39-11 決行 王の見通し


 フェリクスはアンジェを先ほどまで国王ヴィクトルが座していたベッドに寝かせようとし、アンジェはそれを必死に固辞した。ならば何か飲み物をと王子は更に慌てたが、それはヴィクトルが制する。


「落ち着かんか、フェリクス。時間がないのだぞ」

「父上、しかし、アンジェを労わってやらないことには」

「余とそなたが今日という日を無事生き延びることが出来たならば、存分に愛でてやるが良い」

「……はい」


 愛でる、という言い方にアンジェは疑問を感じなくもなかったのだが、理由を尋ねて真正面から答えられてしまうとフェリクスが狂喜乱舞しそうなので黙っていた。結局アンジェは椅子に座らされ、フェリクスがその両肩に手を置き、アンジェの守護神であるかのようにぴったりと寄り添う。もはやうずくまって再起不能かと思われたルナも何とか立ち上がると、机の上に置いてあったティーセットで茶の支度をする。


「さて……しばし待て」


 アンジェは尋ねたいことが今にも溢れんばかりだったが、国王にそう制されたのでは口をつぐまざるを得ない。ヴィクトルは端に控えていた護衛官二人のところに行き、何やら小声でぼそぼそと話していた。王と王子の護衛官は頷き、フェリクスの護衛官がこちらに歩いてくる。彼はポットを持ったルナに何事かを指示し、ルナは頷いて黙礼する。護衛官はフェリクスに勅令により一時離れる旨を告げ、フェリクスが了承すると、急ぎ部屋を出て行った。一連の動作をじっと見守っていた国王は、扉が閉まる音を聞いて、ふむとあごひげを撫でた。


「ヴォルフが戻るまで僅かばかり時間が出来た……して、アンジェリーク。そなたは逃げろと申したな」

「……はい」


 ヴィクトルはアンジェの対面の席に座る。アンジェが緊張に身を固くすると、肩に触れているフェリクスの手に力が籠められる。


(……フェリクス様……)

(こうして、わたくしの隣にいて下さるだけで、心強い……)

(守るとは、こういうことでもあるのだわ……)


「どこに逃げるのかの算段はついておるのか?」

「……いえ……先ほど、存じ上げたばかりですので、その」

「そうであるが、そうではない。彼奴等の計画に、そうさな、余の暗殺と同時に王宮を襲撃など、そうしたところまで把握しておるのか?」


 王の口調は淡々としているが、だからこそアンジェは膝の上で拳を握り締めた。


「……申し訳ありません、把握しておりません」

「ふむ。誠に、耳にしてからすぐに知らせに参ったのだな」


 ヴィクトルは二、三度頷くと、そのまま視線をアンジェから外した。目線は窓の外の方に向いているが、何かを注視している様子ではない。何か粗相をしでかしてしまっただろうか。そんなことはないはずだ、きっと何か考えを巡らせている。アンジェが必死に自分に言い聞かせていると、肩に乗ったフェリクスの手に力が込められた。


「……父上、よろしいでしょうか」

「申してみよ、フェリクス」


 ヴィクトルは自分と同じ緑の瞳の王子をじっと見つめる。


「ありがとうございます。……アンジェにもう少し、クーデターについて尋ねても良いでしょうか? 首謀者が大公夫人と聞きましたが、他に誰が与しているのだとか、何を目的にしているのだとか……それらを多少なりとも把握していなければ、有事の際の判断が鈍ってしまうかもしれません」

「令嬢に尋ねる必要はない。余の推測を答えよう。アンジェリークや、余の推測に誤りがあればそれを正してくれるか」

「はい……それは……勿論ですけれど」


 アンジェは眉をひそめ、肩に乗るフェリクスの手にそっと触れた。


「あの……先ほどのお話だけで、そこまでお分かりになりますの? わたくし達は、目的の把握はとても難しくて……アシュフォード先生を即位させようとしているのは分かったのですけれど……それではフェリクス様を誘拐するというのが説明がつきませんでしょう? 前世で見た物語では、クーデターそのものについてはあまり触れておりませんでしたし……」

「ふむ。まあ、ある程度察しはつくというものよ」


 ヴィクトルは鼻を鳴らし、視線をアンジェからフェリクスへと移す。


「フェリクスよ。首謀がオリヴィアであり、此度の計画が世の弑逆とそなたの誘拐というところから、明らかであるとは思わぬか」

「……はい」


 おそらく条件反射のように頷いてしまったフェリクスもまた顔をしかめ、困惑してヴィクトルを見る。


「……父上、申し訳ありません。僕の洞察はまだ足りないようです」

「恥じることはない、そなたはまだ若い。国政に携わっているわけでもない、知らぬ事情があるのは当然のことだ」

「……はい」


 フェリクスは苦々しい声音で呟いた。茶を入れ終わったルナが、カップを国王、フェリクス、アンジェ、自分の順に配膳する。国王は少女騎士をちらりと見やって微笑んで見せ、ルナは恭しく頭を下げた。


