39-8 決行 手を取り合って
救護室はいつもの医務室を近隣の教室まで拡大する形で設置されている。迷子預かり所も併設されており、ローゼン・フェストの来賓は困ったらそこに向かえばいい。アンジェは生徒会で見たローゼン・フェスト全体運営案で、救護室には賓客向けの個室の用意もあるのを知っていたので、迷わずそちらへ向かった。
(……リリィちゃん)
大講堂の通用口を出たアンジェは、少し歩いてから振り返ってみたのだが、リリアンとエリオットがアンジェと同じ出口から出てくる様子はなかった。数秒ほど自分が閉ざした扉を眺めていたが、やがてため息をついてまた歩き出す。
【んだよ、いいだろ別に。俺が見ちゃ悪いかよ】
【悪、く、ないと、思う……】
頬を赤く染めたリリアンの顔は、いつか部活棟への渡り廊下で見た少女の横顔を思い出させた。幼馴染の少年と数年ぶりに再会して、彼に恋焦がれていた頃のリリアン。その様子を見てしまったアンジェは、自分のリリアンへの想いを嫌というほど自覚させられた。
(余裕ぶってみせたけれど、そんなことなくてよ……)
あの時の胸の痛みはよく覚えている。新年会でバルコニーを見上げた時の絶望も。その少し前、青い髪の少年も、少女への想いを告白し、何もしてやれないと涙していたのだ。
(……結局、お二人の仲は、どのように決着したのでしょう)
(リリィちゃんもあまりお話しなさりたくないようですし……)
大講堂から医務室・救護室までは、校舎に入ってその中を通り抜けることになる。ローゼン・フェスト最終日の熱気とけだるさが溢れる校内を、アンジェは人混みを縫うようにして歩いていく。
エリオットについてさりげなく聞いたことは何度もあった。最近はどんなお話をしているの? お二人は相変わらず仲が良いのね。シルバーヴェイルの頃からそうでしたの? リリアンはエリオットの話をされると嬉しそうに顔を輝かせる。けれどそれは以前見た、恋をしている少女の者ではない、ような、気がする。あの熱を含んだ眼差しは、今は間違いなく自分をじっと見上げている。そして時々わけもわからずに不機嫌になってぷいと逸らされてしまう。
【アイツ、へそ曲げると面倒なんスよねえ】
少年の声が脳裏に蘇る。
【たぶんセルヴェール様から見たらしょうもない、ほんの些細なことで怒ってるんスよ】
幼馴染の少年の呆れた声は、いつものこと、こんなことしょっちゅうだ、という意味合いが含まれていた。リリアン自身が、自分はヤキモチ焼きだと言っていた。それは以前に別の恋をしたことがあって、その時にヤキモチを焼いてばかりだった経験からそう言っていたのだろうか? そして少年は、彼女がほんの些細なことで怒っていたと、どうして知っているのだろうか?
(駄目よ、アンジェリーク)
(黒い炎を呼び覚ましてしまうわ……)
【……ったく、当てつけに俺を使うなよな……】
【どうせしょうもないヤキモチっスよ、なんか言い方が気に食わないとか、あの時どっかの誰かをじっと見てただろうとか……】
【アイツのこと、あんまり泣かせないでくださいよ?】
(アンダーソンさんは、わたくしと出会う前のリリィちゃんのことをご存知……)
(ただ、それだけじゃない……それだけ……)
日頃のエリオット少年は、アンジェとリリアンの仲を応援してくれているように感じる。それと同時に、リリアンが一度は彼に惹かれたのも無理からぬことだなと思う自分もいる。自分には何の得にもならないのに、アンジェにライトニングダッシュを指導してくれる心優しい少年。彼のような幼馴染がいたら、心が傾かずにはいられないのかもしれない。そしてそれは幼い頃の思い出として、新しい恋人が出来てもどこか別のところに大切にしまわれているものなのかもしれない。
(駄目よ、アンジェリーク……良いといって送り出したのは自分じゃない)
(フェリクス様だって、日頃わたくしを自由にしてくださっていたわ……)
そこまで考えたところで、いつかエリオットと二人でお茶をした時の動揺したフェリクスと、ガイウスと話していて彼を絞め殺さんばかりだったフェリクスを思い出してしまった。
(……存外、フェリクス様もヤキモチ焼きでいらしたわね)
(そもそもわたくしに殿方と接触する機会が少なかっただけなのだわ)
(それも今思えば、フェリクス様のお計らいなのかもしれないけれど……)
アンジェは肩の力が抜け、一人微笑みながら歩く。
(……大丈夫。信じましょう、リリィちゃんを)
忍び寄る黒い炎が鎮まった頃、アンジェは医務室に到着した。拡充した救護室の方は賑やかで人の出入りがあるが、医務室入口は閉ざされており、その扉に寄りかかっていた人物がアンジェを見つけると、よう、と手を挙げて見せた。
「さくやはおたのしみでしたね」
「どっ」
アンジェはニヤつくルナの言葉に舌を噛みそうになってむせる。
「あれは! 致し方ないことだったんですのよ!?」
「ほーう、公衆の面前で濃厚ベロチューに疑似騎乗位が致し方ないことか、そうかそうか」
「ルナ!!!」
ルナはクックッと笑いながら目尻の涙を拭い、非難がましい目で自分を睨んでくるアンジェの周囲を見回した。
「……姫御前と子リスは? 一緒じゃないのか」
