第2話 最悪の未来

 夢の存在だったはずのミカエルが現れたことに半狂乱になったカナタのせいで両親と妹が目を覚まして駆け付けたものの、誰ひとりとしてミカエルの姿を見ることはできなかった。


「……誰もいないじゃん」

「もう、変な夢でもみてたんじゃないの?」

「お兄、汗すごいから寝る前にもう一回シャワー浴びた方が良いよ」


 ああ、とうめき声とも相槌ともつかない返事をするのが精一杯だったカナタ。自分の頭が本格的におかしくなったのではないか、と考えてしまったが、目の前の妄想てんしはカナタの心境など欠片も斟酌しんしゃくはしてくれなかった。


「さて、迷宮ダンジョン内で約束した通り、何が起こっているか説明するっす」


 無視しようと視線を逸らすカナタだが、ミカエルは穏やかな笑みを浮かべたまま言葉を続けていく。


「現在、世界に散らばった『救世者の魂』の欠片を巡って、古今東西あらゆる者たちが争いをおこしているっす」

「救世者……?」

「いくつかの宗教で教祖って祭り上げられるような、特別な魂の持ち主っすよ」


 ミカエルの説明によれば、そういった魂は妖怪、竜、怪物、悪魔、化け物、怪異——どんな呼び方をするかは自由だが、そういった者たちにとってこの上ないご馳走となるらしい。


「精神体にとっては、特別な魂を得ることで霊格を上げ——……ってわかんないっすよね。まぁざっくり言うと、魂をゲットするとレベルアップして強くなるっす」


 本来なら天界で大切に保護されていたはずの『救世者の魂』だが、どういう訳か砕けて人間界に散らばった。人間界に落ちた魂は非常にもろくて弱いので、惹かれあう人間の心の中に入り込んだとのこと。


「それが自分とカナタさんが出会った心の迷宮っすね。出会った怪物たちは、カナタさんの精神と同じく、心の迷宮に入り込んだ怪物たちっす」

「あれが人間の心の中なのか!?」


 無視を決め込んでいたカナタだが、自分が見ていた夢の正体をあっさりと告げられて思わず反応していた。


「そうっすよ。人のこころは複雑怪奇。心象風景から過去の記憶、経験の中で培われたイメージがごちごちゃに混ざりあってああなるっす」

「……景色を見てるだけで頭がおかしくなりそうだ。それに、あの怪物も……」

「まぁ何の訓練も受けてない人間が心の中で活動するのはキツいっすからね。怪物にしても同様っす。低級霊や雑魚妖魔でもただの人間じゃ太刀打ちできないっす」

「じゃあ何で俺が——」

「カナタさんの魂がこの時代における特異点シンギュラリティの一つ……って言ってもわかんないっすよね。ざっくり言えば、世界の普通の人間じゃないからっすよ」

「……バカバカしい。信じられないしお前に付き合う義理もない。俺は絶対にやらないぞ」

「やらないと、世界のバランスが崩れて大勢の人が死ぬとしてもっすか?」

「……俺には関係ない」

「関係なくないっす」


 ミカエルが指をカナタの額にめり込ませる。

 痛みどころか触られた感覚すらないが、脳裏に見たことのない記憶が流れ込んできた。


 ——燃え盛る街。

 ——倒れたまま動かない人々。

 ——そして、首だけになった妹。

 ——それを愛おしげに抱きながら、まだ息のある人々を足蹴にしてトドメを刺していく自分。


「ッ!?!?」

「見えたっすね。天界で予知された最悪の可能性の一つっす。そこでは、暴走したカナタさん含む特別な人間たちがいくつもの事件を引き起こし、世界は戦火に包まれるっす」


 第三次世界大戦。

 そう告げるミカエルの表情は相変わらず穏やかで、本気なのか冗談なのかすらカナタには判断できなかった。


「夢だろ……?」

「今は、っすね。まぁ信じないならそれでも良いっすよ」


 信じなくても良い。

 あっさりとそう言われたものの、脳裏に浮かんだイメージには匂いや感触までもが再現されていた。カナタにとっては、これまで見ていた迷宮内での悪夢と同じか、それ以上に鮮明なものとして心に刻まれていた。

