38-2 君を見ている 期限
それからというもの、イザベラは学問の質問の他にもお茶がしたいだとか話がしたいだとか、とりとめのない理由でもクラウスと会いたがるようになった。王女に正面から請われればクラウスに拒否権はない。それでもフェリクスに比べれば十分に礼節を持ち、断る口実にも困らない誘い方だったので、クラウスはよほどのことがない限り応じた。王女の配慮なのか、そんな誘いの時はアカデミー本館の貴賓室に呼ばれることが多い。もとより人通りが少ない階であり、フェリクスは距離があるからかあまりこちらの貴賓室を使わない。そのため面会の回数が増えても、二人の仲が誰かに取り沙汰されることはなかった。
イザベラは楽しそうに自分の話ばかりする日もあれば、クラウスのフェリクスとの思い出話にしみじみと耳を傾ける日もあった。立ち居振る舞いはオリヴィアを彷彿とさせるほど完璧で、その上でクラウスの前ではよく笑い、時にむくれたり拗ねたりする。礼儀作法が嫌いなソフィアとは真逆の性格のはずだが、クラウスの前で誰かを真似て取り繕わないところが、かえってその面影を脳裏にちらつかせた。
「ねえ、クラウス先生、わたくし本当に、心からお慕いしておりますのよ」
王女は厳重に人払いをして二人きりの時にだけ、そっと囁いて頬を染める。
「……駄目ですよ、イザベラ」
その台詞は大抵は自分の帰り際に発され、クラウスは王女の不服そうな顔を見ながら首を垂れる。
「もう。……でも、またお話ししてくださる?」
「はい、それはご随意に。また相まみえる日を楽しみにしております、王女殿下」
それから辞意を告げて退室する、それがイザベラとの面会の定番のやり取りになった。
貴賓室前の廊下は人けがなく足音が響く。職員室を目指して階段を一段降りるたびに気分が沈んでいく。王女が差し出してくる手はあまりにも清らかで眩しい。自分はこれから人を、それも母親を殺そうとしているのに、そんな無垢なものに触れる資格などあるはずもない。悲願を遂げた上でそれを隠し切れるとも思っていない。オリヴィアの悪行を白日の下に晒すことが出来るのならば、自分の身柄が、その命がどうなろうと構わなかった。そんな自分が気高い王女に触れてしまっていたら、事を成し遂げた後、彼女は後悔するだろうか、自分を憎むだろうか。余計なものに触れたせいで、輝く宝石のような美しさを損なってしまったと憤るだろうか──そこま考えて、クラウスはふと一人苦笑する。
(……断る理由を探してばかりだ……)
(いくつ理由を並べても、腑に落ちるものがない)
職員室の自席に戻ると、ちょうど午後の授業の予鈴が鳴った。同僚の教師たちがめいめい気合いを入れたり背伸びをしながら授業の準備を始め、クラウスもそれに倣う。
(……確かに、愛らしい方だ。話しているとどこか落ち着く)
(ソフィとは、全然違うのに……)
(……やめろ。虚しいだけだ)
(ソフィは僕のことは覚えていない……)
(記憶があったとしても貞操や将来を誓い合った仲でもない……)
(ソフィは……フェリクスの母君で、父上の、妃なんだ……)
胸の奥で、黒い炎がゆらりと揺らぐ。マラキオンの出現は結界で抑えることができても、この身を蝕む黒い炎は消すことは出来なかった。頬の内側の柔らかい肉を軽く噛み、痛みに神経を集中させると、炎が鎮まっていく感覚がある。クラウスはため息をつき、次の授業の道具をもって教室へと向かった。
自室となった神官用の詰め所に戻ると、フェリクスからの手紙が届いていた。神官詰め所はノーブルローズ寮よりは広く快適で、キッチンや風呂設備も付帯している。自炊をすることも可能だが、いつもカフェテリアのテイクアウトで済ませていた。リビングのテーブルに腰かけてサンドイッチを食べながら手紙を開く。クラウスの夏の予定を聞く内容で、兄上とご一緒に旅行に行きたい、馬も連れて行って遠乗りに行きましょう、アンジェを紹介させてください、と書いてあった。
「……旅行かあ」
そこにはいつかのようにソフィアも来るのだろうか。……いや、きっと来ないだろう。それでも楽しい日々になるに違いない。思い出の中の夏がきらめいて脳裏をめぐる。それは王女が差し出した手と同じほど抗い難い魅力に満ち満ちていた。
(でも……)
(時間が惜しい……)
教員として、神官として、それぞれの業務をこなしながら魔法を研鑽する。あの時が魔物と魔女の全力だとは思っていない。どれほどのことを極めれば、彼らに打ち勝つことが出来るのだろう。ソフィアは全て忘れてしまったというのに、これ以上自分に出来ることなどあるのだろうか? ……いいや、違う、奴らは必ずまたソフィアを利用しようとする。それは父を、フェアウェル王国を揺るがすほど、身の毛もよだつような恐ろしい計画に違いない……。だがその計画とは何だろう? いつ、どこで、何をすれば、彼らの目的は達成されるのだろう? 僕はまだ間に合っているのだろうか、あるいは遅すぎるのだろうか?
(フェリクスは次で三年か……)
クラウスは異母弟の年齢を数えながら、もう一つのサンドイッチに手を伸ばす。野菜とハムを挟んだサンドは塩気が効いていて疲れた体に沁みていくようだ。
オリヴィアの企みが何なのか、調べる手立てがほとんどない状況で、結局何一つ分かっていない。マラキオンが「人間の都合だろう」という、庶子クラウスを殺してはならないだけの理由。単にクラウスを王座につけるにしては、回りくどいとすら思える手口。……分からないなら、自分から動くしかないのではないか。区切りをつけて、挑んで。成功すればあとはこの人生は贖罪に捧げることになる。失敗すれば、次は自ら命を絶ってしまおう、それこそ母にとって大いなる失敗の一つになるだろう。そうだな、フェリクスが卒業するまでに。フェリクスが王立大学に進学を希望しない限り、フェアウェルローズ・アカデミーを卒業すれば正式に公務につくことになる。大学で研究三昧という性格でもないし、おそらく確実にそうなることだろう。もしそうなれば、あの魔女は本腰を入れて動き始めるかもしれない。それを想定して、準備して……。
【ねえ、クラウス先生、わたくし本当に、心からお慕いしておりますのよ】
聞いたばかりの台詞が急に蘇ってくる。そうだ、イザベラ、愛らしい王女殿下。どうやら貴女を遠ざけるのは無理なようだ。ならば卒業まで、と期間を区切ることを提案してみるのはどうだろう。卒業までは何もしない、その先はどうなるか分からない。そんな言い方なら、貴女は僕の煮え切らない態度に納得してくれるだろうか。フェリクスの卒業までに僕は必ず事を成し遂げる。そうしたらきっと貴女は僕に幻滅して、想いを寄せているなど二度と言わなくなるはずだ……。あとは、この提案を、どうやって貴女に伝えよう。
(……いいや、鍛錬しながら考えよう)
(時間が足りない……)
サンドイッチの最後のひとかけらを飲み込むと、クラウスはため息とともに立ち上がった。
===============
読んでいただきありがとうございます!
気に入っていただけたら評価・フォロー・応援よろしくお願いいたします!
↓ ↓ ↓
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます