第5話 外堀が勝手に埋まろうとする

「こんにちは、夢咲カナタくん」

「えっと……こんにち、は……?」


 ハーフアップにしたさらさらの黒髪に、透けるような白い肌。華奢な四肢には制服をかっちりと身にまとっており、育ちの良い令嬢にも見える少女だ。

 整った鼻梁もあいまって人形のような完成された美を感じさせる少女だが、まっすぐにカナタを見つめる瞳には明確な意思の光が宿っていた。


 クラスメイトではないし、直接話した経験もない——が、カナタはこの少女をよく知っていた。

 というよりも、学校の生徒でこの少女を知らないものはいないだろう。


「えっと……聖護院しょうごいんさん、だよね?」

「苗字は厳ついから嫌いなの。朱里あかりって呼んで」

「えっ」

「タレント名鑑も名前だけだし、みんなそう呼ぶから」


 聖護院朱里。

 高校二年生にして芸能界で女優、声優、グラビアアイドルとして活躍するマルチタレントだ。清楚系で整った顔立ちに細い四肢、そして圧巻のGカップで有名な学園どころか日本のアイドルである。


「……ねぇ、家に入れてくれない? 男子と立ち話してるとこを撮られるの、あんまり嬉しくないから」

「え、いや、そもそも何でウチに——」

「プリントを預かってきたの。制服を着ているってことは具合が悪いわけじゃないのよね。サボり?」

「……とりあえず中に」


 事情は分からないが、カナタにも探られると痛い懐があるせいで強くは出られない。

 仕方なく中に招き入れる。


「とりあえず飲み物用意するから待って」

「お構いなく」


 まさか天使にピコハンで殴られて夢の中でモンスターを倒していた、と言えるわけもなくカナタはコーヒーの準備をしながら必死に言い訳を考えていた。

 いい案が出てくるわけもなく、返信が滞っていたスマホに手を伸ばせば、そこにはクラスメイトから疑問と驚愕と嫉妬に塗れたメッセージが届いていた。


『朱里ちゃんとどんな関係?』

『お前に渡す予定だったプリント、代わりに届けるって』

『滅多に学校にも来ないのに、なんでわざわざ配達を』

『もしかして幼馴染だったりする?』

『わざわざ住所きかれたぞ!?』

『マジでどういう関係なんだよ!!』

『おーい』

『聖護院さんとどんな関係なんですか?』

『もし可能だったらサインもらえたりしませんか』

『朱里ちゃんに手を出したら分かってるだろうな?』

『うらやま死刑なので明日学校で事情聴取だ! 休むなよ!』


 考えてみたが、朱里との関わりなど1ミリも思い出せなかった。

 しなければならない言い訳が増えただけの結果に嘆息しながらもコーヒーを運ぶ。


「どうぞ……それで、なんでわざわざウチに?」

「……何でかしら」


 コーヒーに口をつけた朱里は、本気で不思議そうな顔をしていた。


「今朝、久々にオフになって登校できることになったんだけど、授業を受けているうちに貴方のことが気になり始めて」

「休んでたけど」

「そうなのよ……でもどんどん気になってきて、わざわざあなたのクラスの人を呼び止めて、あなたのことを聞いちゃった」


 まさか、と思いながら視線を彷徨わせれば、いつの間にか朱里の背後にやってきていたミカエルが満面の笑みを浮かべ、ぐっと親指を立てていた。


「大当たりっすよ! こんなSSR級の美少女なら迷宮ダンジョン攻略にも力が入るってもんすよね! うまく攻略できればきっとこの子もカナタさんにメロメロのドロドロっすよ! うまいことやればその後ヌチュヌチュにも——」

「やかましいっ!」

「……? 何も話してなかったけど……?」



 ミカエルはカナタにしか認識できない。その事実を忘れて反応してしまったがために妙な空気になる。


「ああ、ごめん! 聖護院さんのことじゃない!」

「朱里。名前で呼んで」

「……ごめん」


 気まずい空気が流れる。


「……なんか不思議なんだけど、初対面とも思えないのよね……」

「は、はい」

「あと、あなたを見てると何故か唐揚げが食べたくなるわ……一応、体型管理で揚げ物NGなんだけど」

「ゴメンナサイ」

「なんであなたが謝るの?」


 夢の中でぶちまけた弁当のおかずは何だったか。

 因果関係を説明することもできないが、決して無関係とも思えないカナタは背中に嫌な汗を掻いていた。


「不思議ね……なんでわざわざオフを潰してまで会おうと思ったのかしら」

「お、俺としてはプリントを運んでもらえてありがたいです」

「それから、貴方を見てると何とも言えない気持ちになるの。……なんか、失礼な人間に出会ったようなイライラと、でもちょっとほっとするような気持ち」

「悪霊を倒したお陰で好感度が多少はあがってるっぽいっすね。——人の心に土足で踏み込んでるのでヘイトも稼いでるっすけど」


 とんでもないことを口走ったミカエルに思わず返事をしそうになったが、カナタはぐっと堪える。これ以上、妙な反応をしてしまえば朱里に大きなマイナス印象を植え付けることになりかねない。

