40-2 その手を伸ばして 幼馴染の約束
アンジェとエリオットは、しばらく互いをじっと見たまま何も言わなかった。エリオットは拳を固く握りしめたので、何本かとれてしまった吸血鬼扮装のつけ爪がまたしても落ちる。
「……いろいろ、話したいですけど、歩きながらにしましょう」
「ええ、そうね、勿論ですわ」
アンジェが頷くと、エリオットは森へと入っていく。木々はみな葉を落とし、春の気配にようやく新芽を膨らませた程度なので、意外と見晴らしがよく明るかった。アンジェが小走りしてエリオットの隣に並ぶと、エリオットは小さくため息をついた。
「アイツ……リコ、シルバーヴェイルにいる時から、いろいろ、狙われやすいんです」
「そうだったのですね……」
「その時も、いつもこうしてたから、たぶんイケると思うんですけど……おおい!」
エリオットは立ち止まって口許に両手を当てて叫んだ。
「おおい、おーい! 俺だよ、セレナの友達のエリオット!」
森の中を風が吹き抜けたが、それ以上にあちこちがざわりと動いた。何か生き物の気配だ、とアンジェが思った矢先、方々から鳥が、りすが、うさぎが、きつねが、他にもいろいろな種類の生き物が集まってきた。食う者と食われる者がそれぞれ隣にいると言うのに、怯えたり襲い掛かったりせず、くりくりとした瞳を少年に向ける。エリオットは集まった動物をぐるりと見まわすと、あのな、と、相手が人間であるかのように話し始めた。
「あのな、セレナがいなくなっちまったんだ! 魔物に攫われたのかもしれなくて!」
動物たちは必死な様子のエリオットをじっと見つめている。
「早く見つけなくちゃいけないんだ、一緒に探してくれねえか!? 俺も探すし、この人も探すから! 知ってるだろ、この人もセレナの友達! セル……あいつはアンジェ様って呼んでる人!」
エリオットがアンジェに視線を向けると、動物たちもアンジェの方を見た。アンジェはどうしたらいいか分からずにとりあえずぺこりと頭を下げる。
「……アンジェリークと申します。どうかお力添えくださいまし」
動物たちは首を傾げたり、匂いを嗅いだり、せわしなく毛繕いをするばかりだ。アンジェが困惑して胸元で手を握り締めていると、一匹、一頭、一羽、どこへともなく去っていく。一匹がその隣の者が、更にその隣がと、連れ合うようにして歩き出し、やがてほとんどの動物が去ってしまった。その中でただ一羽、ふっくらとしたスズメがその場に残り、エリオットの方にちょんと止まった。
「まあ……」
「多分、分かってくれたんだと思います」
エリオットはスズメの前に人差し指を差し出すと、スズメはその上にちょんと乗る。
「アンダーソンさんは、動物の言葉がお分かりになるわけでは……ないのですわね?」
「はい、全然です。ただよくリコとピクニックしてたんで、リコがいなくても動物が挨拶してくれる時はありますよ」
「まあ……わたくしそんなこと一度も覚えがなくてよ」
「向こうも、この人は気付かなそう、とか見てるんだと思いますよ」
エリオットは手を自分の方に戻すと、スズメは肩の上にひょいと戻った。スズメはどこへも飛んで行かずアンジェをじっと見て首を傾げるが、エリオットがもと来た方に歩き始めたので、アンジェもその隣に並んだ。
「……先のお話の、続きをしてもよろしくて?」
「……どうぞ」
少年の言葉は淡々としているが、首を動かして森中をくまなく観察している。アンジェも一瞬だけエリオットを見たが、彼と同じように視線を森に移した。リリアンが今、どこで何をしているのか全く分からない。この森に、靴やらハンカチやら、痕跡が分かるものが落ちていてもおかしくはないのだ。
「わたくし……リリィちゃんとアンダーソンさんが、今はどのようなご関係なのか、気になっていましたの。とても仲が良さそうで、親友のようにもご兄妹のようにも思えましたわ」
「……そうスか」
「新年祝賀会で、アンダーソンさんも胸の内を教えて下さったでしょう? 祝賀会の後、アカデミーが始まるまで十日ほどでしたけれど、……リリィちゃんが、アンダーソン邸に身を寄せられて……」
アンジェは言葉を切り、自分を奮い立たせるように拳を握った。
「……わたくし、新年祝賀会の時は……リリィちゃんと恋人になれるなど、露ほども考えていなかったのです。あの時リリィちゃんは、……アンダーソンさんをお慕いしていたはずなのですもの」
