39-10 決行 魔法の言葉で

「……アンジェ。僕の愛しいアンジェリーク」


 顔をしかめたフェリクスが、いつもより低い声で囁く。


「君たちが僕に隠していた秘密というのは……このことだったのかい」

「……はい」


 アンジェは頷き、ルナをチラリと見てからフェリクスに向き直った。


「けれど、暗殺については、わたくしも先ほど聞いたばかりで……それに正確には、陛下は暗殺で、フェリクス様は誘拐を目論んでいるようなのですわ」

「……誘拐? 僕を?」


 フェリクスが目を見開く。


「ええ、そう聞きましたわ……先ほどの、服飾部の発表会の控え室でしたの。もう陛下もフェリクス様も入場なさっていて、来賓の皆様の中にどれだけクーデター派がいるのかも分からなくて……お二人をご無事に外にお連れできるよう、リリィちゃんの案で、ショーの進行を変更したのです」

「そうだったのか、アンジェ……」


 フェリクスは真剣な表情で頷くと、傍の父王をじっと見遣った。ヴィクトルは何も言わず、フェリクスの方に視線をやりもせず、震えているアンジェをじっと見ている。アンジェはヴィクトルを見て、フェリクスを見て、震えの誤魔化しきれない手を胸元で握りしめているしか出来ない。


「……アンジェリーク。アンジェリーク・ルネ・ドゥ・セルヴェール。アンリエット・ド・シャルムール=セルヴェール殿の孫娘にして、余の忠実なる臣下アルベール・フィリップ・ドゥ・セルヴェールの娘よ」


 国王の緑の瞳が、じっとアンジェを見据える。


「……はい、国王陛下」


 答えるアンジェを、フェリクスが、ルナが、固唾を呑んで見守っている。


「もしそなたの言う通り余の暗殺が企てられているならば、そなたの言葉の真偽を吟味するだけの時間はない。そなたは、そなたの言葉が真実であると何に誓う?」


 国王ヴィクトルは言いながら自分の豊かな髭を撫でた。アンジェは気圧されて一歩後ろに下がりたくてたまらなくなるが、唇を噛んで堪える。


「わたくしは……フェアウェルをお守りくださる建国の女神セレニア様と王国の守護神ヘレニア様と……リリアン・セレナ・スウィートさんと、……今もこうして、わたくしを愛してくださるフェリクス様に誓いますわ」

「そうか」


 ヴィクトルは淡々と返答しつつベッドを降り、アンジェの方にやって来た。ルナが後ろでごほんと盛大な咳をする、振り向いて確認することは出来ないがきっと笑いを堪えているのだろう。フェリクスが呆然と父王とアンジェを見比べて、それからアンジェに駆け寄ってアンジェの手を取った。


「アンジェ……アンジェ。僕にも誓ってくれるというのかい、アンジェ」

「はい、フェリクス様」

「ああ……アンジェ! 君という人は!」


 フェリクスはアンジェをがばりと抱き締めると、その肩を抱き手を取ってヴィクトルに向き直った。ごほんごほんとルナの咳の音がする。


「父上、どうか! アンジェが僕や父上に虚言を弄するなどあり得ません!」

「落ち着け、フェリクス。そなたの可愛い公爵令嬢にその気がなくとも、伝えられた情報そのものが虚偽ということもあるのだ」

「そ、それは」

「さて、アンジェリーク」


 ヴィクトルはアンジェのすぐ目の前に立ち、震えながらも自分を見つめる少女をじっと見遣った。フェリクスがアンジェの肩をきつく抱き締める。


「……はい、陛下」

「手札をすべて見せると申したな。初めに首謀者を告げた勇気は称賛に値する」


 ヴィクトルは手を差し伸べればすぐにでも触れられるほど近くにいる。フェリクスの父である国王に、ここまで間近に謁見したことは数えるほどしかない。それも幼い頃、フェリクスの父だからと礼法や身分も弁えずに近付いてしまっただとか、そんなことばかりだ。


「……ありがとう存じます」

「よいか、そなたの言葉が真実であれば時間がない。手札の中で重要と思うものから順に話せ、すべて聞き終えるまで尋ね返しはせぬ。ただし三分間だ、よいな」

「……心得ました」

「ああ……一つだけ。そなた」


 ヴィクトルの緑の瞳が鋭く光る。アンジェはその目線から逃げることが出来ず、フェリクスに握られた手がじわりと汗をかくのを感じる。


「フェアウェルにクーデターを目論む輩がいると、どこで知ったのだ?」


(……来た)