 信じたくはない。

 しかし夢だと切って捨てることもできない。

 カナタの心は揺れていた。


「まぁその場合は家族もカナタさんも十中八九死ぬと思うっすけど、『契約』で暴走は抑えられるようになったんで最悪の未来だけは避けられるんで」

「……死ぬのか」

「何もしなければ」

「証拠は?」

「世界大戦の、というのは厳しいっすけど簡単な予知なら」


 明日の朝食のメニュー。

 食卓での会話。

 テレビで報道されるニュース。

 そういったものを簡単に説明される。


「これが当たってたら信じてくれるっすか?」

「当たってたらな」


 当たり前のことだが、カナタには未来の出来事を当てる能力などない。

 明日の朝、言った通りのことが起きなければミカエルは自分の頭がおかしくなったことで生まれた妄想だと切って捨てられるだろう。


「当たってたら、ミカエルさん? を信じる」

「呼び捨てで良いっすよ。もしくはミカちゃんとかでも良いっすよ?」

「お前……性格違くないか?」

「迷宮の中と、っすか。そもそもここにいる自分も迷宮内にいた自分も、本体じゃないっすからねぇ」


 ミカエルの本体は天界にいるらしく、人間界に来るときは能力も影響力もほぼ全て無に等しいレベルで制限されているらしい。


「なんで知識も記憶も共有してるっすけど別人っす。向こうは生死が懸かっているので真面目モード。こっちはわりと素の状態っすね」

「ずいぶん軽いんだな……まぁ、明日になれば俺がイカれたのか、ミカが本当にいるかわかるか」


 大きな溜息をついたカナタは立ち上がった。


「どこいくっすか? まだ打ち合わせしたいことがあるっす」

「シャワー浴びて寝る」

「じゃあシャワー浴びてるときに説明続けるっすね!」

「痴女かお前は!? ついてくるんじゃない!」

「えー、気にしないっすよ。そ・れ・と・も! 超絶プリティなミカちゃんが一緒にお風呂に入っちゃったりするとドキがムネムネで股間のラッパがハルマゲドンの開始を告げちゃうっすか!?」

「……妄想だとも思いたくなってきたぞ。俺はこんなに下品じゃねぇ……!」

「ははは。どんな生き物も一皮剥けばこんなもんっすよ。おおっと、ミカちゃんがぷるっとした艶やかな唇で『一皮剥けば』って言ったからって変な妄想しちゃ駄目っすよ?」

「お前実はサキュバスとかじゃないだろうな!? 良いからついてくんな! 部屋でじっとしてろ!」


 ぴしゃりと言い切って部屋を後にしたカナタだが、そのメンタルは迷宮内での死亡直後に比べ、大幅に回復していた。

 後に残されたミカエルはすとんと表情が抜け落ちたまま、カナタの閉めたドアを見つめている。


「……精神状況はまだ余裕あるっすね。ちょっと無理するっすけど頑張るっすよ、カナタ」


 その呟きは、誰にも聞かれることなく部屋の壁に吸い込まれて消えた。


***


 翌朝。

 本来ならば通学路を自転車で進んでいるであろう時間帯に、カナタはベッドに腰かけていた。

 向かい合っているのは満面の笑みを浮かべ、ドヤァァァァと擬音が聞こえてきそうなミカエルだ。


「……最悪だ」

「信じる気になったっすか?」

「……ああ。さすがに全部当たってれば嫌でも信じるしかない」

「それは何よりっす」

「どうすれば良い? 何をすれば俺は家族を救える?」

「それじゃあまずは——」


 ミカエルの指示に、カナタは頭を抱えた。



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