39-7 決行 特別なあなた

 大喝采とともに服飾部発表会およびレーヴ・ダンジュ新作披露会は閉幕となった。王族が退場し場内が明るくなっても拍手は鳴り止まず、観客は興奮に頬を染めて隣の者と語り合う。初めてこの目で見たわ、レーヴ・ダンジュ! わたくしにも着られるかしら? ねえ、貴方、お一つ手に入れてくださいな。服飾部の三番目の方のデザインはとても斬新だったわね。結局成功したのかな? したはずですわ、あんなに血が出ていたんだもの。あれは鼻血よ、計画は失敗したんだわ。王族が人前で鼻血なんか出すわけないだろ、狙撃がずれてしまったんだ……。


 リリアンは退場した舞台袖から、ずっと正面入り口上部──そこに暗殺者が隠れているというあたりをじっと睨んでいたが、人々が退場し始めたあたりでようやくため息をつき、その場にへたり込んだ。


「……人混みに紛れて出て行きました」

「そう……」


 隣で固唾を飲んで見守っていたアンジェは、リリアンの隣に膝をつき、剥き出しの肩にブランケットをかけてやる。


「リリィちゃん、お疲れになったでしょう、魔法もたくさん使って……」

「アンジェ様」


 リリアンの顔は曇ったままだ。


「さっきの……玉を投げた時の魔法。私、殺すつもりこそなかったですけど……当たって、怪我をさせて、壁も壊してみんなにバレちゃえ、くらいのつもりで撃ったんです。たぶん、私が狙ったのがエイズワースさんなら、本当にそうなってたと思います」

「……大公夫人に、魔法が効かなかったの?」

「いえ……効かないというか、弾かれたっていうんでしょうか。あんな強い魔法、見たことありません。ヘレニア様がお使いになる魔法に似ているけど、全然違う……」


 アンジェも眉を顰める。アンジェは魔法についてはアカデミーで習うことしか分からない、あとはライトニングダッシュが使えるくらいか。一方のリリアンは、王国の守護神ヘレニアから時々魔法や知識を授けられることがあるらしい。それはフェアウェルには途絶えて久しい、建国の女神セレニアの系統の魔法なのだと言う。


「私の魔法、マラキオンにも効いたのに……」


 フェリクスの誕生祝賀会でアンジェがマラキオンに攫われそうになった際、魔物に有効なダメージを与えたのは、リリアンの魔法とフェリクスの剣だった。アンジェは喉が灼ける感触を思い出してしまって身震いするが、首を振って自分を誤魔化し、リリアンの手を取る。


「リリィちゃん。それでも、貴女の力で陛下の暗殺を阻止したのよ。それは素晴らしいことだわ」

「……はい」

「ルナは魔物討伐で荒野に出ることがあると仰っていたから、ルナにも聞いてみましょう。アシュフォード先生もお詳しいかもしれませんわ。お二人ともあの場を見ていたし、何かしら意見をくれるでしょう」

「そう……そうですね」


 リリアンは自分に言い聞かせるように頷いた。


「殿下たち、この後はどんなご予定なんでしょう? また狙われるような機会があるんでしょうか」

「そうね、そうよ、お二人に弑逆の企みありとお伝えするのが先だわ」

「しいぎゃく?」

「ええと……国王陛下や自分の親ですとか、目上の人を殺してしまうことよ」

「こわっ……怖い言葉があるんですねえ!」

「ええ、本当に」


 アンジェは微笑みながら立ち上がる。


「さあ、まずは着替えないと外に出られなくてよ。急ぎましょう」

「はい」


 アンジェは繋いだままのリリアンの手を引いて立ち上がらせようとしたが、リリアンはしばらく下からじっ……、とアンジェを見上げてばかりだ。だがやがてにんまりと笑うと、アンジェの手を借りて立ち上がり、ついでに剥き出しの腰のくびれをさっと撫でた。


