38-4 君を見ている アンジェリーク・ルネ・ドゥ・セルヴェール②

 父の言葉が、酒と煙草の香りと共に思い出される。


【将棋の筋はなかなか良いな。だがまだ素直すぎるといったところか】


「クーデター……ですか」


 聞き返した自分の声に、アンジェリークは息を呑み、ほんの一瞬目を見開いた。それは子供らしからぬ険しい顔で、大人たちが自分の失言に気がついた瞬間に見せるものそのものだ。その印象通り、令嬢は形の良い唇を引き結び、真剣な表情を瞬時に取り繕ってみせる。


「ええ……クーデターですわ」

「セルヴェール。……アンジェリーク・ルネ・ドゥ・セルヴェール。王太子殿下の婚約者という貴女が、その言葉をやすやすと口にして良いと思いますか?」

「……いいえ」


 アンジェリークは自分をじっと見ながらゆっくりと首を振った。彼女の心が一気に平静を取り戻したのを見て取り、クラウスは小さくため息をつき、机の上の手を組み直した。


「良いでしょう。その上で、夢に未来のクーデターが出てきたから不安でたまらない、と言うことなのでしょうか?」

「……いいえ」


 アンジェリークは少しばかり眉間にしわを寄せた。やはり年齢よりも大人びたように見える、侍女やメイドが何かを考える時にこんな様子を見せるだろうか。


「……わたくし、予知夢を見たのです。その夢の中にクーデターが謀られていて……アシュフォード先生とわたくし、二人が旗印として担ぎ上げられてしまうのですわ」

「……予知夢、と断言できるのは何故ですか?」

「わたくしが悪役令嬢で、転生はそういうものだから……と申しても埒があきませんことね。これから起こることを事前に言い当てて見せたら、信じていただけますこと?」

「そうですね……」


 クラウスは首を傾げてしげしげと生徒を観察する。アンジェリークは視線に耐えて真っ向から自分を見返してくる。泣くほど動揺していたのに、既に平静さを取り戻すことのできる胆力、フェリクスの伴侶として選ばれた少女はこうした強さを持っているのか。


「……予知夢が本当だとして、それを神殿ではなく、ただの教師である僕に伝えるのは何故ですか?」

「何故って……」


 クラウスが感心した矢先から、アンジェリークはまたも涙を浮かべ言葉を詰まらせた。


「わたくしがセレネス・シャイアンでないと知れてしまったら……フェリクス様との婚約が取りやめになるかもしれませんわ。それが恐ろしくて……けれど、このまま何もせずに、夢に出てきた日を迎えるなどとても無理なのです……!」


 ぽろぽろ、ぽろぽろと涙をこぼすアンジェリークが落ち着くまでクラウスは待った。聡明と評判の公爵令嬢がこれほど思い詰めているとなるとただ事ではない。夢物語と諭す前に、その信憑性を確かめて見ても良いのではないかと思った。


(……それに)


 アンジェリークは嗚咽を堪えてハンカチで口許を隠す。時折鼻を啜る音だけが、面談室の小さな空間の中に響く。


(クーデター……)


 その言葉は待ち望んでいた歯車の一つなのだと直感が告げていた。魔女が自分を王に擁立せんために生かしていることは分かっても、それが何のために為されるのかがどうしても分からなかった。ただ立身出世や自己顕示欲のために国母たらんとしているようには思えない。今も邸宅に残る執事たちからは、クラウスには心当たりのない人物の来訪が増えたと聞いていた。あの強欲な魔女は、自分の子を玉座に就けるだけに飽き足らずフェアウェル王国そのものを欲している、そのほうがよほどしっくりと来る。


(……どうして気付かなかったんだ)


 たった一晩、将棋の相手をした父は、自分の手を素直すぎると表現した。何度対局しても勝ち目を見出すことが出来ず、苦し紛れにクラウスが尋ねると、父はニヤニヤと面白そうに笑った。


【先読みの目は大したものであるぞ、クラウス。しかして其方は相手が己を騙すやもしれぬと微塵も考えておらぬだろう】

【え……】

【指し筋にそれがよう現れておるわ】


 僕はいつもそうだ。

 肝心な時に、大切なものを見逃してばかりで。


「……先生?」


 泣き止んだらしいアンジェリークの怪訝な声でクラウスは我に返った。険しい顔をしていたのを見られてしまっただろうか? アンジェリークはさして気に留める様子もなく、自分の夢が予知夢であることを証明するための手順を説明し始めた。今月中にアカデミー本館の屋上から転落事故があり、未来では屋上が立ち入り禁止になっているらしい。現在の屋上は誰でも気軽に立ち入ることが出来て、生徒たちの憩いの場になっている。


「わたくしがその事故を未然に防ぐことが出来たら……信じていただけますか」

「……いいでしょう」


 クラウスが頷くと、令嬢は安堵に少しだけ表情を緩めた。


「ありがとう存じます……アシュフォード先生にお力添えいただけたら、なんと心強いことでしょう」

「僕に出来ることが何かありますか? まさか、クーデターの片棒を担げとは言わないでしょうね」

「嫌ですわ、冗談でもそのようなことを仰らないでくださいまし」

「これは、失礼」


 しょうもない冗談にようやく笑顔を浮かべた令嬢に、クラウスはこっそりと神聖魔法をかける。それは神官と医者のみ扱うことが許される、対象者の心身の状態を可視化できる魔法だ。何らかの病巣や心の不調などが本人の身体の奥に透ける形で見ることが出来るようになるが、修得の際、魔法によって視たことを本人の許可なく他人に話さないと女神二柱に誓願を立てる必要がある。


 魔法によって、アンジェリークの頭蓋の奥に、金色に輝く小箱が浮かび上がる。


「アカデミー生活の方はどうですか? もう慣れましたか」

「はい、おかげさまで、フェリクス様とイザベラ様がご指導くださいますわ」


 聖女セレネス・シャイアン候補といわれる少女たちは、皆なにかしら特異な特徴を持っている。髪の色が突然変わった少女もいれば、天候を意のままに変えることが出来る少女もいた。アンジェリークがセレネス・シャイアン候補となったのは、月の女神であるセレニアに近しいミドルネームを授かったから、が表向きの理由とされている。


「王女殿下がスカラバディでしたね。……王子殿下とも仲睦まじいようで何よりです」

「ええ……」


 しかし、令嬢の脳内に隠されたこの金の小箱こそが、彼女がセレネス・シャイアン最有力候補たらしめる本当の理由であった。髪の色が変わった、特殊な精霊が守護しているなど、他の候補たちの事象も傑出するべきことであるが、脳内に何かを隠し持って生まれてくるなど前代未聞だった。大神殿での修行中、セレネス・シャイアン候補の記録を見る機会があったが、その時の神殿の混乱と興奮ぶりは、文面を見るだけでも十分に伝わってきた。


「セルヴェール。貴女の見た夢が本当に予知夢なのだとしても、未来はまだ確定されていません」

「……はい」

「ですから、あまり気負いすぎないように。僕は貴女こそがセレネス・シャイアンだと信じていますよ。……夢のことを僕にしか話せないというのなら、またいつでも面会しましょう」

「……はい、ありがとう存じます、アシュフォード先生」


 微笑んだ令嬢の顔がようやっと年相応に見えて、クラウスも微笑み返した。





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