第5部

第39話 決行

39-1 決行 誰が時の満ちたるや

 開幕の鐘が、ショーの始まりを告げて高らかに鳴る。控え室に集まり美しく着飾った乙女たちは、興奮と緊張に頬を赤らめ、互いの顔を見合わせる。


「国王ご夫妻に、王子殿下もいらしているのですって!」

「アシュフォード先生が殿下のお隣にいるのを見たわ」

「ルヴィエール先生や、ル・ポン・ドゥ・リューズの方々もお見えになっているんでしょう?」

「いけない、仮縫いの糸がそのまま!」


 己が夢見た衣装を作り上げた服飾部の生徒達は、最後まで入念に細部の仕上がりを確かめている。


「ここで腰を捻って……こう!」

「素敵、とても魅力的よ!」

「私たちこそが、王女殿下と共に時代を牽引していくのね……!」


 レーヴ・ダンジュのモデル役の生徒達は、ルナに指導されたポーズを互いに確かめながら、恍惚とした表情で互いに手を取り合う。控室にイザベラの侍女が入室して、女生徒達を控え室の奥まったところで眺めていた王女イザベラ、公爵令嬢アンジェリーク、近衛騎士ルネティオット、そしてセレネス・シャイアンたるリリアンの許にやってくる。


「……殿下。大公夫人がご入場なさいました」

「そう、ありがとう、メリル。ショーの間くらいどこかで仮眠をお取りなさいな」

「お気遣いありがとう存じます、けれど殿下のお美しいお姿を拝見出来ないほうが苦痛ですわ」

「……もう」


 徹夜だというのに侍女は上機嫌に微笑み、礼法の手本のような一礼をして控室を去って行った。イザベラは大公夫人であるオリヴィア・アシュフォードもレーヴ・ダンジュの招待客として招いている。招いたのは昨年のうちのことで、ローゼンタールの講演会の協賛をめぐり手紙のやりとりをしていた頃だったそうだ。その時のイザベラにとって、想い人の母親であるということは、当人に理由を明かさずとも特別な親愛を示すのに十分な理由だった。クーデターの調査であるという自分への言い訳があるなら猶更だ。しかし今日こうした状況となっては、彼女がクラウスと同じ空間にいるというだけでも肌がひりつくような緊張感を生む。一人だけ制服姿のルナは、その緊張を察してか、椅子に掛けた王女イザベラ、脇に控えるアンジェとリリアンをそれぞれじっと見たが、ただ静かにため息をついた。


「……じゃ、私もぼちぼち行くぞ」

「ええ、ありがとう、ルナ」

「私の雄姿、見ててくださいねっ」

「おう、思う存分にゃんにゃんして来い」


 アンジェとリリアンの応答にルナはクスクスと笑った。イザベラはちらりとルナを──前世では夫婦であった少女を見上げたが、何も言わずにふいと視線を逸らした。ルナは年齢に似合わぬ諦めたような笑みを浮かべる。


「……姫御前。御身の美しき晴れ姿も、私は楽しみにしているぞ」

「……ええ、ご期待に沿えることを祈るばかりよ」

「はは、そうだな」


 ルナは軽く肩をすくめると、武人らしいきびきびした動作で控室を出て行った。


(ルナ……)


 徹夜でイザベラから聞いたのは、クラウス・アシュフォードの半生に等しかった。アカデミー入学前までは以前に恋する少女の興味本位で調べたことがあり、アカデミー以後はクラウスに別れを告げられてから急遽調べたのだと言う。内気で、しかし聡明で思慮深い従兄。言葉の端々に、イザベラの想いの切れ端が紛れ込んでいるようだとアンジェは聞きながら思った。