 全国規模のファンクラブを持ち、校内にも非公式ファンクラブが存在している人間から嫌われればカナタの未来は暗いものになるだろうことは容易に想像できた。

 カナタが何も言わないのを良いことに、ミカエルは余計なことを口走り続ける。


「うん、確かに魂魄は非常に綺麗っすね。名前は朱里ちゃんっすか。カワイイ名前っすね。経験もなさそうですし——おおっ、パンツは小さなリボンがついた水色っすね。見えないとこまでしっかり清楚系っす」


 知ってはいけない、知る必要もない情報を渡され、思わず想像してしまうカナタ。顔に熱が集まるのを止められなくなり、気まずさが余計に増していた。


 が。


「ただいま―……ってあれ? 誰か来てるの?」


 カナタの妹の帰宅である。

 パタパタと足音を響かせた妹は、止める間もなくリビングに入ってきた。中学校指定の制服を身にまとい、短めのポニーテールがちょこんと揺れる。


「お兄、誰か来て——って、朱里ちゃん!? えっ、嘘!? 本物!?」

「あら、妹さん?」

「はい! カナタの妹で雫って言います! えっと、タレントの朱里ちゃん……朱里さんですか!?」


 おもちゃをチラつかされた猫の如く朱里の前までやってくると、握手をせがんだりサインをせがんだりとせわしなく動く。


「お兄と同じ学校とは聞いてたんですけど、仲良いんですか!? も、もしかしてですけど付き合ってたり……?」

「付き合ってはないわ。……そうね、友達よ、友達」

「お兄なんかと友達になってくれるなんて朱里ちゃん本当に天使……!」

「まて、お前の中の兄像はどうなってるんだ」

「モブ」


 容赦のない雫の答えに朱里が噴き出す。


「仲、良いのね……今日はプリントを届けに来ただけだから」

「わざわざすみません! 次からは連絡してくれればインフルエンザでもお兄が取りに行きます!」

「それはさすがに迷惑だろ。感染うつるぞ」

「朱里ちゃんに病気うつしたらお兄のこと一生許さないからね!?」

「なんという理不尽」

 

 くすくす笑った朱里が、ポケットからスマホを取り出す。


「そういえば、連絡先を交換してなかったわね……仲良い人にしか教えないことにしてるから、勝手に他の人に渡さないでね」

「あ、うん。ありがとう」


 何故か雫が目を潤ませて感激していたが、二人はささっと連絡先を交換した。朱里さんを送れ、と雫がカナタに命令していたが、朱里はそれを丁寧に断った。

 朱里は衝動的にここまで来たこともあって徒歩だったが、暗くなってきたのでマネージャーを呼びつけるとのことだった。


「また来てくださいね!」

「うん、ありがと。カナタくんも、後で連絡するね」

「おう」

「はい、寝てても死にかけてても朱里さんのメッセージには2秒以内に返信させます!」


 ぱたん、とドアが閉じられる。

 同時、カナタは大きな溜息をつき、雫はカナタに飛び掛かった。


「どういう関係? ねぇ、何でウチまできたの!?」

「……分からん」

「ま、まさか弱みを握ったり……!?」

「お前の中の兄像をしっかり問い詰める必要がありそうだな」

「あーもー! 朱里さんが来るって分かってたら部屋も片付けたしケーキとか用意しといたのに! なんで教えてくれなかったの!?」

「俺も知らなかったからだよ」

「お兄、何が何でもオトして! お願い! 一秒でも良いから朱里さんが私の義姉になる夢を見せて!」


 迷宮攻略で夕方までたっぷり寝ていたはずのカナタは、妹をなだめるのに一時間近く使い、どっと疲れてソファに寝転ぶ羽目になった。


「おっ、またいくっすか?」

「ピコハン仕舞え。今は絶対行かないぞ……!」

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