39-5 決行 果たして鮮烈となるか
「なんという……なんということだ、リリアンくん! 君は可愛い猫になってアンジェをどうすると言うんだ!」
【アンジェ様は、ついてくればいいですからね】
刻々とショー開始が迫る控室にて。不安そうなアンジェの顔を覗き込んだリリアン、どこか嬉しそうににこりと微笑んだ。その時の笑顔と同じはずなのに、目尻に引いた赤い色粉に心臓を掴まれたような心地だ。リリアンは前を向き、アンジェを振り返り、猫らしく瞳をくりくりさせているが、その視線が一瞬だけイザベラと交差する。
「こら!」
イザベラの声が聞こえた気がしたが、王女は実際には口を動かしただけで発声をしていなかった。両手をさっと横に広げると、リリアンはぱっとその場に飛び上がってアンジェの手を離し、ランウェイの隅の方にもじもじと立つ。アンジェの方をちらりと見てきたので、アンジェも戸惑いつつもリリアンの対となりそうな位置に立った。イザベラは美しい顔に大袈裟な怒りの表情を浮かべてみせると、右手の人差し指を立て、腰に手を当て、ぴっぴっぴ、と指を振って見せた。その怒り顔のままちらりと貴賓席の方を見る。フェリクスがそれなりにギョッとし、国王はあからさまに動揺し、王妃と後列の王妹夫妻は嬉しそうに顔を輝かせる。
「おっ……王女殿下ぁー!!!」
「イザベラ様ーっ!」
「私も叱ってえー!!!」
歓声を受け、イザベラは怒り顔のままその場をゆっくりと一周し、ぴっぴっぴっと人差し指を振り続けた。彼女の尻についたウサしっぽがほんの少しだけ揺れるのが絶妙だ、とアンジェは思う。リリアンはイザベラが人差し指を揺らす度にびくびくと肩を縮めて、本当にイタズラが見つかった子猫のようだ。アンジェは完全に持て余しているが、とりあえず胸の前で手を握り締めてほっとしたような雰囲気を出すことにする。
再びイザベラとリリアンが目線を合わせた。イザベラがぽんと虚空に何かを投げる動作をすると、リリアンが小さく呪文を呟き、光り輝く玉が出現した。それはイザベラが出現させ、リリアンに向かって放り投げたかの如く、子猫の手にすぽりと収まる。イザベラは怒り顔をやめて微笑み、アンジェの方に視線を向ける。──アンジェちゃん、受け取って。そう囁かれた気がしてアンジェが咄嗟に手を出すのと、リリアンが魔法の玉を投げてくるのは同時だった。
「アンジェ……リリアンくん……イザベラまで……」
「乙女たちの仕草の、何と愛くるしいことよ……」
フェリクスは今にも叫び出しそう、国王ヴィクトルは何か見てはいけないものを見てしまったような、しかし己の欲望には抗えないような、そんなものを全て威厳で噛み殺そうとしているような顔をしている。王妃ソフィアは無邪気にニコニコとしていて、クラウスはウサ耳王女が微笑みながらアンジェを指さして見せるのを、唇を引き結びながらじっと見ている。
イザベラの手の動きに従い、リリアンがアンジェの方を向いた。リリアンは空になった自分の手と、アンジェが持つ魔法の玉を見比べて、ぱっと顔を輝かせる。
「あっ!?」
リリアンがその場にぴょんと飛び上がったと思った瞬間、アンジェの手の中からボールが消えていた。少し離れたところにいるリリアンが玉を手にしてイタズラっぽく笑っている。イザベラがまた怒り顔になり、アンジェを見ながらリリアンを指さす。リリアンが飛び跳ねるようにランウェイを駆け出す──
(ついていくって、こういうことですの!?)
アンジェがリリアンに向かって駆け出すと、会場はまたしても大喝采となった。リリアンちゃん可愛い! 猫ちゃん逃げて! アンジェリーク様はやく捕まえて! それぞれの応援が音楽に重なり、レーヴ・ダンジュの少女たちも微笑みながら手拍子をしている。
「ああっ、何てことだ……何てことだ! アンジェッ……リリアンくんっ……! ああっ……!」
貴賓席でフェリクスが悶絶する叫びが聞こえてくる。リリアンはその様子を横目に見ながら飛び跳ね、時に玉をぽんと空中に放り出しながら、ランウェイを駆け、ステージの端から端まで逃げ回った。
【リリアンさん……大変だけれど、中盤の時に、敵の位置を探せるかしら。何かしら魔法を使うのは間違いないと思うの】
【はい、やってみます。座席にいたらダメですけど、どこかに隠れてるなら分かると思います】
アンジェは直前の会話を思い出しながら、逃げる恋人に手を伸ばす。子猫リリアンはあと少しでアンジェに捕まりそうと思いきやあっという間に離れていく。くるくる周り、飛び跳ねて、リリアンがどこを見てもおかしくない。時折真顔になってしまうが、すぐに思い出したようになぁお、と鳴いて笑ってみせる。
(……リリィちゃん……)
(頑張って……!)
