38-3 君を見ている アンジェリーク・ルネ・ドゥ・セルヴェール①

 翌年度の新学期、フェリクスの婚約者たるセルヴェール公爵令嬢が首席で入学してきた。その途端、昨年まで自分の周りをうろちょろしてばかりいたフェリクスが嘘のように婚約者ばかり構い、得意げな顔でエスコートして学友に見せびらかし、世話を焼いてばかりいる。隣国ベルモンドールの王族の血を引くという姫は確かに見目麗しく聡明なまなざしをしており、令嬢がそこに佇むだけで人目を惹いた。更には人当たりが良く、話術に長け、時折ユーモアも交えるとなれば男女問わず人気が出て当然だ。フェリクスは得意満面に彼女をエスコートしていたかと思うと、自分のところにやってきて「兄上、他の男子生徒がアンジェに恋をしてしまったら、僕はどうしたらいいのでしょう!?」とよく分からないことを言う。フェリクスは令嬢の婚約者なのだからどうもしなくて良いのではとクラウスは思い、実際にそう言ったが、弟は険しい顔をしてばかりだ。疑心暗鬼のフェリクスからすると、令嬢を男子生徒がじっと見つめるだけでも耐えがたいとのことだった。令嬢も心からフェリクスを慕っているのは傍目にも明らかだが、彼女が誰かの視線に晒されること自体が既に耐えられないそうだ。


「殿下はその逆は考えないのですか?」

「逆?」

「セルヴェール嬢が、殿下ではなく、他の男子生徒に目移りしてしまう可能性ですよ」

「そんな……駄目だ、アンジェ! そんなの駄目だ!」


 フェリクスはやにわに立ち上がるとろくに挨拶もせずに部屋を飛び出し、外で待機していた護衛官がギョッとしてその後を追っていった。残されたクラウスは茫然とし、それからクスクスと笑いを噛み殺す。フェリクスは令嬢の前では天晴と言いたくなるほどの男ぶりなのに、自分の前では落差があまりにも激しい。フェリクスは嫉妬するのもフェリクスらしいな。あんな風に思惑も打算もなく誰かを想い、それをあけすけに表現できたとしたら、それは何と明朗で清純な恋だろう。


 そう思いながら弟を見守っていた頃、当の令嬢から面談がしたいと申し込みがあった。


「アシュフォード先生……」

「どうしましたか、セルヴェール」


 面会室にて、クラウスは多少身構えながら応じる。女子生徒の面談や呼び出しではあまりいい記憶がない。フェリクスの婚約者である令嬢とは、参内禁止となる前に王宮で少しばかり挨拶しただろうか。幼いながらもフェリクスの隣に凛と佇み、じっと自分を見上げる青い瞳が印象的だった。まさかその彼女が、とんでもないことを告げるために自分を呼び出したのだろうか? 困惑を隠さないクラウスの前で、令嬢──アンジェリーク・ルネ・ドゥ・セルヴェールは、青い瞳を涙に潤ませて咳を切ったように話し出す。


「わたくし、夢を見たのです、フェリクス様の夢を」

「夢?」

「わたくしがフェアウェルローズの二年に進級した時の夢なのです。フェリクス様がわたくしを婚約破棄なさって、新入生のセレネス・シャイアン候補と恋仲になりますの……」


 戸惑うクラウスの前で、セルヴェール公爵令嬢は夢の話を次々と話した。自分は確実にセレネス・シャイアンではないこと。次年度に入学してくる本物のセレネス・シャイアンが、彼女からフェリクスを奪ってしまうこと。この世界はげーむという、未来の可能性がいくつも含有された絵物語に瓜二つであること。絵物語の夢は一年間にわたり連なり詳細に描写され、未来予知のようであること……。


「わたくし……どうしたら良いのでしょう、先生……」

「……セルヴェール」


 学年首席で入学するほど優秀な彼女が話すには、あまりにも荒唐無稽だった。相槌を打ちつつ令嬢の話が途切れるのをしばらく待ったが、勢いは衰えず、青い瞳からはとうとう涙が零れる。クラウスが動揺するよりも先に、令嬢アンジェリークはポケットから自分のハンカチを取り出し、実に優雅に目尻を拭った。


「ごめんあそばせ、殿方の前で……」

「……それは構いませんが、少し落ち着きましょう、セルヴェール」

「はい……」


 アンジェリークが頷くと、髪と同じ赤い睫毛についていた涙の雫が散る。ソフィアとイザベラが可憐に揺れる花のような美しさだとすると、この令嬢は色とりどりの宝石のような、華のある美貌だなと思う。十四歳にして完成された曲線美も見事で、フェリクスがあれほど愛してやまないのも納得できた。


「多くの生徒が、新しい環境に驚いて心が乱れるものです。不安に囚われて恐ろしい夢を見ることもあるでしょう。殿下の婚約者は貴女なのですから、恐れや不安に惑わされず、自分に自信を持ちなさい」


 説教臭くならないように言葉を選んだつもりだったが、令嬢の青い瞳が輝きを失って行く。


「この夢が……そのように笑い飛ばせる程度のものでしたら、どんなにか良かったでしょう!」

「セルヴェール……」

「これはただの夢ではありませんの! 前世のわたくしが、この目でしっかりと見ましたのよ!」


 前世。目の前の少女が口走った言葉が、微睡むような心地でいた心臓をがしりと掴む。


「フェリクス様を失った悲しみから、わたくしはクーデターに身を投じてしまいますの……フェリクス様とセレネス・シャイアンの婚約破棄を要求して、おぞましい一派の旗印となってしまう……」

「セルヴェール、落ち着きましょう、夢は夢でしかありませんよ」


 定型句のように出てきた言葉は、目の前の少女ではなく自分自身に言い聞かせているような気がする。


「アシュフォード先生だって無関係ではいられませんことよ!」

「え?」

「その夢では……貴方はご自分の出自を思い悩まれるあまり、わたくしと共にクーデターの旗印となりますわ! そして大切に思われている筈のフェリクス様に、フェアウェル王家に弓を引いてしまう……!」


 アンジェリークは震える手でハンカチを握りしめる。


「どのルートでも、誰を選んでも、……わたくしは悪役令嬢に、アシュフォード先生はクーデターの旗印となってしまいますの……!」


 泣き叫ぶアンジェリークの青い瞳に、動揺を隠し切れていない自分が映っていた。


 

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