第40話 その手を伸ばして
40-1 その手を伸ばして エリオット・アンダーソン
エリオットの怒鳴り声に反応した来賓客が、こちらの様子をちらちらと窺っている。アンジェはフェリクスの手をほどこうとしたが、指先が震えて力が入らなかった。
「ごめんなさい……あの、どこに行くかは聞いていなくて……」
「リコが俺とデートって……俺の偽物がいたってことなんスか!?」
怒りのままに吼える少年は、ずいとアンジェとの間合いを詰める。
「て、てっきり、貴方だと思ったのですわ」
「てっきりで済むことですか!? アイツはセレネス・シャイアンなんですよ!?」
「ええ、そうですわ、その通り」
「だったらどうして!!!」
エリオットの怒鳴り声に、アンジェはびくりと身体が硬直した。アンジェを見ていたフェリクスが険しい顔をして、エリオットの前に遮るように手を差し出す。
「二人とも、落ち着きたまえ」
「もし本物の俺だったとしても、どうして他の男とほいほいデートに行かせたりするんです!!!」
エリオットはフェリクスの腕を押し、猶も前に出ようとする。
「アイツの恋人なんでしょう!?」
「で、でも、昨日も、リリィちゃんが」
「関係ありませんっ!!!」
エリオットは怒鳴り、拳を振り上げ、だがどこにも降ろさずにぎりぎりと握り締めながら降ろした。赤いつけ爪が折れてぽろぽろと地面に落ちる。アンジェは絶句するしかできない、フェリクスがアンジェとエリオットを双方後ろに押しやり、完全に間に入る形となった。
「エリオットくん。さすがに見過ごせないよ。紳士らしく品位を保って振る舞いたまえ」
「フェリクス様っ、違うのです!」
声音を厳しくした王子に、アンジェは慌てて取りすがる。
「わたくしがっ……わたくしのせいで、リリィちゃんが攫われてしまったかもしれませんの! アンダーソンさんはそれを咎めておいでなだけなのですわ!」
フェリクスが、ルナが、後ろに控える護衛官がそれぞれ目を見開いた。アンジェは自分を庇うフェリクスの手を押し退け、零れる涙を拭いながらエリオットに深々と頭を下げる。
「本当に……わたくし……ごめんなさい……」
「……俺に謝ってリコが戻って来るなら、いくらでも謝っていただきますけどね」
頭上から降って来るエリオットの声は刺すように冷たい。リリアンの幼馴染で、アンジェにライトニングダッシュを教えてくれた彼の優しい笑顔が脳裏に浮かんでしまい、アンジェは喉が締め付けられる。
「……いいです、別に……俺、リコを探します」
「わっわたくしも行きますわ!」
「勝手にしてください!」
顔を上げたアンジェにエリオットはまたしても怒鳴り、アンジェは身をすくませてよろめいた。フェリクスがアンジェを抱き止める。青い瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「アンジェ、アンジェ……大丈夫かい、アンジェ」
「フェリクス様……わたくしより、リリィちゃんが……」
エリオットはアンジェを鋭い目でぎろりと睨むが何も言わなかった。少年はフェリクスに向かって頭を下げ、踵を返して校舎の方へと駆け出す。
「フェリクス様、わたくしも、リリィちゃんを探さないと……!」
「アンジェ、落ち着いて、僕がいるよ。……リリアンくんが攫われたというのは本当なんだね?」
「ええ、わたくし、確かにアンダーソンさんだと思って……でも……!」
「分かった。ヴォルフ」
「ここに」
フェリクスに呼ばれ、後ろに控えていた護衛官が頭を下げながら前に進み出る。
「聞いていたな? セレネス・シャイアンが拐かされたとなれば、先の疑惑に匹敵するフェアウェルの一大事だ」
「はい」
フェリクスの、アンジェの視線の先で、駆けていくエリオットの背中が小さくなっていく。
「出来れば僕もアンジェと一緒に探してやりたいところだが……それはきっとお前が許さないな?」
「ご慧眼の通りです、殿下」
「分かった。では、僕は僕にしかできないことをしよう」
フェリクスは頷くと、アンジェの両肩を掴んで自分の方を向き直らせた。
「アンジェ、よくお聞き。僕はこれから校長先生にお頼みして、全校をあげてリリアンくん探索に当たっていただくからね。なんなら謀反の疑惑も一緒に話して、生徒や来賓を避難させてもいい。君は先立って、エリオットくんと一緒にリリアンくんを探しに行っておやり」
「フェリクス様……」
「ルネティオット、君もアンジェと一緒に探してくれるか」
「御意……と言いたいところだが、殿下」
フェリクスの傍らに立っていたルナが困ったように眉根を寄せた。
「そういう布陣なら、私は姫御前のもとに伺いたいんだ。……だろう、アンジェ?」
「ルナ……」
眼鏡をかけた奥のグレーの瞳、左目の際の泣きぼくろ。見慣れた親友の顔が、眼差しが悲しげに見えるのは、彼女の前世を知っているからだろうか。何も言わずに互いをじっと見るだけのアンジェとルナを見て、フェリクスがため息をついた。
「……そうだね。イザベラも、アンジェが戻るのを待っているだろうから。では頼まれてくれるね、ルネティオット」
「御意」
「では、わたくし、行きますわ」
「うん、アンジェ」
フェリクスはアンジェの手を取って素早く手の甲に口づけすると、そのままアンジェを胸いっぱいに抱き締めた。