エリオットは何も言わない。二人は森の入り口に辿り着き、手入れされた芝の上を校舎に向かって歩いていく。
「けれどリリィちゃんは、新学期がが始まった頃からわたくしを見て下さることが増えて……アンダーソンさんへのお気持ちはどうなったのだろう、貴方はどんなお気持ちなのだろうと、ずっと考えていましたの」
「……そうスか」
校舎が近づき来賓の賑わいが聞こえるようになると、少年は校舎の入り口から中には入らずに壁に沿うようにして礼拝堂がある方に歩き出し、アンジェもその後に続いた。
「……校舎の中には入りませんの?」
「後で行きます。今はスズメがいるんで外を見ましょう」
「あっ、はい、そうですわね」
エリオットはスズメをまた手に乗せ、その小さな身体を両手で包み込むようにして持つ。スズメは逃げもせずに大人しくしており、顔だけ指の隙間からきょろきょろさせている。少年の目線は森の端の茂みを見て、校舎の壁面を見上げ、行く先に見える礼拝堂の方をじっと睨む。足はかなりの早歩きで、アンジェは時折小走りにならないと置いて行かれてしまいそうだ。
「……リコが、うちにいる間……いろいろ、話しましたよ」
「……ええ……」
エリオットはぽつりと呟く。
「俺は、リコが本物のセレネス・シャイアンだって子供の頃から知ってましたから……いずれ王子殿下や似たような身分の方とどうにかなるんだろうなと思ってました。だからアイツがいろいろ言ってきても、応えないようにしていたんです」
「……そうでしたの……」
アンジェも周囲を見回しながら、ちらりとエリオットの横顔を見る。エリオットの面差しは厳しく、焦燥も苛立ちも隠そうとしていない。
「理由を言ったら押し切られるって分かってるんで、単に断ってただけですけど……全然、聞かないんですよねえ。俺の後ばっかりついてくるし、すぐヤキモチやいて泣くし……俺がシルバーヴェイルから
ふふ、と笑う気配に、アンジェはエリオットの方を見る。
「何年か会ってなくて……俺、自分で言うのもなんですけど、まあまあモテるんですよ。だからちょっとリコのこと忘れたりもしてました」
「……それは、よろしゅうございましたこと」
「それで、アカデミーで再会して。スウィート男爵の養子になってて、めちゃくちゃ驚きました。子供の頃のことだから、俺のこともどうでも良くなってるかなって思ってましたけど、違ったみたいですね」
「……ええ……」
アンジェは唇を引き結びながら頷くしかできない。
「でも、俺は、新年会でセルヴェール様に話したことが全てでした。俺ではあいつを助けられない、王子殿下が相手じゃ、子爵家なんてひとたまりもないですよ。もっと頭を働かせていればあの腐れ男爵のところから連れ出すくらいはできたかもしれないですけど……殿下と婚約をひっくり返すなんて、無理です」
「……そう、ですわね……」
アンジェは冬至祭後から新年会まで、謹慎にも似た状況に追い込まれた状況を思い出す。あれは結局スウィート男爵の差し金だったのだろうか。リリアンの裁判資料を見て事実が隠蔽されていることを知り、そこからクラウスのクーデターへの関与の疑惑を大きくなったのだ。結局スウィート男爵自身は、クーデターには関与していたのだろうか? それとも体よく利用されていただけなのだろうか? そのあたりを調べたかったが、今この状況となってしまってはもう遅いのかもしれない……。
「……セルヴェール様」
「えっ、はい、何かしら」
エリオットが急に足を止めたので、思考に沈みかけたアンジェも慌てて足を止めた。
「俺が……リコに、言ったんです。セルヴェール様の気持ちに応えてみろって」
エリオットのまだ少年めいて幼さの残る顔が、くしゃりと笑顔の形に歪む。
「……あの場で……しかも、王子殿下の婚約者でもあるのに、リコを助けるために陛下に物申すなんて……普通出来ないですよ。俺みたいに諦めても、仕方ない、運命だ、相手が悪かったって……誰も、意気地なしとかその程度の気持ちだったとか、責めたりはしないです」
「……アンダーソンさん……」
「俺……あの時の貴女が、あんなにもリコのために必死になってるのを見て……衝撃でした。しかもご自身もずさんな形で事実上の婚約破棄されて……それでも、ただ好きな人を守りたいってだけで、あんな畏れ多い場に立ち向かうことが出来るんだと……打ちのめされました」