 アンジェは国王の目をじっと見たまま逡巡する。彼はアンジェのそうした迷いすら読み取って腹の底を探っているはずだ。


「……一つ目の、一番重要な手札をご覧に入れますわ」

「うむ」


 アンジェはフェリクスの手に縋って深呼吸をした。ルナの方をちらりと見ると、笑いの波は収まったらしくじっとアンジェの方を見つめていた。視線が合う。眼鏡の奥のグレーの瞳が、話せと言っているような気がする。大丈夫よ、アンジェリーク、大丈夫でしょう、祥子。


「……わたくしには前世の記憶があるのです」

「前世?」


 聞き返したのは、ヴィクトルではなくフェリクスだ。


「はい、フェリクス様。ここフェアウェルとは全く違う世界で……安藤祥子という一人の女性として生まれ、成長し、そして死を迎えましたわ。安藤祥子の人生の中に、フェアウェル王国のことを記した物語がありましたの」

「アンドー……ショーコ? それは名前なのかい?」

「ええ」


 すぐ横のフェリクスは驚くというよりも怪訝そうな声音だった。それでも肩を支える手の力は揺るがない。国王ヴィクトルは何も言わずに、ただじっとアンジェの顔を観察している。


「その物語は……セレネス・シャイアンであるリリアン・スウィートという少女が、フェアウェルローズ・アカデミーに入学するところから始まりますわ。その物語の後半、王国へのクーデターの阻止が大きな山場となっているのです。ですからわたくしは、クーデターのことを何かで知ったのではなく、初めからクーデターはあるもの、起こり得るものとして捉え、未然に防ぐ手はないものかと考えておりました」

「……アンジェ……」

「……アンジェリーク。何故そなたがクーデターを阻止せんと思ったのだ?」


(……ああ……)


 淡々としたヴィクトルの問いに、アンジェは胸の奥にじわりと痛みが広がるのを感じる。忘れたことなどないつもりだったが、忙しくて、幸せで、心配で忘れていた。自分が物語でどんな役割を担っていて、どんな末路を辿るのか、知ってしまった時の、闇夜を永遠に滑り落ちていくような感覚。 


「……物語の中では」


 大丈夫、大丈夫よ、アンジェリーク。


「わたくしこそが……クーデターの首謀者なのです」


 この世界でわたくしのことを悪役だと思う人はいない筈よ。


「わたくしと……アシュフォード先生が、結託して……先生は玉座を、わたくしはフェリクス様との再婚約を要求するのですわ」

「えっ、兄上が!?」


 フェリクスが悲鳴のような声を上げる。


「アンジェ、君は先ほどは大公夫人だと言っただろう!? 君が僕と再婚約というのはどういうことだ!?」


 動揺を隠し切れなかった王子の顔は、彼をいつもより幼く、あるいは年相応に純朴に見せる。アンジェは微笑み、つないだままのフェリクスの手を強く握った。


「ええ、フェリクス様。物語と、わたくしたちが生きているこの世界では、少しずつ異なるところがありますのよ」

「あ、ああ、そうなのか……済まないアンジェ、取り乱したりして」

「少し静かにしておれ、フェリクス」

「……申し訳ありません」


 父王の言葉にフェリクスはうなだれた。アンジェに触れている手がかすかに震えているような気がする。アンジェはその手を離すまいと両手で包むように握り、目線をヴィクトルへと戻した。


「……荒唐無稽にお思いになられるやもしれませんが、誓って真実ですわ」

「うむ。前世……前世な」


 ヴィクトルはあごひげを触りながら少しばかり首を傾げる。


「その前世の記憶を持っているのは、そなた一人なのか?」

「……いいえ」


 アンジェは首を振り、ルナの方に顔を向ける。ルナは腕組みをしてこちらの様子を窺っていたが、ヴィクトルの視線も自分に映ったので腕を解き、それから軽く肩をすくめて見せた。ご自由に、唇だけ動かしてそう語っている。アンジェはルナに頷きかけると、再び自分に問いかけている国王に向き直った。


「そこにおりますルネティオットさんと……それからあと二名ほど存じ上げておりますわ」

「……そうか。四人か」


 ヴィクトルはさして驚いた風でもなく──あるいはそれを表に出すことなく、頷きながら髭を撫でた。


「アンジェリーク。ルネティオット。この場ではそなたたち二人が、異なる世界での前世の記憶を持つのだな」

「はい、陛下」

「さすれば二人して余の問いに答えて見せよ」

「問い、でございますか?」

「うむ。相談しても構わぬぞ」


 思いがけない提案に、アンジェは返答も忘れてまじまじとヴィクトルの顔を見た。次いでフェリクスの顔を見上げる。フェリクスは自分より更にキョトンとしている。続いてルナの方を見る。ルナは怪訝そうな、あるいは険しい顔で首を傾げていた。


「どうする。そなたの話が真であると証明するには、問いに答えるしかないぞ?」

「……はい、お受けさせていただきます」


 アンジェは咄嗟に答えてしまう。


(転生者に……何をお聞きになるというの?)

