39-3 決行 星の海の舞台

 鳴りやまない拍手の中、少女たちが誇らしげな眼差しでもう一度ランウェイを歩く。


「素晴らしい作品ばかりでしたね、兄上!」


 フェリクスは惜しみない拍手を捧げながら、左隣のクラウスにこそりと囁きかけた。


「次はいよいよレーヴ・ダンジュですね、アンジェの出番が待ち遠しいです!」

「そうですね」


 次から次へと留まることを知らない弟のおしゃべりに、クラウスは微笑み返してやる。徹夜明け、それもとっておきの古代魔法の修得のための修行明けの身体には、貴賓席で何もかも完璧に振る舞うのはなかなかに堪える。フェリクスに誘われた時点でこっそり治癒魔法をかけておいて正解だったと思った。


「僕はイザベラから招待されるまで、彼女が下着のブランドを立ち上げていたことを知りませんでした。兄上はご存知でしたか?」

「……日頃、お会いする機会もそうありませんから。殿下と同じでしたよ」

「そうなのですね、いずれにせよ楽しみですね! イザベラも体調がよくなったので出演するそうですよ!」

「……そうですね」


 夢渡りの魔法は、修得することが出来た、ように、思う。断言できないのは魔法が強大すぎるため、一度しか発動させられなかったからだ。魔法は正しく発動したが、クラウスの身体への負担が大きすぎた。体力気力魔力、いや魂そのものをごそりと持ち去られるような感覚は、まさしく神の世の時代の魔法そのものだった。魔法を発動すると、どことも知れぬ空間の中で対象者と話をすることが出来る。練習台ではイザベラの侍女はよく眠っていたが、夢の世界では「なぜイザベラを恋人にしないのか」となじられた。しかし一分と持たず魔法は解けてしまい、クラウスは強烈な眩暈と動悸に襲われ、大量の血を吐いた。サリヴァン女史に長椅子に寝かされながら、臓腑に穴が開いたのだろうと見当をつけ、自身に治癒魔法をかける。老サリヴァン師は苦い顔で愛弟子を見つめ、「魔女に対抗するためとはいえ、魔法の発動は三度、いや二度が限界であろう」と告げた。


【刺し違えるために教えたのではありませんぞ、坊ちゃま。お忘れ召されるな】


「僕は恥ずかしながら、女性の下着というものには疎くて……けれど、素敵なものがあったら、僕の財布でアンジェにプレゼントしてやりたいのです。今回彼女が着るものはそのまま一式買うと決めています」

「それは、セルヴェールも喜ぶことでしょう」

「はい!」


 フェリクス、いつもニコニコと笑っていて自分を慕ってくれる可愛い異母弟。君の婚約者はクーデターを恐れていたよ、君の従妹と同じように。皆が君に心配を駆けまいとして必死に隠していたけれど、今日、僕たちの隠し事を全て話す約束をしたね。それならばせめて、決着をつけてから話したい。事は全て終わった、憂うことはないのだと、肩を叩いて安心させてやりたい。そして、あの愛らしい少女が魔女の毒蛇に捕まってしまう前に、差し伸べようとしている手を断ち切らなければ。ねえ、そうだろう、その方がいいだろう?


(……そうだよね、ソフィ……)


 フェリクスの隣に座る王妃ソフィアは、上品な微笑みを浮かべて伴侶たる国王ヴィクトルと何かを囁き合っている。


「さあ、兄上、始まるようですよ!」


 はしゃぐ弟の視線の先で、少女たちが手を振りながら舞台袖へと退場していく。明るく照らし出されたランウェイ、その輝きが徐々に抑えられ、大講堂内は薄暗くなっていく。




*  *  *  *  *




 下手側の舞台袖から、暗くなりゆくステージを、ランウェイを、アンジェとリリアンはじっと見つめている。二人の後ろにはレーヴ・ダンジュのモデルたちが緊張した面持ちで並んでいる。押し殺した沈黙を裂いて、ぱたぱたと足音が近づいてきた。それはステージ背後の緞帳の後ろを駆けてきた王女イザベラの足音だ。