「アンジェにリリアンくんを捕まえて欲しい……! しかし逃げるリリアンくんと追うアンジェをずっと見ていたい! ああっほら、あと少しだアンジェ、リリアンくんしっかり!」
アンジェはただ、その後を必死になって追いかけるそぶりをするのみだった。フェリクスは誰をどう応援していいのか混乱している様子だ。レーヴ・ダンジュのモデルたちはショーの演出の順番が入れ替わったことしか聞かされていないが、すぐさま対応し素晴らしい整列を見せ、今は手拍子をしている。舞台袖ではシエナとシャイアが涙を堪えてアンジェ達の様子を見守っているだろうか。
【それで……もし出来るなら、最後のところで、玉を真上ではなくて暗殺者に向かって投げてちょうだい。それでルナに伝わるでしょうし、暗殺者への牽制になるかもしれないわ】
【ええっ、上手に投げられるかなあ、私ボールとか苦手で】
【魔法で誘導するのでも構わなくてよ、そちらの方向に飛びさえすればいいの】
【……分かりました】
「スウィートさーん!」
「セルヴェール様あー!」
リリアンはちらちらとあちこちに視線を馳せる。アンジェだけに、ほんの一瞬隠し切れなかった焦りが見て取れて胸が痛くなる。リリアンはアンジェの手が彼女に触れそうになると、ぱっと払いながら遠のく。遠くのイザベラが頬に指先を当て、うさ耳がぴょこぴょこ弾むように首を傾げている。曲調がそろそろ終わりに向かっているような気がする。リリアンは唇を歪めてランウェイの入口まで戻ってきて、入口に向けて正面を向き──その場に棒立ちになった。
「リリィちゃん!」
咄嗟にアンジェはリリアンを抱き締める。リリアンははっとして、アンジェの手に魔法の玉を押し付けるそぶりをしつつ嫌々と首を振って見せる。
「アンジェ様。いました。入口の天井近くに、魔法を使って隠れてます」
「え……」
囁き声に、今度はアンジェの手が凍り付く。それを誤魔化そうと、リリアンがアンジェの手を掴んでぶんぶんと振り回した。
「ああっ、二人でじゃれついている……なんて……なんて……! ここが
「……大公夫人と、エイズワースさんです」
「……えっ……」
【でも……敵の方に向かって投げたら、私たちが気付いたよって敵にバレちゃいません?】
フェリクスの叫びに被せるようにしてリリアンは呟いた。もみ合っていた手から魔法の玉を取り返すと、正面──貴賓席よりもずっと上を、じっと睨み据えた。その手から魔法の玉がふわりと浮き上がり、空中でいくつにも分裂する。イザベラが目を見開く。ルナがアンジェとリリアンをじっと見ている。
【それでよいのよ。綿密に計画を練っていればいるほど、少しでも計画とずれれば実行を見送ると考えるかもしれないもの】
魔法の玉は天井近くまで浮かび上がると、再び一つに集まった。リリアンが両手を上げ、一瞬ためらい、だが歯を食いしばってびしりと虚空を指差した。その瞬間魔法の玉がぱあんと弾け、花火のようなきらめきが講堂を満たす。観客がわあっと歓声を上げる中、一筋の光が正面入り口上方めがけて進む。アンジェが、イザベラが、ルナがそれを目線で追う──
カァン、と、硝子を叩いたような音と共に、その光の筋は空中で霧散した。
「すごい! きれいな花火でしたわ!」
「さすがセレネス・シャイアン様ね!」
「スウィートさーん!」
大歓声、拍手喝采の中、リリアンはじっと虚空を睨み続けている。アンジェがリリアンの両肩に手を置くと、その華奢な肩は小刻みに震えていた。リリアンはアンジェの肩から手を下ろさせ、手をつないでランウェイの先端へと戻っていく。
「……アンジェ様。私、国王陛下も、殿下も、お助けしたいです」
「……ええ、そうね、わたくしもそう思うわ」
歓声に紛れた声に悔しさが滲んでいて、アンジェはつないだ手をぎゅっと握り締める。
