経験が浅いな!」

「うるせぇ!」

「この程度の攻撃で上位悪魔を倒せるわけなかろう!?」


 マーカスはそれを躱し、受け止め、なす。枯れ木のような四肢はカナタのスキルに対抗できるほどの攻撃力はない。

 だが、拳法の達人が余計な筋力を持たずとも強いように、マーカスは巧みにカナタの攻撃を捌いていた。


 ――轟ッッッ!


 やりとりをする二人に、カメラ・マンの拳が向かった。

 異形マーカスが押さえていたはずだが、わざと攻撃を通したのだ。

 マーカス老人ごと殴られて吹き飛ぶ。シールドとマーカスというクッションのお陰で致命傷は避けられたものの、上下すら分からなくなる勢いで吹き飛ばされ、乱立するシートに激突しながら止まった。


「ぐがっ!?」

「べぎっ……ひひひひひひひっ、どうだぁ。人の魂を砕く悦びを知れ。完全に堕ちて破滅の巫女アンテ・マリアとして完成しろ!」


 鼻血をぼたぼたと垂らしながら、しかしマーカス老人は愉悦の笑みを浮かべる。

 対するカメラ・マンは朱里母の声でうめくようにブツブツ呟くだけだが、胸部の朱里が劇的な反応を見せた。


「い、いや……カナタくん……!」


 埋め込まれ、動けない状態の朱里がシートに激突して倒れ込んだカナタを映す。その目には大粒の涙が浮かんでいた。


「カナタくんっ……!」


 闇に絡めとられ、動くことすらままならない朱里に、カメラ・マンの呪詛が降り注ぐ。


「はぁ……朱里が殺したのよ」

「何を傷ついたふりしてるの」

「わかっていたんでしょう、こうなるのは」

「プロなんだからそのくらい考えないと」

「おもりが必要なんて……所詮は子役ってことねぇ」


 めちゃくちゃな言葉だが、母親の声で放たれるそれは、確実に朱里の心をえぐっていた。目元にたまっていた涙があふれだし、朱里の頬を伝う。


「いや……やだぁ……っ!」

「ひひっ、良いぞ! お前が殺した! お前のせいだ! 世界はお前を認めない! 本当は誰ひとりとしてお前のことなど必要としていないのだ!」


 笑みを深めたマーカスが追い打ちをかける。黒いもやがツタのように伸び、朱里の顔を這った。

 気付いていないのか、それともどうでも良くなってしまったのか……呑まれるに任せる朱里。

 マーカスだけが大喜びをしていた。


「完成だ……! 破滅の巫女の完せ――」


 マーカスの背中に、衝撃が走った。背骨が砕けたのではと思えるような音が響き、枯れ木のような体が吹き飛ぶ。


「ふぅっ……ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ」


 スキルを多重発動させたカナタが、マーカスを殴りつけたのだ。

 頭から血を流したカナタは荒い息を吐きながらマーカスを睨みつけていた。


「ごちゃごちゃ、うる……せぇ……!」


 こぷり、と血を吐き、それでもカナタは倒れなかった。


「テメェに朱里の何がわかるんだよ!」

「くくくっ……それはお前も同じだろう。お前に巫女の何が分かる」

「分かんねぇよ!」


 カナタは怒鳴った。


「突然学校来たと思ったら周囲の目線なんぞ欠片も気にしないで呼び出すし!」


 言葉と同時、マーカス老人とカメラ・マンに向けて出鱈目でたらめととも思える勢いでスキルを放っていく。


「損害賠償とか言っときながらわざわざ俺の家まで来るし!」


 カメラ・マンの腕と多重発動したスキルが相殺され、互いに吹き飛ばされる。旋棍トンファーで受け止めたため殴られたダメージそのものは大したことはないが、すでに血まみれなカナタは死に体だ。

 乱立するシートを破壊しながらごろごろと転がって止まる。

 すぐに立ち上がるが、滴る血も、おぼつかない足取りも、すでにカナタが戦える状態にないことを示していた。


「その上、ジャンクフード買ってこいとか言い出してアーンしてくるしよぉ!」

「くはははは、気でも触れたか!?」

「挙句ぽんこつ天使はイケイケゴーゴーであほみたいなことしか言わねぇし! 俺が惚れてるって勘違いして厄介ガチ恋ムーブでも始めたらどうするつもりだ!」


 カメラ・マンに埋まり悲壮な顔をしていた朱里だが、あまりにもあんまりなカナタの言葉に口をパクパクさせていた。

 自分の状況すら忘れ、頬を赤くしている。


「べ、別にポテトをあーんするくらい——」

「やられたことねぇだろ!」

「な、なんでそんなこと分かるの——」

「やられたことあれば分かるからだよ! やられる側の恥ずかしさを味わわせてやっからな!」


 マーカス老人の言う通り、カナタは錯乱しているのかもしれなかった。

 血にまみれた狭い視界の中、ぐしゃぐしゃな思考をそのまま口から垂れ流していた。


「だから」


 しかし、状況も相手も選ばずに放つその言葉には、一切の嘘がなかった。


「教えろよ。全部聞いてやるから」

「何、を」

「お前が何を感じて、何を考えて、何を思って、どうしたかったのか。あますところなく、ひとつ残らず全部教えろよ」

「そ、そんなストーカーみたいな——」


 動揺する朱里の顔色に気づいているのか、いないのか。

 カナタは宣言するように言葉を重ねた。


「世界中の誰もが無視して圧し潰そうとしても、俺だけは聞いてやる! だから——教えろよ、朱里のことを!」

「わ、私、重たい人間だよ?」

「どう重いのか分からねぇ。だからもっと教えろ」

「今までそんなこと言ってくれる人いなかったもん! 本気で寄りかかっちゃうよ!」

「今まで出会った人間も、本気で寄りかかった時のしんどさも知らねぇよ。だからもっと教えろ」

「……本気に、しちゃうからね」

「お前の本気を、教えてくれ」


 瞬間、カメラ・マンの胸部が破裂した。

 そこから投げ出されたのは、幼さを含みながらも先ほどよりも成長した朱里だ。

 今までが幼女と呼ぶにふさわしい年齢だとすれば、今は小学校高学年くらいはあるだろう。


「えへへ……成長しちゃった」

「まだガキンチョだけどな」

「これから大人になるから良いの!」


 心の最奥部かくしんの姿はそのまま彼女の精神年齢だ。

 今までは歪ながらも幼子のように庇護を求めているだけだった朱里の心が、急激に成長していた。


 そのきっかけは——カナタだった。

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