第21話 堕落

 幼い朱里を脇に抱きかかえ、再びヘッドレストを飛び石のように移動するカナタ。

 マーカスとカメラ・マンが降り立った場所からはかなりの距離があるものの、カメラ・マンが剛腕を振るう度にシートの部品が破壊され、飛沫のように飛び散っていた。


「ひゃぁっ!?」

「逃げるぞ!」

「そ、そこ、おむね……!」

「ぺったんこだから大丈夫だ!」

「むぅぅぅぅぅ!!」


 じたばたと暴れて不満をあらわにする朱里だが、それを気にしている余裕はなかった。巨大なカメラ・マンのみならず、マーカスも異形へと変貌を遂げていたのだ。

 元の腕に追加して鋼材よりも太い腕が4本、スーツを突き破って背中から生えていた。

 さらには骨格もおかしい。破裂寸前の風船のように上半身がパンパンに膨らんでおり、はち切れそうなスーツから覗く首は発達した筋肉がなめくじのように蠕動ぜんどうを繰り返していた。


「巻き込まれたら絶対死ぬ……! 離れながら探すぞ!」

「怪獣大決戦っすねー」

「他人事かよ!」


 パタパタと空中をはばたきながらカナタに追従するミカエルはしかし、表情を崩さぬままに言葉を続けた。


「でも、良いっすか?」

「何がだ!」

核心ここは朱里ちゃんの心の最奥部っすよ。踏み荒らされたらどんな影響があるか――」

「クソッ!」


 最悪の可能性が脳裏をよぎったカナタがヘッドレスト上で急制動を掛ける。


「朱里、隠れてられるか?」

「や、やだ!」

「お前の心を荒す奴をやっつけてくるから」

「だめ! 一緒にいて!」


 幼子のように駄々をこねる朱里に困った笑みを浮かべながらも、カナタは優しく頭を撫でた。

 余裕はない。

 だが、朱里の心を守るために朱里の心を踏みにじってしまうのは本末転倒だ。


「朱里……」

「はなさないっていったもん!」

「わかった、わかったから——」


 朱里のトラウマに触れてしまったのだろうか。目に涙を溜め、縋りつくようにして離れることを拒む朱里。


 それを、離れたところでカメラ・マンと戦っていたマーカスはきちんと認識していた。

 がっぷりと両手で組み合いながら正面衝突していたマーカスは、首だけをぐりんと動かし、朱里へと焦点を合わせる。


 にんまりと笑うと、大きな雄叫びをあげる。

 追加の腕によってボロボロになっていたスーツがはじけ飛び、発達した広背筋がぼごぼごと震える。

 盛り上がったそこから、げろりと吐き出されたのは、枯れ木のような細腕のマーカスだった。

 老人のようなシルエットのマーカスはしかし、四つん這いになるととシート状を這い進む。

 朱里を見据える瞳が怪しく輝いた。


「お前は捨てられるぞ」


 しゃがれ声が、距離を無視してカナタと朱里へと突き刺さった。


「わがままばかりで悪い子だ」

「しつぼうした」

「所詮はクソガキだな」

「使えねぇ人間を現場にねじ込んだのはどこの馬鹿だ」

「母親無しじゃ仕事もできねぇガキは要らねぇんだよ」

「朱里、わがまま言わないで」


 一人の人間とは思えないほどに声音を変えながら高速で這い寄るマーカス。生理的嫌悪を催す動きにカナタの動きがこわばる。


「うおっ!? 気持ち悪ぃ! 逃げるぞ!」

「……うぅ……」

「朱里っ!?」


 手を引いて脇に抱えようとするが、あれだけ離れることを嫌がっていた朱里が頭を抱えてうずくまっていた。


「ご、め……なさ……!」

「朱里! どうした!」

「――お前のことなんて誰も見てない。必要なのは輝かしい実績だ」

「カナタさん! あの悪魔の言葉っす! 呪いの言葉で精神を蝕んでるっす!」

「なっ」

「デキる子役ならだれでもいい。朱里なんて人間は——必要ない」

「い、いや、やめて!」


 ただの言葉ではなく、精神に作用する何かが織り交ぜられているのだろう。

 朱里の身体から、どす黒いもやのようなものが生まれていた。


「おい、しっかりしろ朱里!」


 何とか視線を合わせようと肩をもちあげるカナタだが、すでに朱里の焦点はどこにも定まっていなかった。

 マーカスの笑みが深くなる。

 そして、大きく息を吸い込んで朱里へのトドメとなるを吐いた。


「――はぁ」


 母親が車内でついた大きな溜息。

 それが、朱里への決定打となった。


「あ」


 朱里の身体から噴き出していたどす黒いもやが爆発的に増える。

 朱里の身体を、四肢を、顔を包み込んでいく。


 否、それはもやではない――”闇”だった。


「ああああああ」


 ”闇”が朱里を飲み込み、存在しえない長大な四肢を形作る。


「あああああああああああああああああああああ」


 実体のないはずの”闇”の四肢が朱里の身体を持ち上げた。

 闇色のスーツが形作られる。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 朱里の口から洩れる意味のない音が絶叫へと変わった。


「な、何だ! 何なんだよチクショウ!」

「”闇”に呑まれたっす! カナタさん、離脱しましょう!」


 胸元に朱里を埋め込んだカメラ・マンがいた。

 否。

 確かに顔の上半分はカメラになっている。だが、下半分は口紅が塗られた人間の口だ。


「誰デスカアナタハァ! 誰ノ許シヲ得テ朱里ノ心ニ入リ込ンダノォ!?」


 朱里の母親の声が発される。


 それが、朱里の”心の闇”だった。

 カナタが歯を食いしばりカメラ・マンを見据えるとほぼ同時。

 遠くで行われていたマーカスとカメラ・マンとの戦いにも決着がついていた。


「ははははははっ、想像以上だ……! 破滅の巫女アンテ・マリアに相応しい強大な心の闇! 素晴らしい!」


 老人シルエットのマーカスが哄笑を響かせると同時、怪物のようなシルエットのマーカスが相対していたカメラ・マンを叩き潰した。

 それから悠々とカナタに向けて歩み始める。


「どれ、手始めに天使の尖兵を血祭りにあげ、破滅の巫女アンテ・マリア誕生の祝杯といこうじゃないか!」

「カナタさん! 逃げましょう! すぐに!」


 珍しく顔色を変えたミカエルに縋りつかれ、しかしカナタは首を横に振った。


「逃げない」

「なんでですか!?」


 脳裏に浮かんでいたのは、核心にいた幼い朱里の寂しそうな姿だ。


「約束したからな。離さないって」

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