「……アンジェちゃん。リリアンさん。大丈夫よ、行ってちょうだい」

「はい、イザベラ様」

「……行きます」


 頷いたリリアンが、袖からちらりと大講堂内を覗く。服飾部の発表会からレーヴ・ダンジュの新作披露会へと変わる際、一度完全な暗転をする予定である。大量の魔法ランプの光量を急激に絞るのはなかなか難しく、夕暮れのようにじわじわと暗くなるよう、魔法部有志が尽力する手はずだった。


「……我が真名、セレナの名において」


 リリアンが呟くと、少女の紫の瞳がきらりと金色に輝いた。その身体から銀色の粒子が立ち上る。粒子はすぐに霧散するが、その代わり、大講堂の客席に一つ、二つ、白い小さな光が灯った。光は次々と増え、まさしく夕闇に星が輝き始めるようにあたり一面が光の粒の海となる。


【この場で暗殺が計画されているとして……刃物なのか、狙撃なのか分からないけれど。明るい時に狙うなら、初めの服飾部の挨拶の時に実行されていたはずよ】


 アンジェはイザベラの言葉を思い出しながら、舞台袖から出てランウェイを目指して歩き始めた。光の粒はアンジェの胸元にも光っている。それはローゼン・フェスト開幕の際、リリアンが全校生徒と来賓に配布した白いリボンだ。守護の魔法がかけられたリボンは、主の魔力に呼応して、ひとつひとつを眩く輝かせる。


【つまり、暗転が危ないのだわ……服飾部の照明は平坦だけれど、レーヴ・ダンジュにはいくつか暗転があるもの……先方が台本を手に入れて、暗転の瞬間を狙っていると考えるのが妥当でしょう】


(すごいわ……リリィちゃん)

(夜空の中を歩いているよう……)


 ステージの真ん中、ランウェイの入り口に立ったアンジェは壮麗な眺めに一瞬我を忘れた。魔法部有志と管弦楽団には、ショー出演の順番を少し変えること、演出も自分たちの魔法で変更するが、彼らは順番を入れ替えさえすれば変わりなく務めればよいことをイザベラが直々に伝えた。ここは本来なら完全なる暗転となるはずだった。立ち尽くし俯き加減になったアンジェを、魔法スポットライトがぱっと照らし出す。


「アンジェ……!」


 沈黙を縫ってフェリクスが呟くのが聞こえてきて、アンジェはくすりと微笑んだ。赤い巻き毛を結い上げ、「十六人の天使たち」を身に着けて、淡い衣をまとった姿。それはこの星の海の中、本物の女神のように神秘的に浮かび上がっているはずだ。


 上手の楽団が、台本通り壮麗な音楽を奏で出した。アンジェはゆっくりとランウェイを歩き始める。胸を張り、指先を伸ばし、纏う衣が美しく背中側にたなびくように。わあ、とそれだけで歓声が沸き起こる。左右に広がる星の海は整然と並べられた座席に従い均等に並んでいるが、ところどころと言うには頻繁に光らない席がある。つけ忘れただけ、来賓で説明をよく聞いていない、それを差し引いたにしても多いのではないか。星を持たぬ人々が、すべてクーデターの一派なのだとしたら。


(駄目よ、アンジェリーク。ショーに集中して)

(きっとうまくいくわ……)


【殿下って、やらしーじゃないですか】


 作戦の説明を始めた愛しい恋人の第一声にアンジェはギョッとし、それ以上にイザベラが口許を隠してげほごほと咳き込んだ。


【こらっ、リリィちゃん、こんな時になんてことを仰るの!?】

【こんな時だからです。殿下、前に一度、私がアンジェ様のほっぺにキスするのを見て、鼻血を出されたことがあったじゃないですか。そういうの、百合? って言うんですよね?】


 むせていたイザベラが、ふと顔を上げてリリアンの顔を凝視する。


【だから、百合をいっぱい見せれば、殿下が鼻血を出して、医務室とか救護室とかに連れていかれるんじゃないかなって思ったんです……】

【リリィちゃん、いくらなんでもそれは】

【……いい案だわ、リリアンさん。今打てる最善手かもしれなくてよ。フェリクスくんの挟まり欲にド直球で投げ込んでやりましょう】

【ほんとですか!】


「見て、セルヴェール嬢よ!」

「アンジェリーク様が、レーヴ・ダンジュをお召しになっているの!?」

「なんて美しいおみ足……!」


 ランウェイの左右からたくさんの歓声が飛んでくる。レーヴ・ダンジュ側の招待客はほぼすべて女性だ。もともと胸の小さな女性に向けてのシークレットブランドであったが、その秘密性を保ちつつ、様々な女性に幅広く知ってもらいたい。プロポーションに悩む全ての女性に、自信と勇気を与えたい。企画書のイザベラの筆跡は、熱っぽくそして楽しげでもあった。


