33-5 共に過ごした日々 眩暈
リリアンが必死の形相でアンジェを支えて医務室に向かっていると、どこからともなくフェリクスが血相を変えて駆けてきた。フェリクスはリリアンをじっと見て、リリアンが頷いたのを確かめてからアンジェを抱え上げる。医務室は来賓対応で混雑しているとのことで、フェリクスは本館上階の貴賓室へ向かい、リリアンと護衛官もその後に続いた。
「アンジェ、顔が真っ青じゃないか……また何か無理をしたんじゃないのかい」
「フェリ、クス、様……」
「殿下、アンジェ様、急に顔色が悪くなって、私……」
「大丈夫だよ、リリアンくん、貴賓室なら人の目を気にせずゆっくり休める。時間が許すなら、君もアンジェに付き添ってやるといい」
「はい、……あの」
人ひとり抱えているというのに軽々と階段を上っていく王子を見上げ、リリアンは怪訝そうに首を傾げる。
「殿下は、どうしてすぐ来てくださってたんですか?」
「気になるかい、リリアンくん?」
フェリクスは最近よくアンジェが見かける、少し悪そうな笑顔で聖女を見遣る。
「僕はアンジェのことなら何でも分かるし何でも知りたいんだよ」
「ええー……?」
「……お二人が並んでいた
「ああ、ヴォルフ、ばらしてくれるな」
「なーんだあ、誰かが知らせてくれたんですね。殿下に不思議な力があるのかと思っちゃいました」
「ああ、そんな力があったら、僕はもっとアンジェと君の力になってやれるだろうになあ」
アンジェは眩暈と吐き気に耐えながら、リリアンと軽口を聞いているフェリクスの顔を見上げる。今日も相変わらずの美丈夫で、母妃ソフィアによく似た金髪と、王家に特有の緑の瞳。顔立ちの全体の雰囲気もソフィアに似ているが、女顔というほどではなく、少年の面影を残しつつも凛々しい目許は父王ヴィクトルを思わせる──彼の顔を見るたびに、アンジェは今まではずっとそう思っていた。
(フェリクス様は……妃殿下が二十歳の時のお生まれだと聞いたわ……)
女親は十月十日かけて腹が大きくなるので間違えようがない。生まれた子供の父親は、顔立ちや体つきや目の色、髪の色などから判断するしかない。祥子の記憶では細胞から何かを取り出して調べる方法があるらしいが、フェアウェル王国にその技術はない。魔法で魔力鑑定をすれば本人かどうかの確認はできるが、血縁関係まで調べられるようなものではない。
「私もアンジェ様をおんぶとかで運べたらいいのになあ」
「この前のように、小さくなる魔法をかけるのはどうだい?」
「確かに! 殿下、天才ですね!」
フェリクスとクラウスは異母兄弟ながらもよく似ているなと常々思っていた。二人が並んだところを見比べて、目の形が似ている、耳の形が似ている、鼻筋が似ている、と似ている箇所をこっそり数えてみたこともあった。父親が同じだから似ている個所が多いのだ、と何の疑問にも思わなかったが、それが根底から覆されるかもしれないことになろうとは、夢にも思わなかった。
「さあ、アンジェ、着いたよ。ベッドを用意させてあるからね」
護衛官が貴賓室の扉を開けると、中では使用人たちが慌ただしく簡易ベッドの用意をしているところだった。フェリクスは彼らを急かすでもなくアンジェを抱えたまま待ち、傍らのリリアンとの雑談を続ける。用意が整うと、使用人をねぎらい、リリアンに頼んでアンジェの靴を脱がせ、それからゆっくりとアンジェをベッドの上に横たえた。
「アンジェ、何か飲み物をいただこう。温かいのと冷たいの、どちらがいいかな」
「では……お茶を……」
「お茶だね」
フェリクスは自分とリリアンの分もお茶を用意するように言いつけると、ほう、と長く息を吐いた。彼の傍らで、リリアンがベッドに寝かされたアンジェに毛布を掛ける。アンジェが恋人に手を差し伸べると、リリアンはその手のひらに頬を寄せた。
