37-15 君を見ている 面影

 クラウスはそれ以来邸宅に戻ることはなかった。義務的に書いていた母宛の手紙も書くのをやめた。その代わりに執事および従者たちに宛てて書くようになった。どうせ母に報告が行くのかもしれないが、それでも構わないと開き直り、アカデミーでの日々を書き綴った。執事は初め驚きに満ちた様子の返信を送ってよこした。文面には、従者一同が驚喜しながら読んだ、あれも書いて欲しい、これも坊っちゃまに伝えてくれと、皆で便箋を取り囲みながら賑やかに書いたと書かれていた。一人一人の顔が、自分の前ではあまりくだけた様子を見せなかった彼らの笑顔を想像すると、笑いが込み上げて来た。寮の自室でクスクスと肩を振るわせながら、目尻からこぼれるものをそっと拭った。これでいい。彼らが無事だと分かることが、クラウスには何より大事だった。


 オリヴィアが、自分の母が何を目論んでこのようなことをしたのか、クラウスには全く見当がつかなかった。自分を殺さない理由はフェアウェル王家の血を引く子供が必要だからだろう、それはオリヴィアは事あるごとにクラウスがヴィクトルの血筋である事を強調していたことから分かる。だが王位簒奪が目的ならば、ヴィクトルの寵愛を得るのは当然として、ソフィアにも恋人のように振る舞い、三人で事に至るような関係性を保たなければならない理由がわからない。ソフィアにあんなことをするまでもなく、フェリクスの謀殺を狙う方がよほど効率が良いのではないか? そもそも三人で致すというのが、もはやクラウスの理解の範疇を超えていた。


「……神官ですか」


 ある日面談室にて、考えた末の卒業後の進路を告げると、サリヴァン女史は意外そうに呟いた。


「はい。卒業後すぐに叙任していただけるよう、就学中から入信し、修行に励みたいんです」

「そうですか……」


 長年教育に携わってきた老獪な教師は、何事もないかのようににこりと微笑む。


「お父上のご期待を背負って、政界への道を歩まれるかと思っていましたが……」

「はい。それも含めて考えたのですが、神に仕え信仰を守ることが、王国の守護神ヘレニア様と建国の女神セレニア様と、陛下の意に沿うかと思いまして」

「そうですか……」


 サリヴァンが、他の教師たちが自分が官僚になることを期待しているのは薄々感じていた。自身もあまり深く考えたことはなかったが、ヴィクトルとフェリクスの近くで彼らを補佐するとなると、そうした役職を目指すことになる。家庭教師から高度な教育を受けていてもアカデミーに入学するということは、そのための地盤や人脈を作る意味もあるのだろうと察してもいた。


(でも……)

(ヘレニア様は、フェリクスを守り助ける盾となれと仰った……)


 神や魔物は人間たちの些細ないさかいには興味や理解を示さないという。出世欲や政争を勝ち抜く願望を魔物につけ込まれることはあっても、争いそのものには無関心なのだ。その神の一柱ヘレニアが、己の末裔のフェリクスを守れと言った。それはセレネス・シャイアンの降臨が予言された昨今、魔なるものから彼を守れという意味合いと考えるのが自然だ。マラキオンには神殿で授与されたお守りが効いた。神官となり、神殿に伝わる高度な魔法を習得すれば、彼らに対抗する手札が増えることになる。


(母上にも、ヘレニア様の魔法が効いているようだった……)


 それは、悲願を遂げる手段を増やすことにもなる。


「私はてっきり、貴方は学者か魔法使いの道を諦められずに悩んでいるかと思いましたよ」

「え……」


 サリヴァンの声が、思索の底からクラウスを引き戻す。


「クラウスさん。貴方、教職を取りなさい」

「……教職?」

「ええ」


 戸惑うクラウスを見て、サリヴァンはコロコロとら朗らかな笑い声を上げた。


「貴方は教師となってフェアウェルローズで教鞭を執るのです。専攻は何でも、お好きなものを選びなさい。王立大学には敵いませんが、フェアウェルローズの図書館でも資料は豊富ですし、教師の相互交流もあります。教員証があれば、王国中の図書館の書籍を借りることができますよ」


 まるで授業をするかのように、サリヴァンは滔々と語る。


「それに……今のアカデミー付きの神官殿は、ご高齢であと数年で引退したいと仰っているそうですよ。後任に貴方を推薦するよう、校長先生にお願いしておきましょう」

「先生……」

「貴方のような立場なら……思いがけないことで行く先を阻まれることもあるでしょう。教職は、免許の更新さえしていれば、身分や立場の別なく就職することができますから」

「……考えてもみませんでした……」

「そうですか」


 言葉が出ないクラウスを見て、サリヴァン女史は目を細めた。


「ようやく、教師らしいことをしてあげられましたね」


 かくしてクラウスは三年次後半から学業、教職、そして神官見習いの三足の草鞋を履くこととなった。多忙になった理由を聞いた学友に事情を話すと、あからさまに落胆し、その後よそよそしくなる者が多くいた。それだけ自分が官僚となることを期待されていたのだと驚いた。ローゼンタールなどその最たるもので「お前は宰相になってこの国を改革するんじゃないのか!?」と喚き散らした。それでも数人は以前と変わらぬ態度で接してくれ、アカデミーで彼らと話すのがいい気晴らしになった。


 多忙なことは、邸宅に帰らなくなったことの理由づけとしても効果を発揮した。特にフェリクスが「なぜ夏のお休みなのに兄上と遊べないのですか!?」と駄々をこねてノーブルローズ寮に押しかけて来たが、事情を説明すると緑の瞳を輝かせた。