(メロディアさん……)


 アンジェはイザベラの前世の名を思い浮かべる。ゴスロリショップのカリスマ店員であったメロディアは、誰もが好きな服を着ればいい、と常々言っていた。体型の多様性を許容しつつ、自身は好きなゴス服をより美しく着られるようにと、モデルのユウトと同様、あるいはそれ以上の食事管理とトレーニングを欠かさない、ストイックな一面も持っていた。その彼女が手掛けたブランドを、王族の前で最初に披露する。そしてその様子でフェリクスを鮮烈せしめる──


「セルヴェール様ぁー!」

「アンジェリーク様ー!」


 ランウェイの先端につくと、正面が貴賓席だった。光の粒がそれぞれ胸元で光っているので、誰がどこに座っているのかはかろうじてわかる。フェリクスが顔を輝かせた、その隣のクラウスが何とも微妙な表情をしている、きっとフェリクスに連れて来られたのだろう。クラウスの反対側に国王夫妻、その後列には王妹アリアドネと王妹配レオン、そして他の王族が数名、アンジェのことを驚きと期待に満ちた顔で見つめていた。


(……フェリクス様)


 スポットライトに照らされたアンジェは、じっとフェリクスを見つめてにこりと微笑む。この場にどれだけわたくしたちの敵がいるのだろう? かつてのシエナとシャイアのように、クーデターに賛同しつつもリボンをつけている輩もいるのかもしれない。国王暗殺を企む手段は狙撃なのか、刃物なのか。そんな恐ろしいことが許されるはずがない。


 アンジェは両手をゆっくりと頭上に差し出し、小さく呪文を唱えた。リボンの光によく似たきらめきが手の中に生じ、ぽろぽろと雨粒のように零れ始める。楽屋でリリアンに教えてもらったばかりの魔法だが、我ながら上手く出来ているのではないか。光の粒は徐々にその量を増やし、アンジェの身体を覆うように降り注いでは消えていく。アンジェは手の中に溜まった光の粒をぱっとあたりに蒔くと、その手でそのまま身体を覆う淡い衣をはぎ取った!


 しゃらららら、と、タイミングを合わせて美しい竪琴の音が掻き鳴らされる。


 わああああっ……!


 磨き上げられた素肌、じーそのものの豊かな夢、細い細い腰に丸みと張りを兼ね備えた腰。パン生地をちょんと押したようなへそ、ハイヒールを履いてより際立つ脚線美。十六歳にして完成された美しい肢体を覆うのは、純白のレースのブラジャーとショーツ、レースの靴下、ガーターベルト、そしてフェリクスから贈られた「十六人の天使たち」のみ。ステージの光量が徐々に上がり、ランウェイが明るく照らし出される。観客の、王族の、アンジェの暫定婚約者の表情一つ一つをしっかりと見ることが出来るようになる。


【アンジェちゃん、やるからには、最初から殴り殺すような勢いでお行きなさい。なんならアンジェちゃんお一人で鼻血に至っても構わなくてよ】

【アンジェ様なら楽勝ですね!】


 アンジェはフェリクスをじっと見つめると、ゆっくりと唇だけを動かす。音がなくとも、アンジェがなんと言ったのかはっきりと伝わるように。


(ええ、イザベラ様……リリィちゃん……)

(全力で……行きますわ)


 ふぇ、り、さ、ま。


「あっ……あっ……アンッ……ジェッ……!!!」


 フェリクスはくわっと目を見開き、椅子の上にのけぞらんばかりだ。


(さあ……フェリクス様! お覚悟あそばせ!)


 アンジェリーク・ルネ・ドゥ・セルヴェールは、優雅かつ自信たっぷりに微笑んで見せた。




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