「イザベラ様はお疲れが出たと、少しお休みなさると仰っていたわ。リリィちゃんはアンダーソンさんとご一緒よ」
「は? 姫御前は分かるが、子リスはどういうこっちゃ」
「どういうも何も……アンダーソンさんがリリィちゃんのことを迎えに来ましたのよ。デートだって」
「デートねえ……」
平静を装って告げたアンジェを、ルナはニヤニヤしながら肘で脇を小突いた。
「お前、いいのか? 盗られるぞ」
「リリィちゃんはモノではなくてよ」
「奴はとんでもないものを盗んでいきました。貴女の心です」
「るっ」
アンジェはまたしてもむせる。
「アンダーソンさんはリリィちゃんの幼馴染でしてよ、何もおかしなところはないでしょう!? ただでさえモヤモヤしているのを焚きつけないで下さる!?」
「はっはっは、モヤモヤしてるのか
「ルナ!!!!!」
アンジェは涙目でルナに殴りかかるそぶりをしてみせる。ルナはニヤニヤしながら振り下ろされた拳をやすやすと受ける。アンジェは更にもう一発お見舞いしてやろうと手を挙げた時、少し離れたところでこちらの様子を窺っている人影に気が付いた。
「……セルヴェール」
「……アシュフォード先生!」
アンジェが驚いてルナの顔を見ると、ルナは得意げに鼻を鳴らす。
「捕まえておいたほうが手っ取り早いと思ってな」
「それは確かに、そうなのでしょうけれど……」
「私は護衛官殿には『何かある、警戒せよ』くらいにしか伝えていないぞ。よもや陛下と殿下が二人して鼻血ブーになるなんて思いもしないからな」
ルナはこちらに歩いてきたクラウスを横目に見上げると、面差しを正して真剣な表情になった。
「アンジェ。何があった? クーデター絡みなんだろう?」
「……よく、ウィンクだけでそこまで分かりますこと」
「姫御前がおられるなら、鶴の一声でショーを中止やら延期やらにしたっていいんだ。それが出来ない状況ってことは、命令に従わない奴が一定数以上いるってことだ。そんなのクーデターしかないだろ」
「まあ……本当に、察しのいいこと。イザベラ様が信頼なさるのがよく分かりましてよ」
「当たり前だ、ルナ様だぞ」
アンジェは胸を張ったルナを見てくすくすと笑い、それからクラウスの方に向き直った。
「アシュフォード先生。わたくし、大公夫人のたくらみについて、イザベラ様に教えていただきましたの」
「……王女殿下から?」
「はい」
「昨夜……先生がサリヴァン先生のご自宅にいらしたことも存じておりますわ」
「…………」
「これからそのことと、ショーの最中に陛下の暗殺とフェリクス様の誘拐が企てられていたことを、お二人にご報告申し上げるつもりです」
「……マジか、アンジェ」
「まじですわよ、こんな場で嘘をついても仕方がないでしょう」
ルナが目を見開いてアンジェを見る。同じことを聞いても動揺を完璧に隠し切ったクラウスを、アンジェは真っ向からじっと見上げる。
「わたくし、フェリクス様とお約束したのです。わたくし達は三人で一つなのだと。その時は、フェリクス様とわたくしと、あとリリィちゃんでしたけれど……お優しいフェリクス様は、きっと大好きなお兄様であられるアシュフォード先生にも、同じようにお心を寄せていらっしゃる筈ですわ」
「なんせクラ×フェリだからな」
「お黙りなさいルナ」
ぴしゃりと言い捨てられてルナはクックッと笑った。アンジェは気を取り直してゆっくりと息を吸う。
「先生。アシュフォード先生。わたくし達、手を取って助け合いましょう」
「セルヴェール……」
「力を合わせましょう。わたくしが先生の全てを存じ上げているなど自惚れたりは致しませんわ。けれど先生が立ち向かうものがどれほど恐ろしいものかを分かち合うことは出来ると思いますの。何かお力添え出来ることもあるかもしれません」
クラウスはアンジェの青い瞳をじっと見つめた。アンジェは射すくめられたような心地になって息を呑む。クラウスはアンジェに手を伸ばす。指先がアンジェの頭頂部に触れようとしたが、顔をしかめて手を自分の胸元に引き寄せ、ゆっくりと首を振った
「……失礼しました、セルヴェール」
「アシュフォード先生、お願いですわ」
「貴女の仰ることはよく分かりました。それならば猶更、僕は一刻も早くあの魔女を討たなければなりません。セルヴェール、陛下と殿下へのご報告を、貴女に任せても良いでしょうか?」
「えっ」
クラウスの口調は淡々としている。
「セルヴェール、それからシュタインハルト。ご報告の後、頼もしい助太刀が来てくれるのを期待していますよ。では」
「あっ、先生、お待ちになって!」
踵を返し足早に歩き始めたクラウスに、アンジェは思わず声をかけた。そのまま足を踏み出して彼を追いかけるべきかどうか、逡巡する視線がルナと重なる。二人して何か言おうと口を開けかけたちょうどその時、医務室の扉の向こうから声がした。
「アンジェ? そこにいるのかい?」
──大講堂で暫定婚約者への愛を声高に叫んだ、フェリクス・ヘリオス・フォン・アシュフォード・フェアウェルその人だった。
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