「きゃんっ!?」


 悲鳴を上げたアンジェを見てリリアンはフフフと笑う。


「殿下ばっかり得しちゃうなって思ってたけど、私も大儲けでした〜」

「何の話ですの!?」

「衣装に血がつかなくて良かったですねっ」

「こらっ、待ちなさいっ、リリィちゃんっ!」


 ぱたぱたと駆けていくリリアンを、アンジェも慌てて追いかけたのだった。




*  *  *  *  *




 控室は少女たちの興奮冷めやらぬ熱気でいっぱいだった。まずシエナとシャイアが泣き腫らした目で駆けてきて、アンジェと追いかけっこをして息を切らしているリリアンをシャイアががばりと抱きしめる。


「リリアンさん! ありがとう……ありがとう!!!」

「シャイアさん……」

「貴女のおかげよ、貴女のおかげでフェアウェルは救われたのよ! 私、自分がどんなに馬鹿なことをしていたんだろうって、どうか陛下をお救いくださいって、ヘレニア様とセレニア様に祈っていたの」

「シャイアさん、まだ終わってないよ、ここでご無事だっただけだから」

「あっそうね、私、貴女の頑張りが自分のことのように嬉しくて……」


 顔を上げたシャイアの瞳からポロポロと涙がこぼれる。


「私……本当に、どうかしてた。能力ある人こそ活躍するべき、っていう言葉自体は、きっとそこまで悪くないと思うの。けれど陛下も殿下も、お血筋を差し引いても本当に素晴らしいお人柄なのだわ。特に殿下の深い愛を湛えた寛大なお心は、お菓子クラブでよく見ていたはずなのに……私、自分が特別なんだって言われてるみたいで、舞い上がっていただけだったの」

「……うん」


 自分よりも背の高いシャイアの涙を、リリアンは指先でそっと拭った。


「誰だって、特別になりたいよね。貴女が必要だよって言われたいよね。……すごく分かるよ」

「そんな、リリアンさん」


 シャイアは自分でも目尻を拭いながら不思議そうに呟く。


「貴女こそセレネス・シャイアンなのだから、誰よりも特別な方だわ。こんなに親しくさせていただいているのが不思議なくらい」

「あはは、そうだねえ」


 リリアンは微笑む。微笑みながらアンジェの方を見ようとして、躊躇い、また視線を戻した。


(……リリィちゃん?)


「そういう特別もあるけど。大好きな人の一番特別になれる方が、私は素敵だと思うなあ」

「まあ、リリアンさんったら!」

「見てましたわよ、アンジェリーク様との情熱的なキス!」


 シャイアは顔が真っ赤になり、シエナも嬉しそうにリリアンの手を取る。


「お二人の愛の絆は、もはや殿下にも引き裂くことはできませんわ!」

「違うわシエナ様、殿下は引き裂きたいのでなくて間に挟まりたいのですわ」

「もう、シャイア、貴女はどちらの味方なの!」

「だってお聞きになったでしょう、先ほどの殿下……! アンジェリーク、愛している、愛しているよって……! あんなの聞いてしまったら、改めて殿下がセルヴェール様に捧げる愛の大きさに打ちのめされずにいられませんわ!」

「そうね、シエナさん、シャイアさん。フェリクスくんのように何の恐れもなく愛を叫ぶことが出来たら、それはどんなにか素晴らしいことでしょう」


 アンジェ達が入室してきた時には身支度をしていたイザベラが、微笑みながら会話に加わる。制服姿のイザベラの横には侍女が控えている。侍女は心配そうにイザベラに扇子とえんじ色のハンカチを差し出し、イザベラは何事もなくそれを受け取った。