「では、僕がフェアウェルローズに入る頃には、兄上は先生なのですね!」

「……そうだね」

「すごい、すごいです兄上! 僕たくさん勉強します!」


 まだあどけないフェリクスの笑顔は、どこかソフィアの面差しに似ている。自分に抱きついて来たフェリクスの頭を撫でながら、クラウスは脳裏をよぎる思い出を噛み締めた。


 実際、教員免許は調べ物をする際に大いに役立った。古代魔法について。魔物について。隣国の誘惑の魔女の伝承。本の貸し出し要請が不自然になりすぎないよう、専攻は神学と歴史学にした。マラキオンに関する記述は全く持って見つからず、彼と似たような誘惑を仕掛ける魔物の存在をいくつか見つけた。だがその魔物ですら古の存在でほぼ伝承と化している。


(誘惑の魔女も……こんなに古いものにも記載されているんだな)


 何百年も前の古文書に記されたリヴィディア・フェロスの綴りを、クラウスは忌々しげに睨む。


(ソフィのもともとの侍女の娘なんて、嘘もいいとこじゃないか……)

(あるいはお祖母様の存在自体、魔女が作り出したものだったのかもしれない……)


 クラウスの母方の祖母は隣国ベルモンドールで隠遁生活をしているとかで、一度も顔を合わせたことがない。それはそういうものかと思い込んでいたが、今や何もかも疑わしかった。


 転生について調べるとなると、さらに困難を極めた。教義では転生について触れているが、ある種の哲学の範囲を出ないため、本当に魂が転生するのかどうかの真偽は全くもって分からない。ましてや転生先を突き止めるなど、絵空事もよいところだった。ヘレニアは確かにリンコを転生させると言っていた、そこは魔物の手の及ばぬ安全なところだとも。ヘレニアの言葉、手のひらに乗った重さ、指先に触れた小さな小さな頬の感触はいつでもありありと思い出せる。オリーブ色の髪の、確かに自分の血を引いた少女。魂のみ転生したのなら、髪や瞳の色は前世とは違うのだろうか。前世の、しかも生まれる前の胎児の記憶となると、探し出すことはほぼ不可能としか思えなかった。


(……リンコ……)


 見つけるのはほぼ不可能だし、見つけたところで自分はもはや父とは呼べない。それでも、一度触れただけの血を分けた娘のことは、どうしても忘れることが出来なかった。あのまま生まれていたら、ソフィアに似た可愛らしい子になっただろうか。僕のことをお父様と呼んでくれたのだろうか……。とりとめもない問いを繰り返しながら、クラウスは己を鍛えていった。より強力な結界や退魔魔法が使えるように。魔法はほぼ無詠唱無動作でも発動できるように。万が一の手段を仕込む方法。そうしているうちにアカデミーを首席で卒業し、教員免許を得て、神官として正式に叙任された。流石にノーブルローズ寮は出たが、その代わりにアカデミー礼拝堂に付帯する神官用宿舎で暮らすようになった。クラウスの魔法の才能、とりわけ退魔魔法に熱心に取り組み修得していく様子は、次代の大神官の候補と噂されるほどになり、国家儀式の場に高位神官として呼ばれるようになった。そこで時折見かけるソフィアは、もう自分の方を見ようとしない。ニコニコと行儀のいい微笑みを浮かべ、ヴィクトルの良き伴侶、フェリクスの良き母親であるように見えた。


 王宮参内の辞退は、いつの間にか禁止であると周囲は解釈するようになっていった。母は公式な参内は控えているが、邸宅や別邸、そしてあの移動魔法などでそれなりに通い続けているようだった。どのような手管か、ソフィアのオリヴィアへの視線はますます熱を帯びていく。ヴィクトルは二人を眺めてデレデレしている。それは執事たちが書いてよこす文面だけでも、ありありと様子を想像することができた。フェリクスは以前と変わらずクラウスを慕い、クラウスが王宮に来ない理由を多忙だからだと信じ込んでいた。そして自分の誕生祝賀会の際には我を押し通してクラウスを会場に招き、丸一日一緒に過ごし、泊っていくようにとせがむ。ソフィアは遠巻きに微笑んでいるだけだ。それならよいかと、王子の厚意に甘えて参内する年が何年か続いた。


「兄上、今日は僕の従妹を紹介しますね!」


 ある年の祝賀会で、十一歳になったフェリクスは、一つ年下の従妹イザベラを伴った。クラウスも彼女の存在は知っていたが、正式対面するのはこれが初めてだ。粗相のないように気を付けていると、プラチナブロンドの可憐な少女がフェリクスの陰からこちらを窺っていて、クラウスと目線が合うと驚きに目を見開いてから視線を逸らした。


「イザベラ、怖がることはないよ。僕の尊敬するクラウス兄上だ。とてもお優しい方だよ」

「……そう?」


 ニコニコしているフェリクスの陰から、少女がじっと自分を見上げてくる。フェリクスの従妹だというその少女は王妹アリアドネの娘であるが、ヴィクトルとアリアドネの従妹でもあるソフィアにより似ているという噂だった。こうして間近に相対すると確かに美しい顔立ちだ、輪郭や目鼻の形が愛しい面影に似ていると思える。九歳で婚約したというソフィアも、当時はこんな雰囲気だったのだろうか。


「……お初にお目にかかります、王女殿下。クラウス・アシュフォードと申します」


 クラウスは王女より目線が高くならないよう膝を折り、胸に手を当てて頭を下げた。わあ、とフェリクスが歓声を上げる。


「……ご機嫌よう。イザベラ・シュテルン・フォン・アシュフォードです」


 見上げた目線の先で、幼い王女の白い頬が、みるみる薔薇色に染まっていった。



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