「アンジェ様……」
「ごめんなさい、リリィちゃん……」
「……あの……」
リリアンは何か言おうとしたが、唇を開きかけたまま顔をしかめ、うつむき、やがてしょぼくれた様子でため息をついた。
「……アンジェ様、さっきの話……」
「……ええ……」
頷きながらアンジェはフェリクスをちらりと見上げる。フェリクスはニコニコ微笑みながら二人を見守っていたが、アンジェと目線が合うと優しげに微笑み、少し離れたソファにゆったりと腰掛けた。
(……秘密の話をするのだと思われたのね……)
(優しい方……)
(お話を聞いていただきたくない理由は違うけれど、この際いいでしょう……)
「その……アンジェ様は、その、誰だか分かったんですよね?」
リリアンはちらりとフェリクスの方を伺いつつ、どこか安堵した様子で囁く。
「……ええ、おそらくね」
「この人かもって思っただけで、ご気分が悪くなってしまうような……すごい人なんですか?」
「そうね……否定のしようもないわ」
「うーん……誰だろう……今でも後ででも、教えていただけますか?」
リリアンの紫の瞳の真っ直ぐな眼差しは、無邪気すぎてとても直視していられない。
「……ごめんなさい……確信が、持てなくて……」
「ええー……」
リリアンはあからさまに不満げに頬を膨らませた。アンジェはその膨らんだ頬を撫でながら、思考が深く沈んでいく。
(……フェリクス様とアシュフォード先生は、九歳差だったはず……)
(もし……事が至ってしまったのだとしたら、その時には、八歳……?)
(王妃殿下は十九歳……?)
八歳の少年というと、アンジェの弟ヴィクトールよりも一つ年下になる。ヴィクトールはいたずら盛りでとにかくちょろちょろと走り回り、両親や兄に怒られてばかりだ。家ではアンジェがヴィクトールを捕まえてたしなめ、理屈を説いて聞かせる役回りになっている。いかにも子供で、兄アレクの警察兵の真似事ばかりしていて、アンジェの妹のガブリエルと一緒に悪戯をしたり喧嘩をしてばかりで、とても色恋沙汰や情事と縁があるようには思えない。その彼よりも更に一つ幼い少年が、倍以上の年齢の淑女と事に至るなど、アンジェは何一つ想像できなかった。
(あり得ない……あり得ない筈よ、アンジェリーク……)
(けれど、否定できるだけの材料も見つからない……)
(ルナは、ムラサキノウエとフジツボと、ヒカルゲンジのことしか言っていなかった……その先はわたくが連想してしまっただけ……)
考えれば考えるほど眩暈がひどくなるような気がする。リリアンがじっと見ているのを感じたが、アンジェは脳内をかき回す渦に耐えきれずに目をつぶる。
(どれだけ身体を鍛えても、心が弱ければどうにもならないの……?)
「アンジェ、リリアンくん。お茶の用意が出来たようだよ」
ソファの方から、極めて何気ない風を装ったフェリクスの声が聞こえてくる。
「デートの余韻に浸りたいところだろうけれど、温かいうちにいただこう。アンジェのは僕が持っていくからね」
「殿下ぁ、デートはまだなんです」
リリアンがフェリクスに返答する声が、がんがんと頭の中で響きながら跳ね回るようだ。
「さっきまではリオも一緒にルネティオット様の試合を見てて、これからデートだったんですよぉ」
「なんと、そうだったのか。それは一刻も早くアンジェに元気になってもらわないとだね」
「そうなんですー」
「ええ……そうなんですの、ごめんね、リリィちゃん……」
「わわっ、アンジェ様、だからって無理しちゃ駄目です!」
起き上がろうとしたのをリリアンに押さえつけられ、そのまま眩暈と共に、アンジェは眠りに落ちた。
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