「イザベラ様……」


 アンジェは呼びかけながら胸の前で両手を握り締める。ランウェイでの個別アピールの時、貴賓席最前列に残されていたのは王妃ソフィアとクラウス・アシュフォードの二人だった。ステージの端から見ていただけだが、王妃ソフィアの仕草から、クラウスに隣に座るように言ったことは推測できる。二人で座って、何か会話でも交わしただろうか? 二人ともこちらを見て手拍子をしていたが、イザベラの時も同じようにしていたのだろうか? 侍女によって丁寧に結われたプラチナブロンドのシニョンは完璧な仕上がりで、魔法ランプの灯が美しい艶を作っている。完璧なふるまいのイザベラを見ていると、アンジェはいつかの貴賓室で泣き叫んでいたことなど、何か悪い夢だったようにすら思えてくる。


「アンジェちゃん、リリアンさん。貴女たちのおかげで、おぞましい事件をひとまず阻止することが出来ましてよ。特にリリアンさん、最後の最後でのあれは、本当に勇気ある行動だわ」

「イザベラ様……」


 名指しで褒められたリリアンは、戸惑いつつもえへへとはにかんだ。


「私……絶対、お二人をお助けしたくて……今出来ること全部やろうって思ったんです」

「そう、素晴らしいことね」


 イザベラは微笑みながら、扇子ではなくハンカチで口許を隠す。


「アンジェちゃん、わたくし疲れてしまって……少し、下がらせていただくわ。悪いのだけれど、その間に陛下とフェリクスくんのところに行っていただいて、事のあらましを伝えて下さる?」

「ええ、それは、もとよりそのつもりでしたけれど……」


 アンジェは戸惑いを隠せずにリリアンを見る。昨夜イザベラの話を聞いていたのはアンジェだけだ。クラウスの想い人を、イザベラの思いの丈を知っているのも、この場ではやはりアンジェだけということになる。あれほどに取り乱し、焦燥し、今にも消えてしまいそうだったイザベラ。侍女がいるとはいえ、彼女から離れてしまっても大丈夫なものだろうか?


「……心配性ね、アンジェちゃん」


 イザベラが微笑む。どう見てもその微笑みは、泣き叫びたいのを堪えているようにしか見えない。


「でも……大丈夫。分かっていたことだもの」

「イザベラ様……」

「お願い。そうさせてちょうだい」


 散りゆく花弁を悼むような声音は、アンジェの反論を飲み込ませる。


「承知、致しました」

「ありがとう、アンジェちゃん。なるべく急いでね」

「……はい」


 アンジェは人知れず唇を噛んだ。リリアンはじっとイザベラの顔を見ている。シエナとシャイアは少し後ろに下がって成り行きを見守っている。イザベラに促されるまま、アンジェとリリアンはレーヴ・ダンジュの下着の上に直接制服を着た。コルセットの締め付けがない着こなしに、リリアンは「身軽ですね!」と喜び、アンジェは祥子が学生の頃の記憶を思い出す。イザベラも同様にレーヴ・ダンジュを着たままのようで、はしゃぐリリアンを見て目を細める。


「そうやって、日頃から軽やかに過ごせるようになりたいものだわ」

「はい、とっても動きやすいです!」

「きっと、どんどん普及いたしますわ、イザベラ様」

「ええ、そうね。では、お願いね、二人とも」


 イザベラは押し出すようにしてアンジェとリリアンを控室の外に出した。シエナとシャイアはまだ話したそうだったが、口許をハンカチで隠して手を振るイザベラに気圧され、一歩引いてぺこりと頭を下げた。アンジェとリリアンも頭を下げ、控室の廊下で顔を見合わせる。


