39-2 決行 妙案

 服飾部によるローゼン・フェストの作品発表ショーでは、大講堂の中央にランウェイをしつらえられた。その正面にある出入口近辺の桟敷が貴賓席であり、他は全て床と同じ高さに石を敷き詰めるようにして並べている。大講堂の出入り口は正面と控室側の二か所しかないので、有事の際は王族を真っ先に退避させられるようにと、代々この形で設営していた。


 開幕のベルが鳴り終わると、その余韻が消えるよりも先に観客一同が静まり返る。魔法ランプの灯が絞られ、窓を緞帳で覆った構内は夜のように暗くなっていく。暗がりと沈黙をを刺すようにして正面扉が開き、男が二人、細い隙間に身体を滑り込ませて入場した。すぐに扉は閉まり、場内は闇を取り戻す。壇上の中央が照らし出されると、そこには緊張した面持ちの服飾部部長が立っていた。つま先まで隠れる真っ黒なマントを羽織り、そのまま深々とひざを折り頭を垂れるカーテシーをしてみせる。それを合図にしたのか、貴賓席側も同様にほんのりと照らし出された。


「国王陛下、王妃殿下、やんごとなき皆々様。我らが生徒会長、フェリクス王子殿下。本日はご臨席を賜り、誠にありがとうございます」


 貴賓席の面々はそれぞれ微笑みながら軽く会釈を返す。クラウスの横でもフェリクスがニコニコしながら何度も頷いてやっている。部長は顔を上げると頬を染め、晴れ晴れとした様子で両手を広げた。


「そして本日お集まりくださいました皆々様! 今日はようこそおいでくださいました、フェアウェルの未来を担う私たちの作品、隅々までじっくりとお楽しみください!」


 沸き上がる拍手と共に優雅な音楽の演奏が始まった。舞台上手、貴賓席から見て右側に小編成の管弦楽団と魔法部の演出部隊が控えている。魔法部の面々が手を振ると講堂内を幾筋もの光が走り、ランウェイを淡く光らせた。下手側から着飾った服飾部部員の一人が誇らしげな表情で歩いてくる、部長はやり切った顔で後ろに下がる。レースの重ね方が非対称的アシンメトリーで独創的な、軽やかな夜会服だ。歩くたびに揺れる様子が異なり豊かな表情を見せる。ランウェイの先頭までやってくると、くるりとその場で回転して見せ、優美なポーズを決めた。


「素敵……!」


 王妃ソフィアが目を輝かせ、身を乗り出すようにして国王ヴィクトルに囁く。ヴィクトルは目を細めながら頷き返してやっている。会場の拍手は手拍子に代わり、音楽は軽快に弾み、二人目が、三人目が、入れ代わり立ち代わり貴賓席の前までやって来る。


「おや、ローゼンタール」


 貴賓席の横を通り過ぎようとした男二人を見て、フェリクスが声をかけた。呼び止められた王子専属の弁護士は、胸に手を当てて一礼し、壇上の主を見上げる。


「王子殿下、ご機嫌麗しゅうございます」

「楽にしてくれ、華やかなショーだよ」


 フェリクスは上機嫌に微笑みながら、自分のすぐ隣の異母兄の袖を軽く引っ張った。


「兄上、ご学友がお見えになりましたね、隣の方はエイズワース氏でしたでしょうか?」

「……はい」


 弟に微笑み返してやりながら、クラウスは自分を見上げる学友二人を見下ろした。中肉中背、短く刈り込んだ麦わら色の髪のローゼンタールと、大柄で色白、赤い瞳のエイズワース。二人はクラウスを、隣の王子と国王夫妻をじっと見ると、薄い笑みを浮かべて礼節に即した礼をしてみせる。


「陛下、妃殿下に置かれましても、ご健勝のことお慶び申し上げます」


 夫妻は奏上に気づいて微笑み返した。フェリクスもはしゃぎたいのを堪えた様子で微笑む。


「今度兄上もご一緒に食事などしよう。君たちもショーを楽しみたまえ」

「は、有難きお言葉」


 男二人はもう一度礼をした。それは過剰と言えるほど深々と頭を下げ、何かを惜しむかのように見えた。やがて顔を上げた二人は、先と同じように薄ら笑いを浮かべている。ローゼンタールの眼差しが、自分をじっと見続けているクラウスを見遣り、ぎらりと昏い熱を帯びた。


「では、失礼いたします」

「ああ」


 音楽と歓声の合間で、挨拶のやり取りはかき消されてしまいそうだった。もう少し前の方の一般席にはオリヴィアが座っている。オリヴィア大公夫人はショーの開始五分前、貴賓席前で略式の挨拶をすると、かなり離れたところの自席に着席した。オリヴィアは壇上で王太子フェリクスの隣に座る自分の息子を見て、ふ、と微笑んだ。それは今しがた通り過ぎたばかりのクラウスの学友と同じ笑みだった。


 ローゼンタールとエイズワースは少し進んだあたりで二手に分かれた。ローゼンタールは比較的近くの席にかけ、エイズワースは講堂の端を目指して歩く。二人の行く先を目で追っていたクラウスが眉をひそめる。彼はてっきり、二人が魔女のところに行くかと思っていたのだ。


「よう、殿下。メガネ先生とご一緒でゴキゲンじゃないか」

「おや、ルネティオット、君もこちら側で観るのかい」

「ああ、裏なんて何回か見りゃすぐ飽きるからな」

「そうか、先ほどから素晴らしい作品ばかりだよ」

「そうか」


 後から入場したらしいルナがフェリクスに声をかける。からかいと気付かずに素直に返したフェリクスに天才少女剣士は肩を震わせたが、国王夫妻に挨拶をし、貴賓席からほど近い自席に腰を下ろした。クラウスは少女の席を見ると、ショーをぼんやりと眺め、それからローゼンタールとオリヴィアを探す。ローゼンタールは変わらぬ位置にいたが、オリヴィアの姿はいつの間にか消えていた。エイズワースの姿は、先ほどローゼンタールと分かれた時に見失ったままだ。


