第12話 ”心の闇”

 ナイフを構えた男――バックスタブで背中を蹴られた男は、足をふらつかせながらも立ち上がった。

 カナタとしてもその方が都合が良かったので、思わず笑えばさらに怒りを買った。


「クソ雑魚のはずだろうお前は! 喧嘩なんてしたことねぇって——」

「誰が言ってたんだそれを」


 斥候のスキルである強奪によってナイフを奪うと即座に捨てて、間抜けに伸ばされた手首をひねり上げる。


「い、痛ぇ! 痛ぇって!」

「誰から俺のことを聞いたんだよ。言ってみろ」

「待て、話す! 話すからやめてくれ!」


 脚をふらつかせた男を突き飛ばす。他の不良の上に着地してうめき声があがるが、そんなことは気にする余裕もないのか、男はぺらぺらと喋り出した。


 もともと朱里のファンだった男たちの元に、知らない奴が声をかけてきた。

 最初はいぶかしんでいたが、朱里と俺とのツーショットを見せられたうえで、付きまとわれて困っている、周りの人間は評価とか法律を気にして何もできない、と嘆かれたらしい。


「お、俺らは普段から煙草とか吸ってるし、別に悪評なんて気にしねぇからよ」


 不良たちが知ってる情報は、50代くらいの男だということくらいだった。


「朱里ちゃんの親父さんとか、そんくらいの年齢だと思う」


 仲間を助け起こして退散していった男たちを尻目に嘆息する。カナタとミカエルの推察では不良は嘘をついていなかった。


『……おれのことが気に入らない人間がいるってことか』

『朱里ちゃんのガチ恋勢とかっすかね~?』

「待て。シャレにならんだろ。最悪刺されるぞ」


 思わず声に出してしまったカナタに、ミカエルがししし、と笑う。


「そうならない方法は1つ。朱里ちゃんにガチ恋させて、恋人宣言とかさせるんすよ!」

「……悪化しないか?」

「べた惚れな朱里ちゃんが四六時中カナタさんにべったりっすから、襲われても『うわ、ストーカーとかガチキモ……ナメクジ以下』って言わせれば確殺かくさつっす」

「二度と立ち直れないだろソイツ」


 確かに好きな相手からの侮蔑の言葉は大ダメージだが、やけくそを起こして暴れ出さないとも限らない。


「そもそも俺と朱里が一緒にいる前提なのな」

「ええ。攻略するってそういうことっすから!」

「……今更ながらやめたくなってきた」

「契約してるんで無理っす」

「分かってるよ」


 こうしてカナタたちは迷宮内でのモンスター討伐だけでなく、現実世界でも厄介ごとと向き合うはめになったのだった。


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——


「だぁぁぁぁぁ! クッソ、がぁぁぁぁ!」


 迷宮内にカナタの叫びが響き渡る。必死に走っているのは逃げているからだ。

 背後に迫るのは百目鬼と同じく中堅以降でなければ倒すのが難しいモンスター、オーガの群れだ。


「なんで! こんなに! 群れてんだよっ!」

「カナタさんが攻略に時間かけるから、ちょっと遠くにいた悪霊や怪異も到着しちゃったんじゃないっすか?」


 5体のオーガは、それぞれが三メートル級の巨躯だ。赤銅色の皮膚は斬撃耐性があり、打撃にも強い。百目鬼のように身体中にじゃくてんがあるわけでもない。

 しいて言うならば遠距離の攻撃手段を持っていないのが救いだが、それはカナタも大差なかった。


「息切れてきましたし、体力が尽きる前に相打ち覚悟で一体だけでも倒した方が良くないっすか? あ、左はモンスターいるっす」

「断るっ! 他人事すぎんだろっ!」


 挟み撃ちになることだけは避けねばらならない、と必死に足を動かすカナタ。運が良ければオーガを擦り付けることも可能だが、そもそも

 つまるところ、己の運を信じられる状況ではなかった。

 反対側からもオーガクラスの強敵が、となればもはや抵抗すらできなくなるのだから当然の選択だった。


「新武器試さないっすか?」

「い、一体だけ、なら、やるけど……!」

「まぁ、無理っすね」

「チクショウッ!」


 走り続けたカナタだが、レンガ造りの通路が急激に広がる。

 そこはホールのような空間だった。ガランとした広いつくりの中央に、青白い光の柱が見えた。


「カナタさん! あれ、中層にいくパスっす!」

「飛び込むぞ!」


 残る体力を振り絞って加速するカナタだが、光の柱に触ることはできなかった。

 眼前に黒い煙が吹きあがり、カナタを弾き飛ばしたからだ。


 闇はすぐさま、人の形を作った。ただしサイズは5メートル越え。巨漢のオーガ達ですら腰の辺りにくるサイズ感だ。

 妙に細長い手足は、蜘蛛のようなイメージだ。


 受け身を取れず、地面に投げ出された痛みでのたうち回るカナタの眼前で、細長い手足を振り上げた”闇”が吠えた。

 オーガたちはそれを敵対行動と取ったのか、広がりながら囲み、拳を振り上げる。

 あるいは角を突き立て、牙を食い込ませる。


 細長い手足はオーガの攻撃に折られ、砕かれ、引き裂かれる。


「ミカエル! あんなモンスター、ロスミスにゃいないぞ!」

「あれは、モンスターじゃないっす!」

「じゃあ何だよ!」


 落ちた手足がすぐに闇色の煙に分解され、無傷な手足として


「あれは朱里ちゃんの”心の闇”っす!」


 ”闇”が腕を振り上げ、オーガの頭蓋を砕く。強すぎる一撃はオーガの頭が首に埋まるほどの衝撃を生み出し、代わりに”闇”の腕もグチャグチャに砕いていた。

 オーガが倒れ込んだのに対し、”闇”は傷ついた腕を一振りするだけで元の形に戻る。


「……倒せるのか……?」

「さぁ?」

「い、今のうちに中層行くぞっ!」


 自傷すら厭わずにオーガたちを次々に屠る”闇”。その経験値が自らに流れ込んでいることを喜びもせず、カナタは疾駆した。

 ”闇”の攻撃を受ける前に光の柱に触り、逃げおおせる算段だ。


 しかし、10秒もしないうちにオーガは全滅した。自壊を恐れない強烈な攻撃の連続は、強靭な肉体を誇るオーガを肉塊へと変え、経験値の粒子に還元しきってしまった。


 ”闇”は標的をカナタに定め直していた。拳が振るわれる。

 飛び込み前転の要領でそれを避けるが、勢いを殺されたカナタと光柱との間に”闇”が立ちはだかった。

 どれほどの知能があるのかは不明だが、少なくともカナタを中層に向かわせるつもりはないらしい。


「何か対策は!」

「おそらく相当っすね。倒すのは諦めて、怯ませた隙に中層に行くっす……おそらく中層にも核心にも出現するっすけどね」

「前向きな情報をくれ!」

「朱里ちゃんを骨抜きにして過去もトラウマもどうでも良くしちゃえば闇は消えるか弱体化するっすよ?」

「今の! 状況を! 改善、するっ、方法だよッ!」

「気合っすね」


 ギロチンの如く振り下ろされる拳を避けながら文句をつけるが、それで状況が改善するわけでもない。ごろごろと転がりながらも距離を取り、両手に武器を構えた。


「やるだけやる……死んだらもう潜らないぞ俺は」


 三度繰り返した濃密な死の経験を思い出して顔色を悪くしながらも、カナタは歯を食いしばった。

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