 明け方に目をしょぼしょぼさせたリリアンがイザベラの私室を訪れ、二人がまだ制服姿で起きていることに驚愕した。リリアンは躊躇ったが、だが自分も黒幕はローゼンタールではなくオリヴィアだと知っていると告げ、イザベラはどこか安堵したように微笑んだ。リリアンは服飾部にお菓子の差し入れをする約束をしていたとかで、これから菓子厨房ペストリーでブラウニーを焼くのだと言う。フェリクスの再三の泊って行け攻撃を断り続けたのも、最終的に承諾したのも、この菓子作りが理由とのことだった。アンジェが使わなかったリリアンの隣の客室に、少女三人とフェリクスの朝食が用意され、既に朝稽古を終えたフェリクスが上機嫌で現れ、四人で朝食を共にした。王子は「兄上のお話とは何なのだろう? 楽しみだなあ、君も一緒に聞くかい、アンジェ」と実にのんびりした口調で語る。眠気で不機嫌なイザベラが「大切な話をする席に、やすやすと他人を同席させるものではなくてよ!」と怒り、フェリクスは「僕とアンジェは一心同体なんだ、兄上だって分かってくださる!」と反論し、リリアンが「アンジェ様と一心同体なのは私ですっ!」と噛みつき、アンジェは寝不足の頭痛が増す心地だった。


 イザベラは読書や調べものに夜を費やすことが度々あるようで、出立前に典医が寝不足の体調不良を和らげる魔法をかけてくれた。確かに頭が軽くなり手足のむくみも取れたが、体力が戻ったわけではないので、今夜は泥のように眠ることになると言う。それでも頭痛と共にランウェイに立たないで済むというだけでも十分にありがたかった。


 モデルの指導に来たルナに、昨夜のイザベラと同等の情報量を話すだけの時間はなかった。イザベラとルナは何事もなかったかのように振る舞っていて、天秤ヴァーゲクラスでの緊迫したやりとりが本当にあったのかどうか疑わしくなるほどだ。だがそれと引き換えなのか、イザベラがルナに事情を話した様子はない。そしてアンジェの知る限り、ルナはローゼンタールが首謀だと思ったままのはずだ。心強い味方である彼女と、敵の共通認識がなかったら、とっさの判断をお互いに誤ってしまうかもしれない。アンジェは悩んだが、ルナが指導を一通り終えたあたりで控室の隅に引っ張っていった。ルナは「こりゃまたビッグネームだな……」と驚き呆れていたが、悲しげな様子で自分とイザベラを見比べるアンジェを見て、「お人よしが過ぎる」と肩をばしばしと叩いたのだった。


(イザベラ様は……確かに、アシュフォード先生を愛していらっしゃるのだわ……)


 傍らの王女の均整のとれた横顔を眺めながらアンジェは考える。


(けれど、ルナのことも……悪しからず思っておられる……)

(ルナもルナよ、あんな風にいつも飄々としているから……)


「アンジェ様ぁ……」


 リリアンが甘えた声でアンジェの腕に絡みついてきた。ルナに教えてもらったばかりの上目遣いとぴくぴく動く猫耳が視界に入る。

 

「ドキドキしてきました……」

「……リリィちゃん」


 アンジェは思考をやめて、絡まれたのと反対の手で恋人のストロベリーブロンドを撫でた。リリアンは嬉しそうに紫の瞳を細める。


「じゃあ、思い出してみましょう。お菓子クラブのいろいろなイベント。試験の時。新年会に、フェリクス様のお誕生日。今までで一番緊張したのはどちらでして?」

「ええー……一番……?」


 リリアンは首を傾げたが、やがてにんまりと笑い、アンジェの腕に頬を寄せる。


「初めて、アンジェ様にお会いした時!」

「もう、ちゃんとお答えになって」

「ほんとですもーん!」


 クスクスと笑うリリアン、アンジェは形ばかり叱るが顔がにやけるのは止められない。猫を意識しているのか、恋人はやたらと頬を摺り寄せて来る、アンジェはその頬を撫で、肩を撫で、背中を撫でる。その様子をイザベラも見ていたようで、ふふ、と小さな笑い声が漏れた。


「貴女をレーヴ・ダンジュにお誘いして良かったわ、リリアンさん」

「わっえっ、ほんとですか、イザベラ様!」


 リリアンが慌ててアンジェから離れてひっくり返った声を出す。イザベラはなおも微笑みながら、リリアンの出で立ちを経営者のまなざしでじっと見つめた。


「今日のレーヴ・ダンジュの成功は貴女にかかっていてよ、リリアンさん。貴女はすべてのちっぱいの希望の星なのよ」

「え、チッパ? なんですか?」

「ふふ、何でもなくてよ」


 イザベラが笑い、リリアンが首を傾げ、アンジェは何と言ったものかとしかめ面になった頃、ランウェイの方から歓声が上がった。第一部の服飾部のショーが始まったのだろう。大講堂の様子は控室からは分からない、ただ進行表と各係の合図に従い、みな粛々と準備を進めていく。アンジェ達の出番は一番最後なのでまだ焦るほどではないが、それでも控室全体の空気が引き締まったような気がした。