 クラウスは顔をしかめる。惰性で手拍子をしながら、視線だけをランウェイから講堂全体へと動かす。緞帳で閉ざされ、魔法の気配が満ち、熱気に包まれた講堂内。少女たちの煌めくドレスが魔法ランプの色とりどりの光を受けて、星のように、宝石のように、太陽のように、月のように、それぞれの個性で輝いている。




*  *  *  *  *




 平静を装おうと努めるアンジェは、自分の毛穴という毛穴が総毛だつのを感じる。


「シエナさん、ゆっくりでよろしいの……他にお聞きになったことは、何かありまして?」

「他に……」


 お菓子クラブ創業メンバーの一人であるシエナはアンジェのクラスメイトでもある。たおやかなアンジェの声に、迷子の子供が己の名を尋ねられた時のように困惑した顔になる。駄目よアンジェリーク、焦ってはダメ。シエナさんかシャイアさんからしかご事情を窺えないのよ。


「その恐ろしい計画は、どこで決行するですとか……どなたのご指示で行動していらっしゃるだとか……どれほどの方が、その計画に関与なさっているのだとか。何でもよろしいの、思いついたことをそのまま話して下さる?」

「……あの、ええと」

「アンジェちゃん、そんなのは後で良いわ」


 ウサ耳天使のイザベラが立ち上がり、声をひそめながらアンジェに囁く。


「先に陛下とフェリクスくんに伝えないと……何としても阻止するのよ。流言にすぎないなら後で笑えばいいのだわ、対処が遅れてからでは遅くてよ」

「では……ショーは中止になさいますか?」

「そうね……けれど……ああ、待って、話しながら整理するわ」


 猫耳デビルのリリアンは、青ざめた顔で一同の顔を見比べ、アンジェの腕にしがみついている。


「わたくしならどうするか……今日、陛下を暗殺するとして……確実に狙えるところを見つけておくわ。予定が狂わず、座席も変わらないような……ねえ、アンジェちゃん、そうよね」

「……はい。事前に陛下の行動を把握して、適切な場所を探しますわ」

「セルヴェール様、……それって」


 シエナのスカラバディのシャイアが泣きそうな声で呟く。


「この……ファッションショーってことですよね?」


 アンジェが、イザベラが、瞳を見開いてシャイアを睨んだ。


「……それも、ありえますわね、シャイアさん」

「そう……そうね、ショーの時間は決まっているし、貴賓席の席順もいつもだいたい決まっている……服飾部に一派がいれば、細かい演出や進行も手に入れることが出来るかもしれないわ」


 イザベラの抑揚のない声にシャイアは怯えて縮こまり、シエナがその肩を抱いてやる。


「……イザベラ様……」

「そう、一派……オペリス劇場を満席にするほどの一派がいる……計画は二重にも三重にも代替案を用意しておくものだわ。万一に失敗したとしても、計画全体に支障がないように、可能な限り多くの人員を配置している……?」


 王女は緑の瞳を何度も瞬かせた。口許を隠す手が震えているのを隠そうともしない。少し離れたところにいるレーヴ・ダンジュのモデルたちが、怪訝な表情でこちらの様子を見ている。服飾部の部員たちのあたりは出番を終えた者、今まさに出るものが入れ代わり立ち代わりで大わらわだ。


「……駄目だわ、アンジェちゃん。計画が陛下に知れたと相手方に伝わったら、紛れ込んでいる一派が陛下を取り押さえにかかるかもしれないわ。普段はごく普通の生徒や来賓なのだもの、入場時に怪しまれることもない……一気に何十人も暴徒化するなんて、護衛はそこまで想定しきれていないわ」

「けれどイザベラ様、このままというわけにもいきませんわ」

「ええ、そうよ、どうにかして……気付いたと相手方に悟らせずに、お二人を外に出さないと……」

「ええ、ではわたくしが急ぎ貴賓席へ行って」

「失礼します、レーヴ・ダンジュの皆さん、ご準備はよろしでしょうか」


 アンジェの言葉を遮るように、控室の扉が開き、進行係が中を見回した。


「間もなく出番となります。皆様も舞台袖にお進みください」


 イザベラが眉根を寄せる。シエナが、シャイアが、涙目でアンジェを見る。アンジェは自分にしがみついているリリアンを無意識に抱き寄せるが、もう微笑む余裕はない。


「……お二人を、自然な感じで、外に出せばいいんですね?」


 険しい顔で何か思案していたリリアンが、ぽつりと呟いた。


「リリィちゃん、何か思いついたの?」

「陛下は上手くいくか分からないですけど……殿下なら、たぶん行けます」

「リリアンさん、この際それでも構わないわ、想定外のことが起きれば護衛はいつもより警戒するもの、対処のしようも出てくるはずだわ。どんな策なの、教えて頂戴」


 イザベラがずいとリリアンに一歩近づく。リリアンはイザベラをじっと見て、しがみついたままのアンジェを見上げる。


「レーヴ・ダンジュの方、よろしいでしょうか」


 進行役の声掛けが嫌にのんびりと聞こえる。リリアンは自分の顔のすぐ横にあるアンジェの夢ふたつをじっと見て、何故かげんなりとため息をついた。


「ちょっと、お耳を貸して下さい……」


 レーヴ・ダンジュの新作を纏った三人が、顔を寄せ合ってひそひそと囁き合う。シエナとシャイアは震えながらその様子を見ているしかできない。



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