「父王を殺され異母兄に王位を奪われた王子など、生かしておいても次なる復讐と革命の火種にしかならぬ。それを差し置いてでも生かしておきたいだけの理由があるのだ」

「……はい」

「そなたは何だと思う? そなたを殺さずにかどわかす理由は。殺すよりよほど困難であるぞ。どこに連れていかれ、何を要求されると思う?」

「身代金、の、要求、でしょうか」

「王を弑し反逆者を擁立した者どもが、先王の息子の身代金を払うかの?」

「そうか……そうですよね」


 フェリクスはアンジェの肩から手を離し、腕を組み口許に手を当てて思索する。アンジェは見慣れた王子の顔をちらりと見上げながら、ルナの入れたお茶を飲む。


(……身代金ではない……それなら、フェリクス様だけ誘拐すれば済むのだもの)


「……僕自身に、何か他の価値や役割があるということなのですね」

「左様」


(フェリクス様の価値……)


 カップの中のお茶に、アンジェと、フェリクスの金髪が少しだけ映り込んでいる。フェリクスの価値。フェアウェル王国の王太子にして、乙女ゲーム「セレネ・フェアウェル」のメイン攻略対象。どこかで誰かが、手掛かりとなることを言っていたような気がする。昨日の夜、美しい王女が紡いだ悲しい物語の中で、ごく当たり前のことのように話していたような気がする。


【隠す必要などないでしょう、王国の守護神ヘレニア様が認めた王位継承者なのよ】


「僕が……王族であること……」


(そう……ヘリオスの名を、継承されていること……)

(……そうだわ、ローゼンタール先生の講演会では、血筋ではないと言っていた……)

(クーデターのための、耳触りの良い言葉とばかり思っていたけれど……)


【古いしきたりが理知的な判断を鈍らせ、血縁だとか縁故だとか、そんなものが王国の重要な地位や職業を独占している】


「僕を連れていくことで……得られる利益……」


(ヘリオスのミドルネームは、王国の守護神ヘレニア様が自らお授けになる……)

(それはつまり、王国の守護神ヘレニア様の末裔で……その加護を受けておられる証……)

(それが不要……フェアウェル王国に必要ない……連れ去っても、問題ない……)

(フェアウェル王国に……王国の守護神ヘレニア様の加護など、必要ない……)


「……あっ!」

「アンジェ?」


 漏れ出た声にアンジェは咄嗟に口許を覆ったが、フェリクスが怪訝な声と共にアンジェの顔を覗き込んだ。アンジェは狼狽えてフェリクスを見上げ、ルナの方を見て、それからヴィクトルをおそるおそる見遣る。おそらくアンジェの動揺を一つも逃さずに凝視していたフェリクスの父は、アンジェとしっかりと目線を合わせた。


「どうした、アンジェリーク。何か思いついたかの」

「……あの……」


 アンジェは躊躇う。この場ではヴィクトルがフェリクスに問うていた。フェリクスはまだ思案している様子だった、それなのに自分が何か閃いたと物申してよいものだろうか。ヴィクトルはアンジェをじっと見ながら悠然とお茶を飲み、ため息をついた。


「……フェリクス。令嬢が何か言いたいようだが、そなたの考えはまとまったか」

「いえ、父上。ですが僕のことは待たず、アンジェの意見を聞いてみたいです」

「そうか」


 ヴィクトルはニヤリと笑うと、カップを置き、両手を組んで机に身を乗り出した。


「申してみよ、アンジェリーク」

「……はい」


 頷いたアンジェの肩に、再びフェリクスが手を添える。


「フェリクス様を……ヘリオスの御名を継承されたフェリクス様を、フェアウェル王国から連れ出すことで……」


 心臓の壊れそうな鼓動が、震える指先が。


王国の守護神ヘレニア様のご加護を、持ち出そうとしているのですね?」


 自分が告げることは真実なのだと叫んでいる。


「──見事だ、アンジェリーク」


 ヴィクトルは破顔して立ち上がると、フェリクスを押しのけてアンジェの手を取り、その背をばしばしと叩いた。


「素晴らしきかな、セルヴェールの娘よ。まこと賢しき乙女であるな」

「お褒めにあずかり光栄ですわ」

「アンジェ……!」


 押し退けられたフェリクスはぽかんと口を開けたが、その頬はみるみる紅潮していく。父王とアンジェの間に無理やり割り込むと、ずっと探していた宝物をやっと見つけたかのような顔でアンジェの手を取り返した。