まだかろうじて笑顔に見えるエリオットの頬を、煌めく滴がポロリと落ちる。
「あんな風に、身分も立場も置いて、自分の気持ちすら棚に上げて、リコに笑っていて欲しいって言う方なら……きっと、セレネス・シャイアンでないリコ自身を大切にしてくれるだろう、守ってくれるだろうって、俺が、言ったんです。俺がずっとリコのこと好きだったことも」
エリオットはふいと顔を逸らすと、スズメを手に持ったまま吸血鬼衣装の袖で乱暴に顔を拭いた。
「リコは、そうだねって、顔真っ赤にしてました」
エリオットはぐずりと鼻を啜る。
「この先……アイツはセレネス・シャイアンとして戦わなきゃならないから……おんぶだとか、ライトニングダッシュだとか、俺にできることなら何でもする、俺は俺のやり方でリコの力になるって……約束したんです」
「そう……でしたのね……」
「……でも、アイツ……」
アンジェも喉の奥が痛くなり、彼にかけてやる言葉を紡ぐことが出来ない。
「俺の、偽物に……騙されて……!」
エリオットはスズメを包む手を額に当て、ぎりぎりとアンジェまで音が聞こえるほど歯を食いしばる。
「セルヴェール様……俺、どうすれば……リコ……!」
「……アンダーソンさん……」
アンジェの瞳からも涙が零れ落ちる。何故エリオットはこんなにも親切にライトニングダッシュを教えてくれるのだろうと呑気に考えていた自分を呪いたかった。思う相手の手を取ることが出来ない、隣に立つことが出来ない苦しみはいかばかりか、それどころか彼は、アンジェにならとリリアンの背中を押すことさえしていたのだ。確かに新年以後からリリアンの態度が変わったと思っていた、それは自分の告白が彼女に多少なりとも響いたのだと少しばかり自惚れてもいた。けれどそうではなかった、あの繊細な少女は、きっと自分とアンジェと、自分の想い人の想いそれぞれを抱えきれずに胸を痛めたことだろう。彼の挺身がなければ、リリィちゃんはあんなにも真っ直ぐにわたくしを見てくれただろうか?
「アンダーソンさん……打ち明けて下さって、ありがとう存じます」
「……別に……」
「落ち着いたら、わたくしとお茶でも致しましょう。一切の隠し事はなしで、互いの腹の内を思うさま晒してしまえばいいのだわ。けれどまずはわたくし達、一刻も早くあの子を見つけなくては」
「そうですよね……あっ」
ノロノロと顔を上げたエリオットの手許に、もう一羽のスズメが飛来して仲間を包む手のひらをつついた。エリオットが慌てて手を開くと、包まれていたスズメはパッと飛び上がる。二羽になったスズメは逃げるでもなくアンジェとエリオットの周りをぐるぐる旋回した。
「あっ……!」
頭上を見上げると、スズメよりも大きな鳥たちが集まり、しきりに鳴いている。
「これは……!」
「見つかったんだ!」
エリオットは言うが早いか全力で駆け出した。彼に魔法を使っている様子はないが魔法サッカーのレギュラー選手の足にアンジェが追いつけるはずもない、アンジェはライトニングダッシュを使ってエリオットを追いかける。鳥たちの騒がしい声が移動していく。礼拝堂の横を抜け、降車をぐるりと回り込み、ノーブルローズ寮への道を横目に再び正門の前に出た。
(リリィちゃん、リリィちゃん、リリィちゃん──!)
(どうか、無事でいて……!)
鳥の群れは大講堂を目指していく。春目前の曇天の下、高くそびえる講堂尖塔のまわりに、不自然なまでに鳥の群れが集まっていて──そこで、ぱっと、なにかのまばゆい光が散った。
「あれはっ……!」
エリオットが立ち止まる、アンジェはライトニングダッシュを解く。尖塔ははるか遠く目をよく凝らさないと何があるのか見えない、鳥たちが集まる中、もう一度閃光が迸る。尖塔から講堂の屋根の上、足場にしてほんの十センチもないようなあたりを、何かが──たなびくストロベリーブロンドが見えた。
「りっ……」
吹く風に攫われるように、血の気が引いていく。
「リリィちゃんっ!!!!!!」
「リコォォオオッ!!!!!!」
二人の絶叫は、鳥たちの啼き声にかき消された。
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