第17話 母親

 ノックして病室を開ける。朱里が使っているのは個室である、すでに到着の連絡は入れているので特に返答を待つ必要はなかった。

 ベッドに座り、窓を眺める朱里は、カナタを見つけるとくすりと笑った。


「ありがと。遠かったでしょ」

「そうだな。学校サボる羽目になるくらいには」

「一生の思い出になるわね。私とサボって密会なんて」

「密会って……具合は大丈夫なのか?」

「うん。なんか急に昔の嫌なこと思い出して過呼吸になっちゃったけど、今は全然平気」


 まるで親しい友人か恋人のように気安い態度の朱里。

 それはつまり、迷宮ダンジョン攻略の影響が確実に出ているということでもあり、


「……嫌なこと、か。聞いても良いか?」

「良いけど、その前にご飯食べたい」

「病院の食事は?」

「美味しくないんだもん」


 いたずらっぽく笑う朱里にドキリとさせられたカナタはそっぽを向きながら買ってきた紙袋を差し出す。

 中に入っているのはポテトと期間限定のキノコ系ソースを使ったハンバーガー、そしてダイエットコーラのセットだ。


 ザ・ジャンク! といった雰囲気のそれを紙袋から出してサイドボードに並べると、ポテトを摘まむ。


「んー……良い塩気」

「揚げものだけど良いのか?」

「良いわけないじゃん。でも良いの」

「なんだそりゃ」

「あ、そういえば報酬。――はい、あーん」

「えっ、いや、俺は別に——」

「あーん」

「いや、だからな、」

「あーん」

「その、」

「あーん」


 圧倒的なオーラと圧に負け、差し出されたポテトに噛り付く。頬が軽く染まっているのを見て朱里はどこか満足げだ。

 自分用に二、三本摘まんでコーラを一口。それから再びカナタに一本差し出す。


「あーん」

「……それ、楽しいか……?」

「んー……割と」


 指先についた塩と油をぺろりと舐めるその姿に、どこかなまめかしいものが混ざる。


「カナタさん! 今っすよ! 次は君を味見させてくれ~って!」

『言うわけないだろ馬鹿天使ッ!』


 そのまま朱里がハンバーガーを食べ終わるのを待つ。来客用の丸椅子に座って居心地が悪そうにしているのはミカエルがとんでもないことを口走ったせいだ。


「ふぅ……ご馳走様でした」

「まだポテトあるけど」

「全部食べてニキビでも出来たら賠償よ、カナタくんの」

「俺の!?」

「買ってきたのカナタくんだもの」

「いやリクエストされただけだし!」

「カナタくんが唐揚げを推すから揚げ物を食べたくなっちゃったの! ポテトなら調節できるじゃない」


 言いながら、残ったポテトを摘まんで再びカナタに差し出す。


「……もしかして、残りは俺が食べる感じですか?」

「20本くらいはあるから、正規のサービスならシメて200万円分ね」

「国民的大女優朱里のアーンか……1回10万って割と現実的で嫌だな」

「じゃあ1回1億円で換算する?」

「臓器全部売っても払えなそう。いや、200万でも無理だけど」

「大サービスで無料だから安心して食べて」

「そもそも自分で食べたいんだけど」

「ダメ」


 これも迷宮攻略の影響だろうか、と思いつつ、どうせ負けるからとポテトに噛り付く。


「そこで指をペロっと! ペロっとするっすよ!」

『お前もう黙ってろよ……』

「俺の期間限定セットでポテトをシャカシャカしてやるぜって耳元で囁くっすよ!」

『1ミリも意味わからないけど下品なことだけは伝わってくるのすごいな』

「いやぁ~それほどでもないっすよ!」

『褒めてないけどな』


 ミカエルをジト目で睨みながらポテトを飲み込み、いよいよ本題だ。

 残っているポテトに言及すると無限に餌付けされそうなので、意識して逸らしながら口火を切る。


「嫌なこと思い出したって言ってたけど」

「子役時代のことよ」


 やっぱりあの監督のことか、とカナタは内心で苦虫を噛み潰す。

 迷宮内で心の闇を刺激したのはもちろん、妹の雫とともに子役時代のことをのも過呼吸の原因であるように思えた。


「私ね、――」


 朱里が口を開くと同時、ノックもなしに病室のドアが開かれた。

 入ってきたのはびしっとスーツを着こなした女性だ。40歳くらいだろうか。どことなく朱里に似た面影の女性は、


「誰ですかあなたは! 誰の許しを得て朱里の病室に入り込んだの!?」

「ママ!」


 朱里の母親だった。


「どうやってここを嗅ぎつけたの!?」

「ママ、やめて!」

「朱里と同じ学校の制服ね? ただの一般人が朱里と釣り合うとでも思ってるの!? すぐ学校に連絡して——」

「ママっ!」


 朱里の声が悲鳴のように病室に響いた。


「カナタくんは私がお願いしてきてもらったの」

「来てもらったって……何で? 何のために?」

「話したかったから」

「話したかったって……ゴシップ誌にでも撮られたらどうなるか分からないの!? ただでさえストレスで倒れたのに——」

「もう分かったから! もう良いからやめてよ!」


 俯いた朱里から、小さな雫がこぼれた。


「あ、あの……すみませんでした」

「……出て行ってちょうだい」


 朱里の母親に咎めるような視線を向けられ、カナタは小さく頭をさげて席を立つ。


「カナタくん……ごめんっ!」

「朱里! あなた、自分がどういう状況だか分かってるの!?」


 カナタが病室の扉を閉じる時に見えたのは、うずくまるように頭を抱えて小さくなる朱里の姿だった。


「どーするっすか?」

「どうもこうもないだろ……とりあえず少し待ってみる」


 とりあえず談話室に移動する。他に人がいないこともあって普通の会話だ。

 本当ならば帰った方がいいのは分かっているが、カナタにはそれができなかった。


「成果なしじゃ帰れない的なアレっすか?」

「そんな打算じゃねぇよ……普通に心配になるだろ」

「これでママさんがいなくなればむしろチャンスな気もするっすけど」

「お前、また何かしょうもないことを——」

「あの反応、普通じゃないと思うっす。トラウマに関わり、ありそうじゃないっすか?」

「……それは、確かに」


 思いのほか真面目な返答が来て面くらったカナタだが、ミカエルの言う通りだった。

 パンツスーツ姿なのは仕事場から直行したからとも考えられるが、そもそも朱里が倒れたのは昨日のはずだ。

 見舞いの後に仕事に行く、という可能性もないではないが、カナタの脳裏には別の可能性が浮かび上がっていた。


「子役って、付き添い兼任で親がマネージャーやることもあるんだよな」


 ましてや朱里レベルの芸能人ともなれば個人事務所をつくっている可能性もある。母親も我関せずで別の仕事をするのではなく、正式にマネージャーとして同行した方が朱里の補佐や補助はしやすいだろう。


「……あの監督に叱られた時も、母親はいたのかな」

「どうっすかね。可能性としては十分あると思うっすけど」


 母親に声をかけるべきか。

 それとも一旦引いて、後で朱里に母親の話を振ってみるか。

 そんな思案をするカナタだが、それは完全に無駄になる。


 ――にわかに朱里の病室が騒がしくなったからだ。

 

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