「アンジェ、アンジェ! 君ほどの人がこのフェアウェルに、いやこの世界にいるだろうか!? 僕は全く思いつきもしなかったよ、本当に素晴らしい! 父上、やはり僕の伴侶にはアンジェしかおりません、ご覧になったでしょう、アンジェの賢しい答を!」

「フェリクス様……」


 アンジェはフェリクスの手を優しく握りながら、押し退けられて不貞腐れている国王を見上げた。


「陛下……リリィちゃん、いえ、セレネス・シャイアンとフェリクス様のご婚約を無理に押し通そうとなさるのも、同じ理由ですのね?」

「左様」


 ヴィクトルはあごひげを触りながら頷く。


「女神たちの加護は、その土地その国ではなく、人につくものなのだ。かつて太古の昔には、フェアウェル王国以外にも神の加護の篤い国がいくつもあったと聞く。それらは時代が下るにつれ失われて久しいが、我がフェアウェル王国は今もこうして王国の守護神ヘレニア建国の女神セレニアの加護が受け継がれておる」


 ルナは立ったままお茶を飲みながら、興味深げにヴィクトルの声に耳を傾けている。


「神の加護がある土地は肥沃になり、アシュラム鉱石など魔力がもたらす資源も豊富になる。神を敬いその血脈を守り続けたフェアウェルだからこそ得られる富を、王子一人を連れ去り騙しさえすれば得られるのであれば、謀略を巡らせるだけの価値はある──ベルモンドールでそう考える輩がおるのだろうな」

「ベルモンドール……」


 フェリクスが呟き、アンジェの手を強く握った。アンジェの祖母はベルモンドールの王女であったが、セルヴェール家はこのクーデターに関しては何一つかかわっていないはずだ。……だが、父と母がアンジェのいないところで何をしているかと問われると、急に猜疑心が頭をもたげる。


「父上、ベルモンドールは……アンジェにゆかりのある国です。先日も僕の誕生祝賀会にて素晴らしい贈り物をいただきました。そのような国が、何故こんなことを……」

「隣から見れば、国というものは一つの大きなくくりに見えるであろう」


 険しい顔で尋ねた王子を見て、国王は面白そうに口の端を上げる。 


「だが内情を見れば、国の全てが一つの意見であることなどあり得ないのだ。フェアウェルもしかり、議会は紛糾するわ、こうしてクーデターまで画策される始末よ。ベルモンドールもまた様々な主張の者がおるのだろう。セルヴェール家がフェアウェルを謀っているとは、余は思わぬぞ」

「……そうですか……」

「しかしだ、フェリクス。ここでクーデターが為され……余が身罷り。そなたがかろうじて誘拐の手から逃れたとしよう。王城は既にクーデター一派に乗っ取られている──その時に、そこなセルヴェール嬢が、祖母を頼って隣国に亡命しようと申したら、そなたはそれに乗るのではないか?」

「……それは……」

「陛下、畏れながら、セルヴェール家は決してフェアウェル王国に仇を為すようなことは致しませんわ!」


 アンジェが思わず声を荒げてしまったのを見て、ヴィクトルは満足げに頷いた。


「分かっておる、分かっておるぞ、アンジェリーク。そなたとセルヴェール家が聡明で、忠義心に篤く、義を重んじる一族であると。余やフェリクスの有事には、その身を賭して尽くさんとするであろうことを」

「でしたら……!」

「愛しい婚約者にゆかりのある隣国で、事態が収拾するまで英気を養えばいい、兄との和解の道が探れると良い……愛する者さえ無事であるならば、玉座など捨て、共に手を取り合いひっそりと生涯を終えてもいい……フェリクス、心優しいそなたはそう思うのではないか? 若く感性豊かなそなたらのことだ、それこそリリアンも伴って三人で亡命し、潜伏先でそのように考えるのではないか?」

「……それは……」

「父上……」


 絶句した二人を見て、ヴィクトルはゆっくりと目を伏せる。


「それこそ、隣国の思惑通りであろう」


 フェリクスはアンジェを、アンジェはフェリクスを互いに見る。フェリクスはアンジェの顔をじっと見る──いや、アンジェの瞳に映った自分の顔を見ているのかもしれない。眉根を寄せて、口も歪んで、だが何を語ればいいのかが分からない、そんな表情しか浮かべることのできない自分の顔を。


「……アンジェ。君のひらめきは素晴らしかった。父上の洞察もとても冴えていらっしゃるね。一方の僕は、驚いてばかりで……」

「フェリクス様……」

「僕は……自分が情けないよ」


 悲し気に微笑み視線を逸らすフェリクスを、アンジェは初めて見た気がした。




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