「お二人とも、婚約のことでいろいろ仰いますけど……でも、国王陛下、私を悪い人に渡さないためなんだ、分かって欲しい、って、説明してくれました。私があの男のせいで辛い思いをしたのは、ご自分の責任だって……あんな立派な方が、私なんかに、あ、頭を下げて下さって……」
「リリィちゃん……」
リリアンは途中で立ち止まり、アンジェにがばりと抱き着いた。きゃあ、と周囲の観客から歓声が上がる。リリアンはすぐに離れて何事もなかったかのように歩き出す。アンジェは自分の肩を撫でるそぶりをして、顔を押し付けられた胸元が二か所濡れてしまったのをそっと拭う。
「殿下……鼻血、出さないかなあ」
ぽそりと呟いた頃、二人はランウェイの先端まで戻って来た。手拍子をしていたイザベラがにこりと微笑みかける。ルナは自席を立って、貴賓席の脇に控える護衛官と何か話しているようだ。フェリクスはさんざん叫んで息が上がっているが、それでもなんとか決壊は免れている様子だ。
「よくやってくれたわ、ありがとう、リリアンさん」
ウサ耳天使はまたしても猫耳デビルを叱るそぶりを見せたが、最後にひそりと囁いた。リリアンがこくりと頷くと、王女はその背をそっと撫でてやる。
「まだダンスが残っているわ。たくさん練習したのだもの、フェリクスくんなんて瞬殺よ」
「……はい」
イザベラとリリアンが離れ、ランウェイ先端の先ほどと同じ位置に並ぶ。天使と悪魔、二人が顔を見合わせて微笑み合う。それを合図に曲調が代わり、イザベラが手拍子をすると、会場も一気に手拍子に同調する。それまでは現代日本でいうところのクラシック音楽に準じた典雅な雰囲気だったのに対し、急にリズミカルでメロディが際立つ雰囲気に変わる。曲の始まりに合わせ、リリアンが、イザベラが、モデルたちが、手首に角度をつけてかくかくと動かす奇妙なダンスを始める。
【ダンスは、アンジェちゃんは手拍子をしていてくれればよろしくてよ……でも】
リリアンに渡された進行表を見た時、フィナーレの締めくくりはダンス、としか書かれていなかった。他の手配やお菓子クラブ、自クラスの準備もあり、ダンスが何の演目でどんな振り付けなのか、確認する余裕など全くなく、アンジェは初めから踊るつもりはなかった。今目の前で一同が踊るダンスは社交界で男女がペアになって踊るワルツとは似ても似つかないものだが、見た瞬間に脳裏をあまりにもたくさんのことが駆け巡る。
【……踊れるでしょう、ショコラちゃん?】
懐かしいメロディにアンジェは胸が震える。それは大流行したテレビドラマの主題歌で、メインキャストが楽しそうに踊るエンディングが話題となった。真似できそう、でもちゃんとやるとちょっと難しい、だから練習してみんなで披露すると盛り上がる──つまり忘年会や新年会、結婚式などの出し物にぴったりだった。祥子と凛子もメロディアに誘われてユウトの誕生日パーティーで披露したのは、遠い懐かしい思い出だ。一度覚えれば便利なもので、その後いろいろな会で披露する機会があった。
(……愛ダンス……!)
イザベラがアンジェをちらちら見てニヤついている。護衛官と真面目な顔で話していたはずのルナが、肩を震わせて笑いを堪えている。この演奏はイザベラが記憶を頼りに曲を書き起こして楽団に頼んだというのだろうか、とにかく踊れるならば踊ってしまおう。記憶を辿り、アンジェはイントロがAメロに変わる瞬間、何食わぬ顔で踊り出した。
「えっ、アンジェ様!?」
リリアンが踊りながら叫んでしまう。アンジェはにこりと微笑むだけだ。イザベラも嬉しそうに微笑みながら一歩後ろに引く。アンジェは一歩前に出て、かつ少し中央に寄る。リリアンも慌ててアンジェと対になる位置に出る。
(振り付けって不思議……)
(踊れるものですわね……!)