(未来や過去の出来事だとしても、ゲーム期間以外のことは分からない……)

(答えられなかったら、信じていただけないということ……?)


「……そうか」


 ほんの一瞬で急激に膨れ上がった不安を見透かすように、国王ヴィクトルはひとつ深くため息をついた。


 こほん、と、咳払いをひとつ。


「魔法の言葉で、嬉しい仲間が?」


 ちらり、とヴィクトルがアンジェを見てくる。


「……えっ?」


 アンジェは思わず素で聞き返してしまう。ルナの方を見たが、彼女も何か閃いたわけではないようだ、顎に手を当てて首を傾げている。


「ふむ。これだけでは駄目か。……何だったかな」


 ヴィクトルは頬をかきながらしばらく思索したが、やがておお、と声を上げた。


「もう一つ追加するぞ。二、ゼロ、一、一、三、一、一」


 何かの数字を読み上げながら、ヴィクトルはアンジェの顔をじっと見る。反射的に数字を脳内に並べてみる。何の意味もない数字の羅列のはずだ、この世界では──思い当たってしまった事象に、脳裏に蘇る凄惨なニュース映像に、アンジェは硬直する。


「……アンジェ?」


 フェリクスが不安そうに尋ねてくる。


「魔法の言葉で、嬉しい仲間が?」


 ヴィクトルがもう一度呟いた瞬間、アンジェの脳裏にあるメロディがまざまざと蘇る。国全体が壊滅的な被害に打ちひしがれ、たくさんの娯楽が自粛に追い込まれ、不適切なものが代替に置き換えられた結果として頭がおかしくなるのではないかというほど聞かされネットミームと化した曲。それは凄惨な震災とは切っても切り離せない、あの瞬間を体験した日本人であれば、この歌の歌詞の続きを忘れるはずがなかった。


「そんな……陛下……まさか……」


 ルナはアンジェの方を見ていた。もう驚きは通り過ぎたようで、目を見開き中途半端に開けたままの口がぐにゃりと歪み、ちょうどそれを手で覆い隠したところだった。アンジェはフェリクスの手を払ってルナに駆け寄り、その手をぶんぶんと振る。


「ねえ、ルナ、嘘でしょう、嘘でしょう!? こんなことってありますの!?」

「ぶふっ……だ、だが実際のところへ、陛下が仰ってるんだ、事実を受け入れろアンジェ、ぶぶふっ」


 フェリクスは怪訝そうに首を傾げている。ヴィクトルはあくまでも冷静に二人の様子を観察していたが、おもむろにコホンと咳払いをして見せた。


「して、アンジェリーク、答えるのか、答えぬのか」

「こっ答えますわっ!」


 アンジェはその場に飛び上がり、それからおそるおそるヴィクトルの方を振り返った。ヴィクトルはうむと頷き、威風堂々たる様子で、もう一度その呪文を唱えた。


「魔法の言葉で、嬉しい仲間が?」

「……ぽぽぽぽーん?」


 ぽつりと答えたアンジェの脳内で、ゆるい雰囲気のキャラクターがはしゃぎ回る映像が蘇る。


「……ふむ」


 ヴィクトルは鼻を鳴らす。


「斯様に面妖な符合、まさか正答するとは思わなんだ」

「おっ恐れながらっ、陛下も転生者であらせられますのっ!?」


 アンジェの悲鳴のような叫びに、国王ヴィクトルは口の端を上げ、泰然と微笑む。


「余ではない。さる者に聞いていたのだ、転生者と思しきが現れたらこう尋ねよと」

「さる者……!」


(どういうこと……どういうことですの!?)

(他にも転生者がいて……陛下は何もかもご存知だったということ!?)

(ああ、駄目、全く持って分からないわ……!)


「──アンジェ!? 大丈夫かい!?」


 思考が過熱するあまりくらりとよろめいたアンジェを、フェリクスが慌てて抱き止めたのだった。



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