「大丈夫だ、アンジェ。リリアンくんは必ず見つかる。……けれど、きっと君が見つけてくれるのを心待ちにしているはずだよ。さあ、涙をしっかり拭かないと、あの可愛らしいストロベリーブロンドが見えなくなってしまう」
「……はい、フェリクス様」
フェリクスはハンカチを取り出してアンジェの涙を拭うと、にこりと微笑んで見せる。
「さあ、お行き、アンジェ」
それは優しく、柔らかく、アンジェがこれまでに見た度のフェリクスよりも愛おしげな微笑だ。
「……はい、フェリクス様。校長先生によろしくお伝えくださいませ」
アンジェはその場で略礼をする。フェリクスはその頬にそっと触れる。名残惜しむ指先を払うように、アンジェは身をひるがえして駆け出した。
エリオットの姿はすでに見えないが、校舎に入ったのではなくその脇を抜けて競技場やカフェテリアがある方に向かったのを見た。ライトニングダッシュを使って風のように走ると、人混みを掻き分けるようにして進んでいる青い髪が見える。
「アンダーソンさん、お待ちになって!」
アンジェは叫び、咄嗟にその場に飛び上がり、校舎の壁を走るようにして人混みを飛び超えた。あたりがどよめく、振り向いたエリオットがギョッとする、アンジェはそのすぐ横に降り立つと、エリオットの手をがしりと掴んだ。
「どわっ!?」
「わたくしも探しますわ、お待ちになって!」
「まま、待ってくださいセルヴェール様、今壁走ってました!?」
「え? ええ、夢中で咄嗟に」
「っくりしたー、どこから来るんですか!!!」
エリオットは掴まれた手をそのまま引っ張り、アンジェと共に往来の端に避けた。驚いてアンジェ達をじろじろ見ていた来賓はほどなくして興味を失い、それぞれの行く先へと歩き始める。エリオットがアンジェの手を離してやれやれとため息をついたのを見て、アンジェは声を潜めて話す。
「アンダーソンさん、どれだけ謝っても時間は戻りませんわ、わたくしもリリィちゃんを探します……それで……」
「話してる時間が勿体ないです、歩きながら話しましょう」
「えっ、はい」
エリオットが迷いなく歩き出したのを見て、アンジェも慌ててその後を追いかけ、少年の隣に並ぶ。
「どちらに向かっていますの? なにか心当たりがありまして?」
「心当たりというか……探してくれる奴あたりというか。森に向かってます」
「森?」
エリオットは頷いた。盛況のカフェテリアとお菓子クラブを抜けて、芝生の上を歩いて、何度もピクニックをした森の入口へと向かっていく。
「俺に化けてリコを騙すなんて、人間業じゃないです。アイツは人間の変身魔法ならすぐ気づきますから。前にセルヴェール様を攫おうとした魔物とか、似たような奴だと思います」
「ええ……でも、リリィちゃん、先日はその魔物がアシュフォード先生に化けていたのを見抜かれましたわ?」
「ああ……」
エリオットは隣を歩くアンジェを見ながら顔をしかめる。
「魔物は、人間の魔法よりも化けるのが上手いらしいです。だから見抜く方にもそれなりに技量だとか魔力だとかがいるって言ってましたね」
「……直前のファッションショーで……いろいろありまして、魔法をたくさん使っていらしたわ」
「それですかねえ。……セルヴェール様」
森の入り口までやって来ると、エリオットは立ち止まってアンジェをじっと見た。
「俺、さっき言ったこと、間違ったことを言ったとは思ってません」
「ええ……わたくしの不徳の致すところですわ」
「でも、リコを助けたい気持ちは俺もセルヴェール様も同じはずです。俺の無礼を忘れて、どうか一緒にリコを探してやってください」
エリオットはその場で深々と頭を下げた。真っ直ぐに伸ばした背筋がぴしりと曲がり、両腕も体側にしっかりと添えられている。日頃のちゃらけた態度が嘘のようで、アンジェは目を見開いた。だが言葉遣いも適当な彼が時折見せる真摯な眼差しを、アンジェは何度か見たことがある。初めは新年祝賀会だった。次はリリアンの引っ越しの時だった。フェリクスの誕生祝賀会も、ライトニングダッシュを習う時も、リリアンがアンジェの当てつけに彼をデートに誘った時も。そうだ、彼はいつだって真摯にあの子を見つめている。
(でも……)
「……顔をお上げになって、アンダーソンさん」
「はい」
「もちろん、ご一緒に探しましょう。リリィちゃんを心配する気持ちは同じですもの」
「……はい」
顔を上げてアンジェを見るエリオットの顔が、一瞬、苦し気に歪む。それを見て取ってしまったアンジェは、胸の奥で沸き上がる黒い炎を押さえるように、胸の前で両手を握り締めた。
「……一つ、聞いても良いかしら、アンダーソンさん」
「……俺に答えらることでしたら」
エリオットもアンジェと似たような、痛みを堪える顔をしている。そう、わたくしたち、同じ気持ちなのだわ。同じ人の身を案じて……その人のことが誰よりも大切で、こんなにも無事を願っている。
「貴方は……今も、リリィちゃんのことを大切に思っていらっしゃるのね?」
アンジェの青い瞳が、じっとエリオットを見る。アンジェと身の丈が同じほどの少年は、正面からその眼差しを受け止める。時間にして一秒もないはずの間が、永遠のようにすら感じられて──エリオットは視線を逸らし、小さく、頷いた。
「そうです。俺は、今でも……リコが好きです」
少年の眼差しは、いつか見た少女の美しい横顔によく似ていた。
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