38-7 君を見ている 姪


 王女の私室にて、アンジェリーク・ルネ・ドゥ・セルヴェールはカップを傾け、僅かに残るお茶に口をつける。唇に触れた琥珀色の液体はひやりと冷たい。冷たさに眠気が醒めたアンジェは想定よりも少なく口に含み、そっとカップを戻した。


「イザベラ様……わたくし飲み込みが悪くて、一度まとめさせていただいてもよろしいでしょうか」

「ええ、そうなさって、アンジェちゃん」


 対面に座る王女イザベラは頷いた。王女のカップもほぼ空だ。アンジェがお茶のおかわりを注がなくなって何時間経っただろう。喉も唇も潤っており何も飲みたくないが、間を持たせるために、視線を逸らすために、少しでも考える時間を取るために、空のカップを何度上下させただろう。


「アシュフォード先生が……妃殿下と、その、一線を越えられて、……それが国王陛下の知るところとなり、アシュフォード先生と大公夫人は王宮参内が禁止となった……ということですのね?」

「ええ、妃殿下とのことはわたくしの推測でしかないけれど……」

「それで……お二人はそれを逆恨みしてクーデターを企てていた、ということですの?」

「……どうかしら。少なくともクラウスは違うと思うわ。大公夫人はあるいは、そういう動機も理由の一つに含まれているのかも知れないわね」

「……分かりませんわ。何がどうなっているのか……」


 アンジェは眉根を寄せて首を傾げる。


「大公夫人がクーデターの首謀者で……アシュフォード先生は違う。そのアシュフォード先生は、わたくし達が存じ上げていることをフェリクス様にお話ししようとしたら、とても動揺なさっていた……ちなみにあれは良いクラ×フェリでしたわ」

「ふぇっ」


 真面目ぶった表情でぽそりと呟いたアンジェに、イザベラは目を見開いてびくりとその体を震わせた。


「ちょっと、アンジェちゃん! 真面目になさって」

「ごめんあそばせ、どうしてもお伝えしたくて……」


 イザベラは口調こそ怒っているが、疲れた顔の険しい表情が少しだけ和らいだ。アンジェは内心安堵しつつも続ける。


「アシュフォード先生、涙を流されて思い詰めたご様子でしたの。フェリクス様に何かをお伝えしたそうで、けれど途中でやめられましたわ」

「……そう……」

「そうして、それをイザベラ様にお伝えしたら、とても慌てていらして……メリルさんのおかげでアシュフォード先生はサリヴァン先生のところにと分かったのですわね。……イザベラ様」


 アンジェはじっと王女の顔を見る。


「あの時……どうして、あのように慌てておいでだったのですの? アシュフォード先生が何を目論んでおられるのか、ご存知なのですね? ……それから」


 神の末裔の証である緑の瞳は、アンジェの姿を、王女の心を映して猶も気高い光を宿している。


「どうして、先生の想い人が……妃殿下だとお分かりになりましたの?」

「……アンジェちゃん」


 王妃ソフィアによく似ていると言われる、王妃の姪にあたる王女。美しくあるが柔らかで可憐な印象の顔つき、それを凛と意志の強いものにしているのはイザベラという人間の人格に他ならない。そのイザベラもまたアンジェを真正面から見据えたが、微かに唇を戦慄かせながら視線を逸らした。


「……知ったのは、今年に入ってからよ」


 囁くような声に、隠し切れない後悔が滲む。


「わたくしは……ゲームではクラウスが首謀だと知っていたでしょう。だからこちらでもかくあれかしと、最初から決めてかかっていたの。だから調べもののアタリもつけやすかったし、大公夫人に辿り着けたとも言えるのだけれど……ねえ、アンジェちゃん」


 緑の瞳の縁が、滴を湛えてかすかに煌めく。


「……わたくし、思いもしなかったの。クラウスはクーデターには無関係だと……大公夫人が首謀で、けれど彼はそれを、自分が旗印にされることを忌避しているだなんて。だから……いいことをしているのだと思ったのよ」

「……イザベラ様?」

「フェリクスくんの誕生祝賀会……アンジェちゃんは魔物に襲われて大変だったでしょう。わたくしね、あの後、大公夫人とお茶をしているのよ」

「まあ……」


 驚いて見せたアンジェにイザベラが頷きかけると、目尻の雫が虚空に散った。


「もともと調査のために、ローゼンタールの講演会に協賛していたでしょう。だから大公夫人に面会を申し入れると、歓迎した雰囲気だったわ。とりとめもない話ばかりしていたけれど……そこにクラウスが顔を出したの。その時わたくしは、クラウスがこれでもう少しは心を許してくれるのではないかと期待していたわ。単なる従兄妹として当たり障りない会話をするだけでなく、内に隠した企みを打ち明けて下さるような、そうした仲になって……道を踏み外さないようにその手を引くことができるのだと、思っていたの。けれど彼は、わたくしを見るなり、酷く焦った顔をして……」


 イザベラはぐずりと洟を啜る。


「その彼を見た大公夫人がこう仰ったの……王女殿下も、妃殿下によく似て可愛らしいこと、って」


 王女の瞳からこぼれる涙が、雫から筋になり何本も滑り落ちていく。


「その時のクラウスが……確かに一瞬、ものすごく怒ったように見えたのよ……」

「イザベラ様……」

「母君とろくに会話もせずに、すぐに出て行ってしまって……その時は大して気にも留めなかったわ。わたくしとクラウスの仲のことは、フェリクスくんほどではない程度の体で話していたし、そのまま三人で話すことになるかと思っていたから、拍子抜けしたくらいだった。けれどその日から、クラウスは全然顔を合わせてくれなくなったの……面会はすべて理由をつけて断られて、直接会ってもよそよそしい挨拶をされるだけで……ようやっと逢えたと思ったら、アンジェちゃんが来てくれた、あの日だったの……」


 イザベラはハンカチで目尻を拭うと、弱々しく微笑んで見せる。


「ごめんなさいね、何度も見苦しいところを……」

「いえ……」


 アンジェはもはや相槌を打つしかできなかった。



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