38-5 君を見ている 検証

 帰宅してすぐ、夕食もそこそこにクラウスは邸宅の執事たちとの手紙をすべてもう一度読み返した。執事は母に手紙を出さなくなったことを気遣ってか、母の動向についてさりげなく記していた。自分が邸宅で暮らしていた頃は来訪者などほぼなかったと記憶しているが、ここ数年でその数はかなり増えた。外出も同様で、行先も執事が分かる範囲で書かれている。手紙を受け取った時は行先や来訪者がソフィアやヴィクトルの時だけ心を乱された。なんて浅はかだったのだろう、もっといろいろと気付くべきだったのに。あるいは執事はクラウスよりもよほど事情を理解していて、邸宅の外にいる若き主に縋るような思いでこの手紙を書いていたのかもしれない。ごめん、ラウル、ごめん……。来訪者を抜粋して一覧表にしながら、クラウスは奥歯をぎりと鳴らした。


 己の息子を国王に据える、そのための工作として魔女がソフィアとヴィクトルに取り入るのは回りくどいと思っていた。ソフィアから父を奪いフェリクスを謀殺すればそれで済む、父の血統を受け継ぐ男子はフェリクスの他には自分しかいないのだから。実際、フェアウェル王国史ではヘリオスの名を継承した男児が夭折してしまうことは過去に何度かあった。その後に生まれた子が新たにヘリオスを継承することもあれば、兄弟がヘリオスを冠さぬまま即位することもあった。そして次世代に再びヘリオスを継承する子が生まれ、フェアウェル王家の血統は脈々と受け継がれてきたのだ。


 だがクーデターならばどうだろう? 政治的な信念を持ち王のすげ替えを要求する、自分はそのための駒であるに違いない。フェリクスを殺さず父王とその王妃に取り入るのは、すげ替えをより平易に行わせるための布石なのではないか。多くの無辜なる国民に正当な譲位であると思い込ませられるよう無血革命を目指しているのか、あるいはフェリクス達もまた、クラウスの想像が及ばないような何かの布石の一つなのか──唸るうちに空腹が酷くなっていることに気が付き、遣る瀬ないため息をつく。書斎を出て居間のテーブルに置きっぱなしだった包みを開くと、冷めかけたチキンソテーが出てきた。洗っておいたカトラリーを持ってきて、包みから直に食べ始める。飽きるほど食べたメニューではあるが、馴染みの味は心地よく空腹に沁みた。


(……セルヴェールの夢が、本当に予知夢なのだとしたら)


 話の中に、魔女に対抗する手立てを見つけられるかもしれない。


(けれど、彼女を巻き込まないように注意しなければ)

(彼女はフェリクスの婚約者なんだ。クーデターが目的なら、利用価値のある人質になり得る……)

(……それなら、ベルもそうだ)


 脳裏に、恋人と呼ぶには清らかな距離にいる少女の笑顔が思い浮かぶ。


(……ベルにも、セルヴェールにも、フェリクスにも……)

(触れさせはしないぞ……)


 肉を切り分けるナイフを握った手に、自然と力がこもった。

 

 アンジェリークの言う通り、屋上ではしゃいでいた一年生男子が口論の末に喧嘩のようになり、その勢いから転落しかかった。転落とならなかったのはアンジェリークがその場におり、男子二人がもみ合う状態を果敢にも諫めて引き離したからだった。二人は屋上の縁のすぐ近くで揉み合っており、一人の片足がまさしく縁の外に投げ出された瞬間だった。噂は瞬く間にアカデミー中をめぐり、令嬢が報告に来るよりも先にクラウスの耳にも入った。そしてフェリクスも知るところとなったようで、婚約者の勇敢さを褒め称えるとともに、他の男子に興味を持たないで欲しいと実に弱気な様子でクラウスに愚痴るのだった。


 日々はおおむね平和に過ぎた。異母弟である王位継承者とその婚約者にかわるがわる呼び出され、愚痴やら心配事を聞かされるのが平和と言えるのであれば、間違いなく平和だった。イザベラとはさらにその合間を縫って逢瀬を重ねる。魔女の目論見が自分を王位につけることが最終目標ではなく、クーデターによる王朝転覆なのであれば、王女という立場のイザベラも何かに利用されてしまうかもしれない。彼女をソフィアの二の舞にするわけにはいかない、どうあっても自分と必要以上に接触があることは隠さなければいけない。イザベラはイザベラでフェリクスにからかわれるのが嫌だと思っている節があるようで、逢瀬はいつも巧妙に隠された。王女は学園ではスカラバディのアンジェリークと、アンジェリークの友人であるシュタインハルト伯爵令嬢と共に過ごすことが多いようだった。