「……イザベラ様、大丈夫かしら……」

「アンジェ様は、アシュフォード先生のことで心配されているんですか?」

「ええ……そうね」

「うーん……そうですねえ……確かにちょっと心配です」

「でしょう?」

「もしかしてなんですけど、イザベラ様……あれ」


 控室から外へ向かう廊下を歩いていると、出口のあたりに人影があった。青い髪に青い瞳の少年が、壁にもたれかかってポケットに手を突っ込み、ちらちらとこちらを窺ってる。


「……リオ!?」

「……おう」


 リリアンが呼びかけると、エリオット少年は素っ気なく応じ、片手を上げて見せた。


「見てたぜ、ショー。なかなか良かったじゃねえか」

「えっ、リオ見てたの!?」


 リリアンはギョッとしてその場に飛び上がる。


「来れないって言ってなかった!?」

「んー。予定変わった」

「ええっ!? 来るなら来るって言ってよ!」

「んだよ、いいだろ別に。俺が見ちゃ悪いかよ」


 少年の拗ねたような口調に、リリアンの顔がかっと染まった。隣に立つアンジェを見て、もじもじと手をいじくり、それから俯いて首を振る。


「悪、く、ないと、思う……」

「じゃ、いいだろ」


 エリオットは鼻を鳴らしてアンジェを見ると、口の端を片方上げ、いやに皮肉気な笑い方をして見せた。アンジェはその笑い方に違和感、あるいは既視感のようなものを感じて首をひねる。


(……こんな笑い方をなさったかしら……?)

(誰かに似ているような……?)


「それでリオ、何か用? 私急いでるんだけど」

「なーんだ、急いでるのか。せっかく誘いに来てやったのに」

「誘う?」

「デートだよ、デート」

「ハァ!? あっ、ばっ、何言ってるの!?」


 リリアンはまたしても飛び上がると、アンジェにしがみついて子犬のように吠えた。


「ででっ、デートとか、私はアンジェ様の恋人なんだから、するわけないじゃん!」

「んっだよ、昨日は自分からデートしよとか言って来たくせに」

「そっ、それとこれとは別だもん!」

「お前が言ってくる時は良くて、俺が誘うのはダメなわけ? ずっりい奴だなお前」

「だ、だって、ばっ、ちがっ、今は本当に用事があるんだもん!」


 違和感を感じたのは一瞬のことだった。いつもの丁々発止のやり取りを、怒り狂って顔が真っ赤の恋人を見て、アンジェはくすりと笑った。


「リリィちゃん、よろしくてよ」

「ばっ、えっ、アンジェ様!?」

「用事はわたくし一人でも事足りますし、アンダーソンさんにはお世話になってばかりですもの。たまには幼馴染同士で故郷の思い出話をなさりたい時もあるでしょう。それにわたくし、リリィちゃんを誰よりも信じているのだもの。気兼ねなくいってらっしゃいな」


 にこりと微笑んでやると、リリアンは猛烈に困った顔でアンジェとエリオットを見比べた。アンジェは微笑んだまま、エリオットは仏頂面のままだ。リリアンはう~と唸り、がくりとうなだれて、アンジェの手をきゅっと握り締めた。


「……アンジェ様。私、すぐ帰りますから」

「ええ、ゆっくり……と言いたいけれど、わたくしの心が寂しさに破裂してしまう前にお戻りになってね、可愛いリリィちゃん」

「ひゃい……」

「さっすがセルヴェール様、話が分かるッスね」


 エリオットの口調に、何か小馬鹿にしたような印象を受け、アンジェは眉をひそめてじっと少年を見た。少年はニヤニヤしながらアンジェとリリアンをじっと見返す。いつものエリオット少年のはずだ。言葉や態度の端々に棘があるように感じてしまうのは、自分が疲れているからだろうか?


「……では、わたくしは先に失礼しますわ」

「アンジェ様、また後でっ!」


 アンジェはエリオットの横を通り過ぎて、大講堂の外に歩いて行った。残されたエリオットとリリアンは互いの顔を見合わせる。エリオットはニヤリと笑うと、リリアンに向かって手を差し出した。


「行こうぜ、リコ」

「……うん」


 少し怒ったような表情で、リリアンはその手を取るべく自分の手を差し出す。手と手が、指と指が近づき、少年の瞳がぎらりと金色に光る。


「……さあ、余と共に来るのだ、リリアン・セレナ・スウィート」


 少年の手が、少女の手をがしりと捕まえる。

 少女は紫の瞳を大きく見開く。

 アンジェは出口の扉の向こう、大講堂から救護室を目指して歩いていく。




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