ここで腕をこう、腰をこう。剣術の稽古のおかげか、身体のキレもばっちりだ。飛び入りのはずのアンジェも見事なユニゾンで踊っているのを見て、フェリクスが、会場が、素晴らしい悲鳴を上げる。
「アンジェッ……アンジェ、君という人は……! イザベラとリリアンくんのために、そこまで……! ああ、アンジェ、アンジェ、僕のアンジェリーク! 愛している、愛しているよ!」
アンジェは微笑む。フェリクスはだくだくと涙を流しているが、感動してしまって鮮烈とは少し方向性が違うだろうか? ブラにショーツという煽情的ないでたちで可愛く踊っているのだから、最後の最後に決壊するようなことはないだろうか? ダンスは続く、二人で向き合う振り付けのところは、イザベラが一歩引いてアンジェとリリアンの二人でこなす、驚いたリリアンの紅潮した頬を、離れる間際につんと突く。ぴゃっと上がる可愛い声、フェリクスがギャッと叫ぶ、イザベラがしたり顔で頷いている。どうかしら、ダメかしら、フェリクス様。
願いとは裏腹に曲は進む。最後のサビも終わり後奏が始まった。イザベラの──メロディアの振り付けなら、最後は三人が頬を寄せて可愛いポーズを決めて終わるはずだ。横目に見るとリリアンとイザベラは記憶の通りの動きをしている。アンジェも踊りながら少しずつ二人に近付く。最後の音と共に、アンジェとリリアンがイザベラに寄り添う、手を合わせてポーズを決める。
わああああっ……!!!!!!
三人どころかモデル全員もぴたりと揃った決めポーズに、会場は素晴らしい拍手喝采を浴びせる。
「素晴らしい! 素晴しかったよイザベラ! アンジェもリリアンくんも見事だった!!!」
フェリクスは立ち上がって惜しみない拍手を注いでいる。国王も王妃も頬を染めて拍手をし、互いに頷き合っている。しかし鮮烈する気配はなく、正面の三人は笑顔を崩さぬようにしながらため息をつかざるを得ない。
「……二人とも、よくやってくれたわ。暗殺者の居場所が分かったのだから上々よ」
イザベラの優しい声音がアンジェの頭上から聞こえてきた。その通りだ、とアンジェは思う。わたくしたちはよくやった。リリィちゃん、あなたもとても頑張ったわ……。だが隣のリリアンはちらりとフェリクスを睨みやり、彼が自分たちをずっと見ているのを確かめると、ぎっと唇を噛んだ。
「……まだです!」
リリアンの手が、アンジェの肩をがしりと掴む。
「きゃっ!?」
勢いに圧されたアンジェは、バランスを崩してその場に転倒する──リリアンの手がそのままついてきて、ランウェイの上に押し倒された形になった。リリアンはもう一度フェリクスを、ヴィクトルを見る。獲物が自分たちを見つめているのをしっかり確かめると、そのまま強引にアンジェに口づけた。
「りっ……りっ、り、リリアンくんっ!!!!!!!」
王子の悲鳴、口づけは激しくアンジェを蹂躙する。リリィちゃん待って、こんな激しいの今まで一度もしたことないじゃない! 小柄な身体の全体重がアンジェの上にのしかかる、形の良い夢とささやかな愛が出会ってもみくちゃにされる。
「なっ……なんと……!!!!!!!」
ヴィクトルも目を見開いて叫ぶ、リリアンは横目にそれを見る、それでも蹂躙はやまない。リリアンの手がアンジェの耳を触り、顎を伝い、胸を滑り降りて腰のあたりをさわさわとくすぐる。
「きゃっ、きゃんっ! リリィちゃんっ!?」
ぞわりとしたくすぐったさにアンジェが悲鳴を上げる、リリアンはにこりと微笑んで離れてしまった唇をもう一度重ねる。彼女の意図は分かるけれどこんなにされてはもう駄目だ、蕩けてしまう、思考が溶けてしまう……。アンジェの頬が上気し、その青い瞳が潤んだのを確かめると、リリアンんはようやっと身体を起こした。もう一度愛し気にアンジェの頬を撫でてから、ゆっくりとフェリクスの方を振り返る。ルナに教わった上目遣いの、可愛い可愛いにゃんにゃんポーズ。
「……なぁーお?♡」
鳴きながら、リリアンはぺろりと舌を出して見せる。
「りっ……リリィちゃん……っ!!!!!!」
「なっ……だっ……っ!!!!!!!」
「うおっ……!!!!!!!」
立ち上がっていたフェリクスが、身を乗り出していたヴィクトルが、堪え切れずに決壊して鮮烈が噴き出した!!!
……ついでに言えば、組み敷かれたままのアンジェもミミちゃんの頑張り虚しく決壊した。
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