 アンジェリークが口走った、前世、転生、という言葉が気にかかる。あの日ソフィアの身体に顕現した女神ヘレニアは、確かにリンコを転生させると言っていた。彼女がもしかするとそうなのだろうか? しかし転生というからには、無垢な赤子の魂としてまたこの世に生まれ出るのではないのか。彼女はあの時既に六歳にはなっていた筈だ。あるいはアンジェリークの頭の金の小箱の中に、あの柔らかな頬を持つオリーブ色の髪の少女が眠っているのか……。令嬢に尋ねてみたい衝動に駆られるが、何故そんなことを尋ねるのかと聞き返された時、納得させられるだけの答を用意できない。アンジェリークが話した内容を書き出して整理しつつ、手のひらの上の小さな重さを、ぽろぽろとこぼした涙を、苦い痛みと共に思い浮かべることしかできなかった。


 かくして一年は過ぎ、アンジェリークは二年となり、新入生を迎えた。セレネス・シャイアン候補のリリアン・スウィートと特異性は、アンジェリークの頭蓋のうちの小箱に比べれば凡庸であると言える。ただ、彼女は大いに古代魔法の才能があるのが見て取れた。溢れんばかりの魔力がどれもこれも王国の守護神ヘレニアが顕現する際のまばゆい光にあまりにも酷似している。それはわざわざ神聖魔法を使わなくとも、魔法の心得がある者ならば誰もが感じずにはいられない特徴だった。少女がアンジェリークに連れられて面会しに来た日、クラウスは我が目を疑った。自分よりも古代魔法の適性がある人間を生まれて初めて見た……。あれこれと尋ねたいのを堪え二人の退室を見送ると、鼻の奥がぐずりと湿り、刺すような痛みが走った。たらたらと垂れてきたものをハンカチで拭うと、それは鮮やかな赤に染まっていた。


「……セレネス・シャイアン……」


 アンジェリークも特異だが、このピンクの髪の少女も相当だ。二人のうちのどちらかが間違いなくセレネス・シャイアンなのだろう。己の身体が感じた異変を拭いながら、クラウスは誰にともなく呟いた。


 アンジェリークがリリアンと共に階段から転落したと聞いて、クラウスは血の気が引いた。アンジェリークから聞いていた事件がいよいよ始まったのだと思った。少女二人が王宮に運ばれた後、警備員を伴って事件現場に行くと、不自然な魔力の残滓を見つけ、それを辿っていく。フェリクス、令嬢が酷い目に遭って動揺しているだろうか。五歳の頃のフェリクスがしょうもないことで大泣きした時の顔が浮かんでは消える。警備員は訝しげな表情で自分についてくる。やがて、事件が起きた階段のある本校舎の一つ隣の棟で倒れ伏す男子生徒を見つけた。助け起こして事情を聞いても、どうしてここで寝ていたのか分からないという。医務室に連れて行って根気よく聞くと、事件の前後一時間の記憶が抜け落ちていることをようやく突き止めた。


(……忘却魔法……)


 この魔法を使えるのはごく限られた魔法使いだけだ。古代魔法を使えるというだけでは忘却魔法は習得できない。クラウスと同じく古代魔法使用者登録をしているエイズワースはこの手の魔法は得手ではなかったはずだ。その他となると、クラウス自身と、老サリヴァン師と、母と呼ぶのも汚らわしいあの魔女しかいない。


(この場に来ていたか……)

(あるいは、事前に仕込まれていたか……)


 魔法では、生き物の脳内を覗き見ることは出来ない。ましてや男子生徒の記憶は失われている、ただただ魔力の残滓の先で倒れていただけだ。それでも魔力の残滓があった以上、何かしらの関わりはあるはずだった。詳しく調べればその辺りも明らかになるだろう。


「このことはしっかり報告してください。王子殿下もそう望まれることでしょう」


 クラウスは苦い顔で生徒の名前と学年クラスを控え、その端書きを警備員に渡した。


「……はい」


 しかしこの端書きはどこにも届けられることはなかった。クラウスはこの事件を思い出す度に、自ら報告しなかったことを悔やんだ。



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