「……失礼します」


 ショーの歓声に紛れるようにして控室の扉が開いた。一同が一斉にそちらを見ると、その視線に怯えた少女二人──お菓子クラブ青ペア、シエナとシャイアが立っていた。奥にいるアンジェ達を見つけると、険しい顔を互いに見合わせ、ぱたぱたと駆け寄ってくる。


「殿下! アンジェリークさん、リリアンさん!」

「ご機嫌よう、シエナさんにシャイアさん。遊びにいらして下さったのね」

「ご機嫌よう、王女殿下、何とお美しいのでしょう」

「ふふ、ありがとう」

「セルヴェール様も、リリアンさんもとっても素敵です!」

「まあ、ありがとう存じます」

「えへへ、猫ちゃんなんです~」


 シエナとシャイアは三人の出で立ちを見て瞳を輝かせたが、それはほんの一瞬だった。すぐに険しい顔になり、シャイアは自分のバディであるシエナの制服の袖を不安そうに掴む。


「あの……急ぎ、お伝えしなければと思って……」

「ええ、どうなさったの?」

「アンジェリークさん、王女殿下の前でお話ししても良いものでしょうか? あの、先日の夜の……」


 先日の夜、それは水曜日の夜にローゼンタールの講演会に参加した夜を指していた。リリアンによって魔法を解いてもらった二人は、詐欺まがいの講演会に喜んで参加していたことを心から恥じていた。だが彼女たちはまだ、その時のお土産のお菓子の包みがイザベラのものであり、アンジェ達がそれを知ったことをイザベラが知っていることを知らない。これらの不穏な動きが誰によって仕組まれたのかも。


「……ええ、大丈夫よ。王女殿下にはわたくしとリリアンさんが全てご報告申し上げました。お二人のことを咎め立てたりなどなさらないわ」

「ええ、気兼ねなくお話ししてちょうだい、シエナさん。何か大切なことを伝えに来て下さったんでしょう」


 アンジェの言葉を継いで、イザベラがにこりと微笑んで見せる。ブラとショーツにウサ耳姿となっても王女の持つ品格は全く損なわれず、話しかけられたシエナは頬を染めた。


「あの……一緒に講演会に行った学友が言っていたんです。今日が決行の日だって」

「……決行?」

「私もう、講演会には行かなくなったんですけど……あの後、臨時であったみたいで。欠席してたね、どうしたのって、その子に話しかけられました。今日はすごいことになるからしっかり見ていた方がいいって……フェアウェルにとって記念すべき大いなる進歩の第一歩になるって」


 しどろもどろのシエナの口調に、少女三人は互いの顔を見合わせる。


「決行……とは、何のことですの?」

「その……」


 シエナは泣きそうな顔になり、両手で制服の裾を握り締めた。アンジェはシエナに近付いてそっとその手を取る。手は小刻みに震えていて、アンジェの想像よりもずっと冷たかった。シエナはあたりを見回して他の女子部員とは離れていることを確認し、それでもアンジェの耳に唇を寄せる。リリアンもそこに耳を近づける。


「国王陛下を……暗殺、するって……」


 か細いはずの少女の声が、宣告のように聞こえる。


「それで……王子殿下を……連れて行くって……」


 シエナは必死に、涙を浮かべて、アンジェの手を握り返す。

 リリアンが愕然と目を見開き、イザベラの耳元で囁いた。王女の完膚なき美貌も凍り付き、リリアンを、シエナを凝視する。


「アンジェリークさん……私……どうすれば……」

「……シエナさん。勇気を出して下さってありがとう存じます」


 その言葉を何とか絞り出したが、アンジェの手もどうしようもないほど震え出す。

 開けたままの出入り口の扉からは、歓声と拍手と音楽が途切れずに聞こえていた。




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